( 建 造 物 )



  長野県
 安楽寺 八角三重塔  長野県上田市別所温泉2361
 長野県の5つの国宝建造物のひとつ、安楽寺八角三重塔です。
 
 安楽寺は鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つで、天平年間(729−749)行
 基の建立とも言われ、また平安時代の天長年間(824−834)の創立とも言われています。 天正16年(15
 88)こ曹洞宗に改められました。 北向観音を護る本坊として建立された別所三楽寺(長楽、安楽、常楽)の
 ひとつです。
 八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築(京都法勝寺、奈良西大寺な
 どに存在しましたが戦乱などで失われました。)で、長野県では一番早く「国宝」に指定されました。 鎌倉時
 代後期(1275-1332)に建立された、全高18.75m、八角三重塔婆、初重裳階付、こけら葺の建物です。
 四重塔にも見えますが、一番下の屋根はひさしに相当する裳階です。
 
 経蔵・八角輪蔵−上田市指定文化財
 大法寺 三重塔  長野県小県郡青木村当郷2052 
 長野県の5つの国宝建造物のひとつ、大法寺三重塔です。
 
 大法寺は天台宗の寺院です。 山号は一乗山。 伝承によれば、奈良時代の大宝年間(701-704)に藤原鎌
 足の子の定恵が創建したといわれています。 年号をとって大宝寺と号し、後に大法寺と改めたといわれて
 います。
 三重塔は、正慶2年(1333)の鎌倉時代から南北朝時代に建てられたもので、高さは18.56mあります。
 塔は初重が特に大きいのが特徴で、形に変化がつきおちついた感じになっています。
 二重、三重で組物を三手先という一番正規な組み方としているのに対し、初重だけは少し簡単な二手先にし
 たので、その分だけ平面が大きくなっています。 この手法は、この塔のほかは奈良の興福寺三重塔がある
 だけで、極めて珍しいものです。
 思わず振り返ってしまうほど美しい塔であることから、「見返りの塔」と名付けられています。
 
 榧−青木村指定天然記念物
 松本城 天守  長野県松本市丸の内4−1
 長野県の5つの国宝建造物のひとつ、松本城天守です。
 
 松本城は、日本国内に12基しか残っていない、安土桃山時代後期から江戸時代にかけて建造された天守
 を有する城郭の1つです。 松本城と呼ばれる以前は深志城といい、市民からは別名烏城と呼ばれています
 。 戦国時代の永正年間(1504-1520)に、松本平の信濃府中に館を構えていた信濃守護家小笠原氏が林
 城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されました。 その後、甲斐の武田信玄がこの地を占領し
 、林城を破棄して深志城を拠点としました。 武田氏滅亡後の天正10年(1582)、徳川家康の配下となった
 小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名しました。
 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、石川数正が入城し、その子康長の代には天守三
 棟、御殿、太鼓門、黒門、櫓、塀を造り、城郭、城下町の整備を行い、松本城の基礎を固めました。
 現存12天守の中では唯一の平城で、五層六階の大天守を中心に、三層の乾小天守を渡櫓で連結し、さらに
 二層の辰巳附櫓と一層二階の月見櫓を複合した均整のとれた珍しい城です。
 浄光寺 薬師堂
 長野県上高井郡小布施町雁田676
 浄光寺は天平2年(730)の創建とされる真言宗豊
 山派のお寺で、北信濃十三佛霊場第七番札所で
 す。 薬師堂は応永15年(1408)に建立された桁
 行三間、梁間四間、一重、入母屋造、茅葺の建物
 です。 
 旧三笠ホテル
 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1339-324
 新海三社神社 三重塔
 長野県佐久市田口2329
 新海三社神社 東本社
 長野県佐久市田口2329
 明治38年(1905)に竣工した日本人の設計による
 純西洋風建築で、文化人財界人が多く宿泊したこ
 とから「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていました。
 木造二階建、建築面積513.62m2、玄関ポーチ
 及び屋根八角塔屋付、スレート葺の建物です。
 明治39年(1906)に営業を開始し、客室30室、定
 員40名、宿泊料は一等が12円、二等が8円、三
 等が5円で、昭和45年(1970)まで営業を続けまし
 た。
 新海三社神社の創建年は不詳です。 平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社英多
 神社であったという説もあります。 祭神に興波岐命、健御名方命、事代主命の三神が祀られ、3つの社殿
 があることから新海三社神社と呼ばれるようになりました。 佐久郡三庄三十六郷の総社です。 源頼朝が
 社殿の修復や社領の寄進を行い、足利氏や武田氏、徳川氏が庇護しました。 武田信玄は永禄6年(1565
 )に上州攻略の要となる箕輪城攻めの際、戦勝祈願文を奉納し、天正年間(1573-93)に社殿の修築を行っ
 ています。
 中本社・西本社−佐久市有形文化財、ケヤキ・サワラ・御神木(欅)−古木
 三重塔は、、永正12年(1515)新海三社神社の神
 宮寺の塔として建立されました。 明治の神仏分離
 の際、神宮寺は移転させられましたが、塔は神社の
 宝庫であるとの主張で残されました。 こけら葺き、
 高さ18.9m、三間三重塔婆、こけら葺の建物です。
 興波岐命が祀られている社殿です。 三重塔と同
 時代の建立と考えられる、一間社流造、檜皮葺の
 建物です。
 旧中込学校 校舎
 長野県佐久市中込1877
 旧小諸本陣 主屋
 長野県小諸市市町1−6−14
 旧小諸本陣 表門
 長野県小諸市市町1−6−14
 明治8年(1875)に建てられた、木造2階建て、八角
 塔屋付、桟瓦葺の建物で、日本最古の洋風建築(
 擬洋風建築)の校舎です。 建築面積は254.9u
 あります。 大正8年(1919)まで使用され、その後
 、町役場や公民館等に転用されました。
 旧北国街道小諸宿の本陣兼問屋場として使用され
 ていた旧上田家住宅です。 現存する問屋場建築
 は全国に僅か2棟しかありません。 江戸後期に建
 築された桁行15.6m、梁間15.3m、二階建、切
 妻造、妻入、東面・北面及び西面庇付、桟瓦葺の建
 物です。
 主屋の左側に建っています。 江戸後期に建築され
 た桟瓦葺の一間薬医門です。
 小諸城大手門
 長野県小諸市大手町1−150
 小諸城三之門
 長野県小諸市丁字三之門内311
 釈尊寺観音堂宮殿
 長野県小諸市大久保2249
 慶長17年(1612)、藩主仙石久秀が建立した小諸
 城の正門(四之門)です。 石垣と門が一体化して
 おらず、1階が敵の侵入を防ぐ強固な造りに対し、2
 階は居館形式をとっています。 五間の入母屋造の
 本瓦葺の楼門で、1階は桁行五間、梁間二間、2階
 は桁行七間、梁間三間で東西2室の部屋がありま
 す。
 青森県の弘前城とともに大手門の双璧といわれて
 います。
 三之門は懐古園の玄関口にあたり、二層、寄棟造
 瓦葺の門で、両柚での塀には矢狭間・鉄砲狭間が
 付けられています。 両側の石垣の上に上層部が
 渡されている渡り矢倉と呼ばれるものです。 寛保
 2年(1742)の「戌の満水」と呼ばれる大洪水によっ
 て流失し、明和2年(1765)に再建されました。
 正面には、徳川宗家16代当主の徳川家達揮毫の
 大扁額が掲げられています。
 釈尊寺(布引観音)観音堂の岩屋内に安置されてい
 ます。 正嘉2年(1258)に建立された 桁行一間、梁
 間一間、高さ162cm、一重、入母屋造、板葺の和
 様建築の雛形のような建物です。 懸崖造りの観音
 堂の岩屋内ということから、火災の難をまぬがれた
 鎌倉時代の遺物です。
 白山社社殿−長野県宝
 国分寺 三重塔
 長野県上田市国分1051
 前山寺 三重塔
 長野県上田市前山300
 中禅寺 薬師堂
 長野県上田市前山1721
 信濃国分寺は天台宗のお寺です。 国分寺は、天
 平13年(741)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するた
 め、各国に建立を命じた寺院で、この寺は信濃国の
 国分寺です。
 三重塔は、室町時代中期の建立で、高さは20.1
 mあります。 全国60の国分寺で、塔が残っている
 のは、この三重塔の他4つの寺院しかありません。
 本堂−長野県宝
 前山寺は弘仁年中(810−823)に弘法大師によっ
 て創建された真言宗智山派のお寺です。
 三重塔は永正11年(1514)に建立された、高さ19
 .5m、三間三重、柿葺の建物です。 窓、扉、廻縁
 、勾欄はなく、長い胴貫が四方に突き出しているこ
 とから「未完成の完成の塔」と呼ばれています。
 参道並木−上田市指定天然記念物
 中禅寺は平安時代末期に創建された真言宗智山
 派のお寺です。
 薬師堂は平安時代末から鎌倉時代初期に建立され
 た、桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺の建
 物です。  宝形造、四天柱など、国宝中尊寺金色堂
 と同じ形式をしています。 長野県最古だけでなく中
 部日本最古の建物です。
 法住寺 虚空蔵堂
 長野県上田市東内4313
 旧開智学校 校舎
 長野県松本市開智2−4−12
 法住寺は貞観年間(859-877)に創建された天台宗
 のお寺です。
 虚空蔵堂は文明18年(1486)に再建された、桁行三
 間、梁行四間の入母屋造の建物です。 屋根はこけ
 ら葺で、棟の両端に鬼面がつけられています。
 旧開智学校は、明治6年(1873)に第二大学区筑摩
 県管下、第一中学区、第一番小学、開智学校 として
 開校しました。
 木造二階建、寄棟造、桟瓦葺、中央部八角塔屋付、
 建築面積517uの擬洋風建物です。
 諏訪社 幣殿
 長野県諏訪郡富士見町乙事5410
 諏訪社 拝殿
 長野県諏訪郡富士見町乙事5410
 諏訪社は延徳2年(1490)に創建された神社です。
 幣殿は正面一間、一重、切妻造、銅板葺の建物で
 元和3年(1617)に諏訪大社上社本宮の神宮寺の
 神前建物として建立されたものを移建したものです
 諏訪社は延徳2年(1490)に創建された神社です。
 拝殿は桁行一間、梁間一間、一重、向唐破風造、
 銅板葺の建物で、元和3年(1617)に諏訪大社上
 社本宮の神宮寺の神前建物として建立されたもの
 を移建したものです
 諏訪大社下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193
 諏訪大社は諏訪湖周辺4か所にある神社です。 全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社で、信濃国一宮です。 上社と下社があり、上社に 本宮と前宮、下
 社に春宮と秋宮とがあります。 諏訪大社の歴史は大変古く、古事記には「出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきてそこに国を築いた」とあり、また日本
 書紀には「持統天皇が勅使を派遣した」と書かれています。  諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。 秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、
 上社は御山を御神体として拝しています。
 下社は春宮と秋宮よりなり、祭神は春秋の半年毎に遷座されます。 両社とも本殿はなく、幣拝殿や左右片拝殿の形式、配置は本宮に類似していますが、幣殿、
 拝殿が一棟の楼門形式となるなど、下社特有の形を示しています。 春宮と秋宮の社殿の形式、配置は基本的には同じです。 春宮と秋宮の現社殿は相前後して
 建立されましたが、春宮は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、秋宮は立川流初代富棟の手になります。
 下馬橋−町指定有形文化財、社叢−町指定天然記念物
 諏訪大社下社春宮 左右片拝殿(左)  諏訪大社下社春宮 幣拝殿  諏訪大社下社春宮 左右片拝殿(右)
 安永9年(1780)に建立された、桁行五間、梁間一
 間、一重、片流招屋根付、銅板葺の建物です。
 秋宮に比べて幅が短く、屋根は片切りになっていま
 す。
 安永9年(1780)に建立された、桁行一間、梁間二
 間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右
 袖塀附属の建物です。
 御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので、幣
 拝殿と呼ばれています。 建築様式は二重楼門造
 りです。
 安永9年(1780)に建立された、桁行五間、梁間一
 間、一重、片流招屋根付、銅板葺の建物です。
 秋宮に比べて幅が短く、屋根は片切りになっていま
 す。
 諏訪大社下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828

 諏訪大社は諏訪湖周辺4か所にある神社です。 全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社で、信濃国
 一宮です。 上社と下社があり、上社に 本宮と前宮、下社に春宮と秋宮とがあります。 諏訪大社の歴史は
 大変古く、古事記には「出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきてそこに国を築いた」とあり、また
 日本書紀には「持統天皇が勅使を派遣した」と書かれています。  諏訪大社には本殿と呼ばれる建物があ
 りません。 秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。
 下社は春宮と秋宮よりなり、祭神は春秋の半年毎に遷座されます。 両社とも本殿はなく、幣拝殿や左右片
 拝殿の形式、配置は本宮に類似していますが、幣殿、拝殿が一棟の楼門形式となるなど、下社特有の形を
 示しています。 春宮と秋宮の社殿の形式、配置は基本的には同じです。 春宮と秋宮の現社殿は相前後し
 て建立されましたが、春宮は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、秋宮は立川流初代富棟の
 手になります。

 社叢−町指定天然記念物
 諏訪大社下社秋宮 神楽殿
 天保6年(1835)に建立された、桁行五間、梁間三
 間、一重、T字形切妻造、妻入、銅板葺の建物です
 。
 諏訪大社下社秋宮 左右片拝殿(左)  諏訪大社下社秋宮 幣拝殿  諏訪大社下社秋宮 左右片拝殿(右)
 安永10年(1781)に建立された、桁行五間、梁間二
 間、一重、切妻造、銅板葺の建物です。
 安永10年(1781)に建立された、桁行一間、梁間二
 間、楼造、切妻造、正面軒唐破風付、銅板葺、左右
 袖塀附属の建物です。
 御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので、建
 築様式は二重楼門造りです。 二階は跳勾欄を回し
 ています。
 安永10年(1781)に建立された、桁行五間、梁間二
 間、一重、切妻造、銅板葺の建物です。
 諏訪大社上社本宮 長野県諏訪市中洲宮山1

 諏訪大社は諏訪湖周辺4か所にある神社です。 全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社で、信濃国一宮です。 上社と下社があり、上社に 本宮と前宮、下
 社に春宮と秋宮とがあります。 諏訪大社の歴史は大変古く、古事記には「出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきてそこに国を築いた」とあり、また日本
 書紀には「持統天皇が勅使を派遣した」と書かれています。 諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。 秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上
 社は御山を御神体として拝しています。

 幣殿、拝殿、左片拝殿、右片拝殿、脇片拝殿、四脚門が国重要文化財に指定されていますが、私が訪問した2013年4月には「平成の大修理」のため参拝すること
 ができませんでした。(2015年6月完了)

 宝殿−諏訪市有形文化財、社叢−長野県指定天然記念物
 諏訪大社上社本宮 入口御門  諏訪大社上社本宮 布橋  諏訪大社上社本宮 摂末社遥拝所
 文政12年(1829)に建立された切妻造、銅版葺の
 四脚門です。 巧微な彫刻が施されています。
 入口御門の先に続いている屋根付きの長い廊下が
 布橋です。 安永7年(1777)に建立された桁行38
 間(67m)、梁間一間、切妻造、銅版葺の建物です
 。 明治以前は大祝のみが歩行を許され、彼が通
 る時には布を敷いたことから布橋と呼ばれるように
 なりました。
 文政11年(1828)に建立された桁行一三間、梁間
 二間、、切妻造、銅版葺の建物です。 昔は十三所
 遥拝所とも称し、上の十三所、中の十三所、下の十
 三所の計三九か所の摂社末社を遥拝する所でした
 。 現在摂末社は約百社あり朝夕この社を通して遥
 拝しています。
 諏訪大社上社本宮 勅使殿  諏訪大社上社本宮 五間廊  諏訪大社上社本宮 神楽殿
 安政3年(1690)に建立された、桁行一間、梁間一
 間、唐破風造、妻入、こけら葺きの建物です。 以
 前の記録では神門戸屋、帝屋とも書かれていて、
 勅使参向の折幣帛の授受が行われた所です。
 当時は神楽殿の前あたりにあり、拝殿の性格ももっ
 ていました。
 勅使殿につながるようにして建っています。 安永2
 年(1773)に建立された、正面三間、側面五間、切
 妻造、銅版葺の廊下様式の建物です。
 文政10年(1827)に建立された、正面三間、側面
 四間、背面五間、入母屋造、妻入、銅版葺の建物
 です。 祈願者の神楽奉納の御殿で、四方吹通し
 になっています。 大太鼓は神楽殿建立と同時に
 奉納され、日本一と言われる一枚皮が使われてい
 ます。
 諏訪大社上社本宮 天流水舎  諏訪大社上社本宮 神馬舎(駒形屋)  諏訪大社上社本宮 勅願殿
 文政12年(1829)に建立された、桁行一間、梁間
 一間、切妻造、妻入、西面板塀・玄関附属、銅板
 葺の建物です。 俗にお天水と称され、どんな晴天
 の碑でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると
 言われています。
 弘化3年(1846)に建立された、正面三間、側面三
 間、切妻造、妻入、銅板葺の建物です。 諏訪大神
 の神馬の屋形で明治以降は御幣を立てた銅製の
 神馬と木製の神馬が安置されています。
 元禄6年(1690)に建立された、正面三間、側面三
 間、背面五間、切妻造、銅板葺の建物です。 幣拝
 殿が恒例祭事や重要神事を執行する場所であるの
 に対して勅願殿は個人私事の祈願を行う場所です。
 片倉館 長野県諏訪市湖岸通り4−1−9
 片倉館は、シルクエンペラーと称され、諏訪湖周辺を本拠地として製糸業を営んだ片倉財閥により地域住民に厚生と社交の場を供するため建設した温泉施設で、
 昭和3年(1928)に竣工されました。 片倉館の建築は、独創的な意匠をもち、近代におけるわが国建築家による洋風意匠の展開を示す建築のひとつとして重要な
 建物で、実業家の手による最初期の公共の福利厚生施設として高い歴史的価値を有しています。
 片倉館 会館  片倉館 渡廊下  片倉館 浴場
 会館は急勾配の切妻屋根とタイル張の外壁とし、要
 所に尖塔をたてるなど変化に富んだ外観です。
 内部は150畳敷の大広間を中心とした伝統的な和
 風のつくりになっています。 昭和4年(1929)に建
 てられた、木造一部鉄筋コンクリート造、建築面積
 574.68u、2階建、切妻造、妻入、正面車寄付
 、スレート葺の建物です。
 渡廊下は左側に建つ「会館」と右側に建つ「浴場」を
 つなぐ廊下です。
 昭和5年(1930)に建てられた、木造、折曲り延長2
 7.3m、両下造、浴場及び会館に接続、スレート葺
 便所及び地下室付倉庫を含む建物です。
 浴場は急勾配の切妻屋根とタイル張の外壁とし、要
 所に尖塔をたてるなど変化に富んだ外観です。
 浴場の内部は、大浴室を中心にステインドグラスや
 彫像などで華やかに飾られています。
 昭和3年(1928)に建てられた、鉄筋コンクリート造
 建築面積649.70u、2階建、地下1階、一部3階
 切妻造、妻入、正面玄関及び八角塔屋附属、八角
 換気塔2所付、スレート葺の建物です。
 貞祥寺 長野県佐久市前山1380−3
 貞祥寺は曹洞宗の寺院で七堂伽藍を整えた禅道場として海外にも知られています。 創建は大永元年(1521)、前山城主伴野貞祥が祖父光利と父光信の菩提を
 弔うため開山したのが始まりと伝えられています。 以来、歴代領主から庇護され、天正15年(1587)には蘆田城主依田康真から銅100貫文、慶安元年(1648)
 には3代将軍徳川家光より朱印15石、慶安2年(1649)には小諸城主仙石秀久よりてら領100貫文など寄進を受け、末寺12ヶ寺を有する寺院として隆盛しまし
 た。
 貞祥寺 惣門  貞祥寺 山門  貞祥寺 三重塔
 惣門は承応2年(1653)に建立された貞祥寺最古の
 建物です。 一間一戸、切妻造、茅葺の薬医門で
 す。
 山門は寛文12年(1672)に建立された、三間一戸、
 入母屋造、茅葺の建物です。
 三重塔は江戸時代後期の天明年間(1781〜89)に
 建立され、明治3年(1870)に小海町の神光寺から
 貞祥寺に移築されたものです。 高さ15.88m、一
 辺3.77m、銅板葺きの建物です。
 白山社社殿
 長野県小諸市大久保2249
 国分寺 本堂
 長野県上田市国分1051
 文殊堂
 長野県上田市西内1368
 釈尊寺(布引観音)本堂から観音堂に向かう途中、
 崖の洞窟に祀られています。 この社殿は御牧原の
 白山地籍よりここに移築されたといわれています。
 一間社春日造、こけら茸、破風、木連格子の建物で
 室町時代中期を下らない時代の特徴を良く表してい
 ます。
 釈尊寺観音堂宮殿−国指定重要文化財
 信濃国分寺は天台宗の寺院で、本堂は薬師堂と呼
 ばれています。 万延元年(1860)に建立された、桁
 行六間、梁行四間、入母屋造の建物です。 母屋の
 まわりに一間の庇をつけているので二階建てのよう
 に見えます。 本堂は近世の堂としては東信地方最
 大で、向拝の彫刻にみられる鋭い彫りや虹梁の複
 雑な絵様などに江戸時代末期の特徴が見られます
 。
 三重塔−国指定重要文化財
 文殊堂は鹿教湯温泉の奥にあり、現在は曹洞宗の
 天竜寺に属しています。 宝永6年(1709)に建立さ
 れ、初めは正面、側面とも、柱4本の正方形の建物
 でしたが、後に背後に下屋庇をつけ、現在は側面の
 柱は5本になっています。 屋根は銅板葺、入母屋造
 で、正面中央の向拝や欄間に多くの彫刻が施されて
 います。
 生島足島神社 長野県上田市下之郷701
 生島足島神社は、万物に生命力を与える「生島大神」と、万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られる信濃屈指の古社です。 また、日本の中央にあること
 から「日本総鎮守」とも称されています。 創建時期は不明ですが、平安時代初期の大同元年(806)には平城天皇の神封戸の寄進があったとされているため、古
 来から存在していたと思われます。 延喜式神名帳では「名神大社」に列しています。
 夫婦欅−その他の古木
 歌舞伎舞台  摂社諏訪社本殿  摂社諏訪社門
 歌舞伎舞台は明治元年(1868)に建造された、間
 口9間、奥行6.5間、木造平屋建、桟瓦葺、切妻
 造の建物です。 県内で現存する舞台では最大級
 で、舞台中央に直径約15尺(4.5m)の回舞台が
 あります。
 諏訪社本殿は慶長15年(1610)に上田藩主真田
 信之によって建立された、間口2.8mの一間社流
 造で、銅板葺(元こけら葺)の建物です。
 本殿手前にある門も本殿と同時期の建築と考えら
 れます。 当初は内部に床を張った「御門屋」形式
 をとっていたことが確認できます。 この形式の門と
 しては県内最古です。
 日吉神社 本殿
 長野県小県郡青木村殿戸神門416
 旧松本カトリック教会司祭館
 長野県松本市開智2−6−24
 白岩観音堂
 長野県茅野市塚原2−8−2 惣持院
 日吉神社本殿は、室町時代中期の建築と推定され
 ています。 五間社流造、桟瓦葺、見世棚造の建物
 です。 また、正面の扉が一つだけという珍しい構造
 を持っています。 長野県内では、中世と近世を通じ
 て五間社以上の規模を持つ神社本殿はこれ以外に
 はありません。
 大杉−青木村指定天然記念物
 明治21年(1888)に建てられた、木造二階建、桟瓦
 葺、建築面積102.64uの建物で、現存する長野
 県内最古の西洋館です。 アーリーアメリカン風の建
 築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、1、2階とも
 ベランダを備え、外壁に下見板張りを施すなど、西
 洋館の特徴を表しています。
 白岩観音は古くから諏訪七観音の1つとして信仰さ
 れてきました。 元禄年間(1688-1703)に藩主の諏
 訪忠虎の命により永明寺山中腹から現在地に移さ
 れました。 現在の観音堂は安永3年(1774)に再
 建されたもので入母屋、銅板葺、三間四面、正面に
 は軒唐破風を設え細部には鳳凰や唐獅子、漠など
 の彫刻が施されています。
 玄照寺 三門
 長野県上高井郡小布施町大島90−1
 普願寺 本堂
 長野県須坂市小山353
 普願寺 鐘楼
 長野県須坂市小山353
 玄照寺は、天正年間(1573-1591)に創建された
 曹洞宗のお寺で、北信濃十三佛霊場第二番札所
 です。 三門は、寛政11年(1799)に建立された
 桁行三間、梁間二間、上層屋根は入母屋、下層
 は四柱屋根の楼門形式の建物です。
 普願寺は鎌倉時代に埼玉県秩父に創建され、文明5年(1473)に現在地に移った浄土真宗西本願寺派の
 お寺です。 
 本堂は延享4年(1747)に建立された県内浄土真
 宗寺院の中で最大規模の本堂です。
 鐘楼は嘉永4年(1851)に建立された建物です。
 新海三社神社 西本社
 長野県佐久市田口2329
 新海三社神社 中本社
 長野県佐久市田口2329
 大宮諏訪神社 本殿
 長野県佐久市入沢3015
 事代主命が祀られている社殿です。 元禄12年(16
 99)または元禄13年(1700)に建立された二間社流
 造、銅板葺、切妻造、平入りの建物です。
 建御名方命が祀られている社殿です。 元禄12年(
 1699)または元禄13年(1700)に建立された一間社
 流造、銅板葺、切妻造、平入りの建物です。
 宝暦9年(1759)の建立と考えられる、間口2.4m
 、二間社流造、こけら葺の建物です。 細かい格子
 を巡らせた覆屋によって周りからはほとんど見るこ
 とができません。
 三重塔・東本社−国指定重要文化財、ケヤキ・サワラ・御神木(欅)−古木
 三条神社 本殿
 長野県佐久市入沢3077−3
 倉沢薬師堂 本堂
 長野県佐久市前山505−1
 倉沢薬師堂 宮殿
 長野県佐久市前山505−1
 享保4年(1719)の建立と考えられる、間口2.5m、
 二間社流造、こけら葺の建物です。
 明和5年(1768)に再建された間口14.09m、奥行
 12.82m、入母屋造、鉄板葺の五間堂です。
 安永6年(1777)に建立された高さ2.68m、幅1.
 11m、奥行0.78mの宮殿で、薬師堂内陣に安置
 されています。
 吉祥寺 山門
 長野県佐久市入沢3303
 自成寺 山門
 長野県南佐久郡佐久穂町余地1060
 奥村土牛記念美術館 本館
 長野県南佐久郡佐久穂町穂積1429−1
 吉祥寺は曹洞宗の寺院です。 天文9年(1540)武
 田信玄が大法要を行いました。 慶応4年の火災に
 よって山門だけが残りました。 山門は宝暦年間(17
 51-1763)に建立された間口11尺、切妻造、銅板葺
 (もと茅葺)の四脚門です。
 自成寺は曹洞宗の寺院です。 山門は元禄16年(
 1703)に建立された間口7.5m、奥行4.6mの三間
 一戸、入母屋、金属板葺き(元茅葺)の楼門です。
 上層には十六羅漢像と観音菩薩像が下層には仁王
 像が安置されています。
 黒澤合名会社の社屋として昭和2年(1936)に建てら
 れたものです。 木造二階建ての建物です。
 奥村土牛記念美術館 事務管理棟
 長野県南佐久郡佐久穂町穂積1429−1
 奥村土牛記念美術館 離れ
 長野県南佐久郡佐久穂町穂積1429−1
 奥村土牛記念美術館 土蔵
 長野県南佐久郡佐久穂町穂積1429−1
 木造平屋建ての建物です。  昭和22年から26年までの4年間、奥村土牛画伯が
 疎開して住んでいました。 木造二階建ての建物で
 す。
 土蔵造の建物です。
 諏訪神社
 長野県南佐久郡北相木村宮ノ平2244-3
 京窟観音
 長野県南佐久郡北相木村京の岩
 諏訪神社 本殿
 長野県南佐久郡南相木村和田
 諏訪神社は永禄11年(1568)に建てられました。
 建築様式は柿葺二間社流れ造の建物で、室町時代
 後期の建築様式を残しています。
 宮ノ平のイチイの木−村指定天然記念物
 経窟山円通閣ともいい佐久33番観音札所の17番
 札所で、南向厄除観世音として、別所の北向観音と
 ともに古くから信仰を集めていました。
 本堂は天明6年(1786)に再建されたものです。
 諏訪神社は鎌倉時代後期から室町時代初期に造営
 された神社です。 本殿は明治11年(1878)の建立
 です。
 欅−その他の古木
 旧役場庁舎
 長野県南佐久郡南相木村中島3488
 前山塩野神社 拝殿
 長野県上田市前山1681
 前山塩野神社 本殿
 長野県上田市前山1681
 近年まで全国で唯一の茅葺屋根の庁舎として有名
 だった建物です。 幕末から明治初期には「神楽殿」
 と呼ばれ歌舞伎が行われていました。 その後学校
 から役場へ転用され、現在は民俗資料館として活用
 されています。 天保3年(1832)にに建立された木
 造茅葺きの建物です。
 塩野神社は塩野川の水源である独鈷山の鷲ケ峰
 に祭ったのが始まりと言われています。
 拝殿は「勅使殿」とも言われ、寛保3年(1743)に
 建立された、二階建て楼門、切妻造、銅板葺の建
 物です。 楼門形式の拝殿は、長野県では本件と
 諏訪大社のみで、貴重な建物です。
 本殿は寛延3年(1750)に建立された、一間社流造
 、向拝付、銅板葺の建物です。 軒の垂木だけが朱
 色に着色されています。 彫刻が美しく、小脇の壁
 にある、上り竜、下り竜の透し彫り、向拝住や虹梁
 に刻まれた象、正面、側面の梁や虹梁にある雲形
 などすべて彩色がほどこされた彫刻です。
 常楽寺 本堂
 長野県上田市別所温泉2347
 安楽寺 経蔵
 長野県上田市別所温泉2361
 安楽寺 八角輪蔵
 長野県上田市別所温泉2361
 常楽寺は北向観音を護る本坊として建立された別
 所三楽寺(長楽、安楽、常楽)のひとつで、北向観
 音堂が建立された天長2年(825)に建立された天
 台宗のお寺です。 本堂は享保17年(1732)に建
 立された、間口10間、奥行7間半、寄棟造平屋建
 、木造茅葺の建物です。 正面中央に唐破風の向
 拝を付けています。
 御船ノ松−その他の古木
 安楽寺は鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つで、天平年間(729−749)行
 基の建立とも言われ、また平安時代の天長年間(824−834)の創立とも言われています。 天正16年(15
 88)こ曹洞宗に改められました。 北向観音を護る本坊として建立された別所三楽寺(長楽、安楽、常楽)の
 ひとつです。 八角三重塔−国宝
 経蔵は寛政6年(1794)に建立された、宝形造、銅
 板葺、方3間の土蔵造の建物です。 白壁の土蔵
 造りで、正面の中央に両引の腰板縦連子戸を立て
 、その外側に両開きの防火用の厚い漆喰扉を吊り
 、両側には花頭窓があります。
 八角輪蔵は経蔵の中央部に置かれています。
 八角の太い心柱を軸柱に廻転するように作られたお
 経を読むための書庫です。 回りには両開きの戸が
 八面についた経本棚が設けてあり、中には黄襞版
 の鉄眼の一切経全巻を納めてあります。
 小六柏尾社 社殿
 長野県諏訪郡富士見町境小六11079
 法隆寺の十一面観音堂
 長野県諏訪郡富士見町乙事5187
 御射山神戸八幡社 社殿
 長野県諏訪郡富士見町富士見神戸
 柏尾社は寛永16年(1639)に創立された神社です
 。 社殿は天保8年に建立された、一間社流造、軒
 唐破風付、こけら葺の建物です。
 法隆寺は承応元年(1652)に開基されたお寺です
 が、明治7年に乙事学校創立のため観音堂だけを
 残して取り壊されました。 観音堂は享保7年(172
 2)に建立された三間堂です。
 宝暦12年(1762)に)年に建立された、一間社流造
 、唐破風、こけら葺の建物です。 内陣は左右二室
 に分けて、八幡宮と諏訪明神を祀っています。
 欅−町指定天然記念物
 銕焼地蔵堂
 長野県諏訪郡下諏訪町横町3454 来迎寺
 慈雲寺 山門
 長野県諏訪郡下諏訪町東町607
 慈雲寺 本堂
 長野県諏訪郡下諏訪町東町607
 享保16年(1731)に建立された、三間宝形造で一
 面5.6m、向拝付き、銅板葺の建物です。 5段の
 階の上に切り目縁(高さ95cm)が三面に巡らされて
 います。
 慈雲寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。
 山門は鐘楼門で、安永6年(1777)に建立された建
 物です。 桁行三間、梁行二間の重層楼門造りで
 、二層目は吹き通しになって低い勾欄を巡らし、こ
 こに応安元年(1368)に造られた県宝の梵鐘がかか
 っています。 棟高9.45m、二層目の床面高は3
 .94mで、屋根は銅板葺です。
 慈雲寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。
 本堂は文化3年に焼失したため、同5年(1808)に再
 建されました。 間口十間半、奥行七間半 入母屋
 造、銅板葺の建物です。
 諏訪大社下社春宮 下馬橋
 長野県諏訪郡下諏訪町193
 白狐稲荷神社
 長野県諏訪市四賀普門寺1148
 温泉寺 山門
 長野県諏訪市湯の脇1−21−1
 下馬橋は俗に太鼓橋といいます。 春宮大門の中
 央、御手洗川にかけられた屋根付の反橋です。
 元文年間(1736-41)の修造された諏訪大社の中で
 最も古い建物です。 間口一間、奥行四間、平面積
 32.3u、切妻造り、妻入、銅板葺きの建物です。
 現在この橋を通ることができるのは1年に2度の神
 行行事の神様がお乗りなった神輿だけとなっていま
 す。
 弊拝殿、左右片拝殿−国指定重要文化財
 社叢−町指定天然杵物 
 諏訪湖から流れる中門川と上川の間の中州に建っ
 ています。 嘉永元年に建立された、一間社流造、
 軒唐破風付き、?葺の建物です。 階段五級、三方
 に廻縁をまわし、高欄をつけています。
 温泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、中部四十九
 薬師霊場7番札所です。 高島藩諏訪氏の菩提寺
 です。
 山門は明治3年(1870)に温泉寺が火災で建造物
 を焼失した際、高島城の薬医門を移築しました。
 入口2.52m、奥行1.7m、高さ5m、切妻造の薬
 医門です。
 温泉寺 経蔵
 長野県諏訪市湯の脇1−21−1
 手長神社 長野県諏訪市上諏訪茶臼山9556
 足長神社は、諏訪大社上社末社で旧社格は県社です。 領主・武家や庶民からの崇敬が篤く、高島城の鬼
 門に位置することから諏訪藩家中の総鎮守とされました。 手長の森―市指定天然記念物
 山温泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、中部四十
 九薬師霊場7番札所です。 高島藩諏訪氏の菩提
 寺です。
 経蔵は安永9年(1780)に建立された、間口3間半、
 奥行3間半、土蔵造の建物です。
 手長神社 拝殿  手長神社 旧本殿
 拝殿は天明8年(1788)に再建された桁行一間、梁
 間一間、入母屋造向拝一間付、銅版葺の建物です
 。 海老虹梁の上り龍・下り龍など見事な建築彫刻
 に飾られています。
 旧本殿は宝永6年(1709)の建造された一間社流
 造、銅版葺の建物です。 現在の拝殿の南に弥栄
 神社として祀られています。
 足長神社 長野県諏訪市四賀普門寺5386
 足長神社は、諏訪大社上社末社で、旧社格は村社です。 古くは荻葺きの屋根であったため「荻宮」と呼ばれていました。 「諏訪史跡要項」によると、桑原地域一
 帯が1つの郷であった頃、足長并・手長の両神を合祭していました。 のちに上桑原・下桑原に分れた時、足長神を上桑原、手長神を下桑原に分祭したとされます。
 桑原城跡山腹に鎮座しています。
 足長神社 拝殿  足長神社 本殿  足長神社 舞屋
 拝殿は天保13年(1842)に建立された、桁行三間
 、梁間二間、切妻造、銅板葺で三方に切目録をま
 わし、擬宝珠高欄をつけた建物です。
 本殿は拝殿より一段高い場所にあって、拝殿とは後
 補廊によって結ばれています。 延亨4年(1747)に
 建立された一間社、流造、銅板葺の建物です。
 舞屋は文久2年(1862)に建立された、間口5.7間
 、奥行3.5間、正面開口部上に大きな虹梁を渡した
 建物です。
 諏訪大社上社本宮 宝殿
 長野県諏訪市中洲宮山1
 飯田城桜丸御門(赤門)
 長野県飯田市追手町2ー678
 経蔵寺 山門
 長野県飯田市上郷別府1768
 四脚門の両側に、東御宝殿と西御宝殿の2棟が建
 っています。 御神輿、御神宝を奉安する神聖な神
 殿で、一般的な神社の御本殿に相当します。 寅年
 と申年毎に一殿新しく造り替えます。
 間口5.4m、奥行5.4m、高さ4m、入母屋造、瓦
 葺ベンガラ塗の建物で、宝暦4年(1754)の建立さ
 れました。 鬼瓦には堀氏の家紋「向梅」が使われ
 ています。 明治初年の廃藩置県で飯田城取りこわ
 しの際この赤門だけが移築されず残り、郡役所など
 の正門として使われました。
 この門は飯田城桜丸の門として建立され、宝暦年
 間に現在の赤門が建てられるにあたり家老安富氏
 の屋敷に移築されました。 その後転々とし、経蔵
 寺の門となった飯田城遺構の門です。 一間薬医
 門、切妻造、桟瓦葺の建物で、桃山時代の建立と
 いわれています。
 ふれあい館しらふじ(旧丸田医院) 長野県須坂市須坂32−1
 
 この建物は、須坂藩大手西北隅を固める位置にあり、藩の要職を務めた浦野家が明治初期に新築した家
 屋敷です。
 明治43年に下八町の丸田医師が取得し、昭和の終わりまで開業していました。
 平成11年に須坂市が建物の寄附を受け保存再生しました。
 また、小栗旬主演映画「羊のうた」(2002)のロケ場所として活用されました。
 主屋
 明治8年(1875)頃に建造された木造2階建、建築
 面積163uの建物です。 東西棟の切妻造、桟瓦
 葺、平入で,南面を正面として敷地北寄りに建って
 います。 旧須坂藩勘定奉行の浦野氏が建てたも
 ので、地方の武家住宅の伝統が伺える建物です。
 洋館  土蔵  雑蔵
 明治43年(1910)に建造された木造平屋建、建築
 面積75uの建物です。 東西棟の寄棟造、桟瓦葺
 、妻入で、軒蛇腹は白漆喰塗、他を黒漆喰塗とした
 土蔵造の建物です。 医院開業当時の診療棟です。
 明治8年(1875)頃に建造された土蔵造3階建、建
 築面積20uの建物です。 東西棟の切妻造、桟瓦
 葺で屋敷の北西隅に建ち、南面に庇付の扉口と3
 階窓、東面に2階窓を設けています。
 明治8年(1875)頃に建造された土蔵造平屋建、瓦
 葺、建築面積20uの建物です。 東西棟の切妻造
 、桟瓦葺で西妻に戸口を設けています。 外壁は漆
 喰塗ですが、街路に面した北面は腰を横板張として
 塀との連続性が保たれています。
 長屋門  築地塀  物置
 明治8年(1875)頃に建造された木造2階建、建築
 面積26uの建物です。 南北棟の切妻造、桟瓦
 葺で桁行7mと小さいですが、1階南を門口とし、1
 階北及び2階を物置としています。 外壁は漆喰塗
 です。
 明治8年(1875)頃に建造された延長20mの土塀
 です。 長屋門の左右に延び北側は土蔵に接続し
 ています。 桟瓦葺の小屋根を架けた土塀で、腰は
 磨き漆喰としています。
 明治時代(1868-1911)に建造された木造平屋一
 部2階建、建築面積41uの建物です。 東西棟の
 切妻造、桟瓦葺、妻入、一部2階建の土蔵造の建
 物で、中庭側の下屋を廊下として主屋や洋館と連
 続しています。 元はレントゲン室でした。
 塩屋醸造 長野県須坂市須坂537
 塩屋醸造は、江戸時代に塩問屋として創業し、文化・文政年間(1804-1829)に味噌・醤油の製造を始めた老舗です。
 塩屋醸造店舗及び主屋  塩屋醸造うわみせ  塩屋醸造醤油蔵
 明治時代(1868-1911)に建造された建築面積21
 0uの建物です。 間口6間、奥行11間、木造平
 屋一部2階建、切妻造、桟瓦葺の建物です。 通り
 に面して平入の店舗を置き、奥に居住部分を配して
 います。
 明治時代(1868-1911)に建造された建築面積35
 uの建物です。 桁行3間、梁間3間半、塗屋造2
 階建、平入の切妻造、桟瓦葺の建物です。 店舗と
 醤油蔵の間に建ち、1階は土間と板の間を配して店
 として、2階は元隠居部屋となっています。
 明治時代(1868-1911)に建造された建築面積16
 2uの建物です。 うわみせの右側に建つ、桁行11
 間半、梁間4間規模、土蔵造平屋建、切妻造、桟瓦
 葺、東面、平入りの建物です。
 旧越家住宅 長野県須坂市須坂435−2
 旧越家住宅は、須坂の近代製糸業の発展に尽くした、製糸王と呼ばれた越寿三郎の本邸です。 明治45年(1912)に子息の婚礼に際し旧家の建物を購入し改築
 したものです。 住宅の客座敷は3部屋36畳の広さで、主屋の背後には重厚な切妻造りの土蔵が2棟建ち、繁栄の名残を留めています。 寿三郎の創業した山丸
 組は、最盛期には8千人の従業員を擁する国内屈指の製糸企業でした。
 旧越家住宅主屋  旧越家住宅外蔵  旧越家住宅内蔵
 明治時代(1868-1911)に建造された木造2階建、
 瓦葺、建築面積280uの建物です。 東西に細長
 い南面する建物で、東側の2階建部分と入母屋造
 の中央平屋建部が古く、西側の切妻造部分が増築
 になります。 白漆喰塗の外観です。
 明治時代(1868-1911)に建造された建築面積33
 uの建物です。 南北棟の切妻造、桟瓦葺、平入、
 2階建の土蔵で東面に蔵前庇をつけ、2階窓には
 鉄格子を入れています。 壁は白漆喰塗ですが、腰
 を鉄板で覆っている建物です。
 明治時代(1868-1911)に建造された土蔵造2階建
 建築面積20uの建物です。 南北棟の切妻造、平
 入の土蔵で、壁は荒壁仕上、屋根は桟瓦葺、置屋
 根形式で、正面は重厚な観音扉をつけています。
 ふれあい館まゆぐら(旧田尻製糸)
 長野県須坂市須坂387−2
 諏訪市美術館(旧懐古館)
 長野県諏訪市湖岸通り4−693−8
 諏訪市文化センター(旧北澤会館)
 長野県諏訪市湖岸通り5−12−18
 田尻製糸の繭蔵として建てられた、桁行10間、切
 妻造、桟瓦葺、建築面積145uの3階建土蔵です
 。 外壁白漆喰塗で、各面とも整然と各階の窓を並
 べた繭蔵らしい外観です。
 昭和18年(1943)に建造された建築面積440u
 木造2階建、入母屋造桟瓦葺の建物です。 内外
 ともコンクリート造風の大壁とし、全体を和風意匠
 でまとめています。
 北澤工業株式会社(後の東洋バルブ株式会社)の
 社員の福利厚生施設として昭和37年(1962)に建
 設されました。 鉄筋コンクリート造り3階建の建物
 です。
 丸蔵 長野県諏訪市高島1−8−30
 全国のみそ出荷量の4割を占める長野県。 その1/4(全国の1割)は諏訪で造られています。 寛文2年(1662)に創業した清酒「真澄」の宮坂醸造が大正5年(19
 16)に味噌製造を開始し、有名な「神州一味噌」を作りました。 丸蔵工場は上諏訪市街に立地する味噌及び醤油の醸造所です。
 店舗  吉沢蔵  鰍沢蔵
 店舗は大正7年(1918)に木曽の藪原にあった民家
 を移築したものです。 桁行10m、梁間16m、建築
 面積262u、木造二階建、切妻造妻入鉄板葺で、
 伝統的な民家形式である本棟造の建物です。 一
 階の正背面に深い庇を設け、二階の中央に出窓を
 設けています。
 吉沢蔵は店舗の右隣に建つ桁行31m、梁間10m
 建築面積710u、土蔵造二階建、寄棟造鉄板葺の
 建物で大正時代前期(1912-1918)に建造されまし
 た。 東面に出入口を開き、外壁は漆喰仕上げで腰
 高に竪板を張っています。 正背面に下屋を張り出
 し、北面に平屋建の棟を付属する建物です。
 鰍沢蔵は吉沢蔵の右隣に建つ桁行26m、梁間10
 m、建築面積272u、土蔵造二階建、切妻造鉄板
 葺の建物で大正時代前期(1912-1918)に建造され
 ました。 東面に出入口を開き、外壁は漆喰仕上げ
 で、鉢巻下まで高く竪板を張った建物です。