東京都 99か所(番外2か所)

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  葛飾区
 @ 柴又帝釈天の御神水
    東京都葛飾区柴又7−10−3
   映画「男はつらいよ」の主人公「フーテンの寅」こと車寅次郎のゆかりの寺「柴又帝釈天」は、日蓮宗の
   お寺で、正式名称は経栄山、題経寺といいます。
   二天門をくぐり境内に入ると左側に水場があります。 江戸時代の寛永年間(1624〜1643)に、日栄上
   人が「瑞龍の松」と呼ばれる松の根元から湧き出している水を発見したといわれ、その水がきっかけとな
   り日栄上人はその地に後の題経寺のもとを開くことになったいわれています。 江戸時代から人々はこ
   の水を御神水と呼び、この水を飲んで病気平癒を祈っていました。
   大きな瓶から大量の水が流れ出しています。 どこから湧いているのかと思うほど大量の水です。 とて
   もきれいな水なのですが、ひとくち飲むと微妙な味がしました。 何の味だろう??
 2011年11月 4日訪問

 水量 
  台東区
 A 浅草神社御神水
    東京都台東区浅草2−3−1
   浅草寺境内の右側、二天門のすぐ脇に浅草神社はあります。 「三社様」とも呼ばれ、三社祭で有名な
   神社です。
   拝殿前左側に、浅草寺にふさわしい赤い柱の手水舎があります。 竹筒からは勢い良く水が流れ出てい
   ました。 「この水は井戸水です。飲まないでください。」と書かれています。  口に含んでみるととても
   温かみのある水です。
 2008年 2月15日訪問

 水量 
 B 浅草寺の湧水
    東京都台東区浅草2−3−1 坂東三十三観音札所第13番
   浅雷門をくぐり仲見世通りを歩いて行くと正面に宝蔵門が見えてきます。 宝蔵門をくぐり本堂に向かっ
   て歩いて行くと右側にお水舎があります。 高村光雲作の沙竭羅竜王像の足元の竜の口から水が流れ
   出ています。 このお水舎はおそらく水道水と思われます。
   しかし、二天門と弁天堂の間にある公衆トイレの両脇に2つの水場があります。 左側の女性トイレ入口
   には黒っぽい瓶のような水場が、右側の男子トイレ入口には茶色い石のような水場があります。 両方
   とも「のめません」の張り紙がしてあり、境内前の御神水と同じような温かみのある水でした。
   また、このトイレの斜め前、空地のど真ん中にポツンと手押しポンプが設置されています。 手洗用と書
   かれており、ポンプを押すと勢い良く水が流れ出てきました。
 2008年 2月15日訪問

 水量 
 C 浅草寺鎮護堂の湧水
    東京都台東区浅草2−3−1
   おたぬきさまで親しまれている鎮護堂は、浅草寺境内に住み着いた狸の乱行を鎮めるため、伝法院正
   面脇に同院の鎮守として、狸社を祀ったことが始まりといわれています。
   門をくぐるとすぐ右側に水場があります。 龍の口から細々とですが水が流れ出ていました。
   また鎮護堂から見える伝法院の池も湧水でできているそうです。
 2008年 2月15日訪問

 水量 
 D 弁慶鏡ケ井戸
    東京都台東区池之端1−6 境稲荷神社
   東京大学池之端門の左側にあります。 ポンプを操作すると、勢い良く水が流れ出てきました。 脇には
   「このみずをのんではいけません」と書かれた案内板があります。
   説明書きには「源義経とその従者が奥州へ向かう途中に弁慶が見つけ、一行ののどをうるおしたと伝え
   、「江戸志」など江戸時代の史料にも名水として記録がある。 一時埋め戻したが、昭和15年に再び掘
   り出しとくに昭和20年の東京大空襲などでは多くの被災者を飢渇から救った」とあります。
   今でも手押しポンプを押すと、勢い良く水が流れ出てきます。 
 2007年 4月20日訪問

 水量 
  文京区
 E 柳の井
    東京都文京区湯島3−32−4 心城院
   心城寺は、湯島天神のすぐ下、男坂入口にあります。 境内に入り左側、受付前の竹筒から水が流れ
   落ちています。
   「江戸名水、厄除、柳の井」と書いてある案内木の脇には、「江戸文献に、柳の井『この名水にて女の
   髪を洗へば如何ように結ばれた髪もはらはらほぐれ垢落ちる。 気晴れて風新柳の髪をけづると云う心
   にて柳の井と名付けたり』と記されている。 柳の井は古来より水枯れもなく、この名水の由緒により、
   数滴髪に撫でれば、水が垢を落とすが如く、ふりかかる厄難を拂ってくれると伝えている。」と書かれて
   います。
 2007年 4月20日訪問

 水量 
 F 一葉ゆかりの井戸
    東京都文京区本郷4−31−10
   樋口一葉は明治23(1890)年9月から2年11か月(18〜21歳)の間、ここ文京区本郷(旧菊坂町)で
   他人の洗濯や針仕事で生計を立て生活をしていました。 この井戸の水を汲んで使っていたと思われま
   す。
   民家が建ち並ぶ中、この空間だけが時間に取り残されたような印象を感じさせます。
   手押しポンプを押すと、キイキイと乾いた音をさせながら、すぐにきれいな水が流れ出てきます。 
 2007年 4月20日訪問

 水量   
 G 善仁寺の極楽水
    東京都文京区小石川4−13−19 善仁寺
   文京区には小日向と小石川に善仁寺がありますが、ここは小石川にある善仁寺です。 ちょうど極楽水
   のある小石川パークタワーの道路を挟んで反対側になります。
   門をくぐって境内に入ると左側にコンクリートでできたつるべ井戸が見えます。 この井戸は「防災協定井
   戸」に指定されていました。 この井戸の右となりには龍の口から水が流れ出ている水汲み場がありまし
   た。
   すぐ上の看板には「極楽水」と書いてあります。 小石川パークタワーの極楽水と同じ水源なのかもしれ
   ません。
 2007年 4月20日訪問

 水量 
 H 極楽水
    東京都文京区小石川4−16 小石川パークタワー
   「江戸名所記」の極楽の井の条によると、竜女が了誉上人の心に打たれ、報恩のしるしとして名水を出
   したと伝えられています。 ここからこの名水が「極楽水」と呼ばれるようになりました。
   以前は宗慶寺というお寺だったこの場所も、現在は小石川パークタワーという大きなマンションに生まれ
   変わり、極落水はこのマンションの左側に公開空地の中に細々と残っています。 しかし石で囲まれた
   金網の中に水が溜まっているのを確認できるだけで今は汲むことはできません。 また、水が溢れ出し
   て小川となるような設計になってはいますが、ここから流れ出る名水を見ることができるのでしょうか?
 2007年 4月20日訪問

 水量 
 I 観音水
    東京都文京区小日向4−3−11 伝明寺
   藤寺とも呼ばれ、藤棚で有名な伝明寺にあります。 伝明寺の外塀に沿って歩いて行くと伝明寺の敷地
   が切れるあたりの塀が窪んでおり、そこに観音様が祀られています。
   観音様の下に石瓶が設置されており湧水を受けられるようになっています。 しかし水は枯れてしまった
   ようでまったく流れていませんでした。   
 2007年 4月20日訪問

 水量 枯渇
 J 鷺坂の湧水
    東京都文京区音羽1−2−11
   音羽通りの1本裏側の通り(高速の反対側)を鷺坂方向に歩いていくと、左側の土手からパイプが出て
   おり置いてあるバケツに水が流れ出ているのが見えます。 現在はほとんど使われていないようで、緑
   色のコケがびっしりと付着していますが、流れ出ている水はとてもきれいなものでした。  
 2007年 4月20日訪問

 水量 
  港区
 K 御田八幡神社の湧水
    東京都港区三田3−7−16 御田八幡神社
   和銅2年(709)牟邪志国牧岡(現在の白金)に東国鎮護の神として鎮祀されました。 寛永5年(1628)
   現社地に遷座。 明治7年(1874)には三田八幡神社と改め、さらに明治30年(1897)、御田の旧称に
   復し御田八幡神社となりました。 昭和20年(1945)5月、米軍の無差別爆撃により社殿炎上し、昭和2
   9年(1954)に再建されました。
   社殿に上る階段左側の暗がりに小さな堀があり、龍の口から水が流れ出ていました。 龍は金網で覆
   われており、堀があるため水汲みは難しいです。 また、会社の建物の裏側にあり、日も当たらず荒んだ
   感じでした。
 2007年 5月17日訪問

 水量 
 L 道往寺の井戸
    東京都港区高輪2−16−13 道往寺
   江戸三十三箇所(東京都内にある33箇所の観音札所)の27番にあたるお寺です。 第一京浜から少し
   奥に入ったところにあります。 少し脇道に入っただけで、港区とは思えないような静かな佇まいにめぐり
   合えます。
   階段を上がると門から寺社に続いている通路が見えます。 その右脇の茂みの中に竹で覆われた井戸
   がありましたが、竹筒からは水は流れていませんでした。
 2007年 5月17日訪問

 水量 枯渇
 M 柳の井戸 「東京の名湧水57選(No.1)」
    東京都港区元麻布1−6−21 善福寺参道
   弘法大師が鹿島大明神に祈願して柳の下に錫丈を突き立てたところ清水が湧き出し、そのため鹿島神
   社の七つの井戸のうち一つは空になってしまったと言われています。 また、聖人が柳の小枝で地面を
   払ったら湧き出したとも伝えられています。
   善福寺に向かって歩いていくと、参道右側に柳の木が見えます。 柳の下に石組みがあり、その中の平
   たい石の真ん中から水が流れ出ていました。 湧水と感じさせる生温
   かい水でした。
 2007年11月21日訪問

 水量 
 N 善福寺の井戸
    東京都港区元麻布1−6−21
   善福寺は天長元年(824)、弘法大師は関東一円に真言宗を広めるために、高野山に模して開山された
   お寺です。 都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院です。
   現在の本堂は、慶長12年(1607)に徳川家康が東本願寺八尾別院本堂として建立したものです。
   善福寺の階段を上り中門をくぐるとすぐ左側にあります。 墓参りの方たちの水汲み場となっています。
   ポンプを押すと勢い良く水が出てきました。 柳の井戸の水に比べ冷たく感じる水でした。
 2007年11月21日訪問

 水量 
  品川区
 O 一粒萬倍の泉 「新東京百景No.30」
    東京都品川区北品川3−7−15 品川神社
   後鳥羽天皇の御世、文治3年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房
   国の洲崎明神である天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して品川大明神と称し、今は社名を
   品川神社と改めました。
   この品川神社境内奥にある「阿那稲荷社」の中に「一粒萬倍の泉」があります。 「万物は天、地、水の
   恵みを受けて生成化育し、米は一粒の種より萬倍の稲穂となる。 当稲荷社は上社は天の恵の霊を、
   下社は地の恵の霊と霊水をお祀りする。 家門、家業の繁栄を祈り、印鑑、銭にこの霊水をそそぐが吉。
   また、持ち帰りて家、店の入口、四角にそそぎ、清く明るき心を持って暮らし、商売するが吉。 そそぎし
   銭の一部は門前の商家にて使用するが吉。」と書かれています。
   また、境内にも手水舎があります。 龍の口から水が流れ出ているのですが、その横には河童の像が
   ありました。
 2007年 7月 5日訪問

 水量 
 P 本光寺の井戸
    東京都品川区南品川4−2−8
   京浜急行新馬場駅から第一京浜を南に進み、目黒川を渡ると右側に広い境内の本光寺が見えてきます
   。 山門をくぐり本堂に向かうと、参道の中間くらいの右側に手押しポンプが見えます。 現在も活躍して
   いるようで、1回押しただけで勢いよく水が流れ出てきました。
 2007年 7月 5日訪問

 水量 
 Q 大井の水神(柳の水)
    東京都品川区南大井5−14−9 水神社
   水神社は、JR京浜東北線の線路脇の住宅街の一角にひっそりと建っています。 案内板には「この大
   地の末端から湧き出していた地下水は、かつては村民が飲み水や農業用水に利用していたため、豊か
   な水の供給を願ってここに水神つまり九頭龍権現を祀ったのが始まりである。 祀られた時代は貞享2
   年(1685)。 この湧き水は柳の水と呼ばれ、日照りのときはここで雨乞いをした。 また本社は歯痛を止
   めるご利益もあったと伝えられる。」とあります。
   狭い境内の池の脇に龍の口から水が流れ出ている手水舎がありました。 また小さな祠の脇の岩の間
   からも水が流れ出ていました。
 2007年 7月 5日訪問

 水量 
 R 大井の井
    東京都品川区大井6−9−17 光福寺
   品川歴史館を入った民家の中に光福寺があります。
   この光福寺の本堂裏、墓地の奥に大井の井はあります。 案内板には、「寺伝によれば、了海上人(鎌
   倉時代の親鸞聖人門下の関東六老僧)の父が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が懐妊し男子(
   了海)を出産した。 その時境内にこつ然と泉が湧き出したので、この泉を産湯として使い泉を大井と命
   名した。」とあります。 大井の地名はこの泉に由来すると伝えられています。
   大井の井は横穴式の古い形をした井戸ですが、現在は水はまったく湧いていません。
   しかしここの境内の墓地入口には手押しポンプの井戸があり、1回押しただけで勢いよく水が出てきまし
   た。
 2007年 7月 5日訪問

 大井の井 枯渇
 水量  (井戸)
 20 大井、原の水神池
    東京都品川区西大井3−1
   JR西大井駅の南東側の住宅街の中にあります。
   案内板には「武蔵野台地の末端部に位置するこの湧水池は、むかし原・出石などの農家が、出荷する
   野菜を洗った洗い場であった。 水神社は、農耕や日常生活に欠かすことのできない水を確保し続けた
   いという願いから、地元の人々が祀ったものである。 清く澄んだこの池の水は、眼病を治すのに効果が
   あるといわれ、治るとそのお礼に鯉を放ったという。」と書かれています。
   この池の後ろの高台には小さな水神社の祠と鯉塚が建てられていました。 この池は全面金網が張られ
   て立ち入ることができません。 池奥の崖面からは今も豊富な水が流れ出ていました。
 2007年 7月 5日訪問

 水量 
 21 氷川の滝(氷川の懸泉)
    東京都品川区西五反田5−6−3 氷川神社
   素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀るこの神社は桐ヶ谷村の総鎮守。 創立年代は定かではありませんが
   、元禄年間(1688〜1704)にはすでにあったことが記録に残っています。
   石段をのぼったところにある社殿は昭和13年(1938)竣工の桧の権現造です。
   このあたりの地は武蔵野台地の末端にあたり湧き水が多くありました。 「氷川の滝」はかつて都内7暴
   布の1つとして水量を誇っていましたが、今は水量も乏しく、わずかに残る小さな筧に往時がしのばれま
   す。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
 氷川神社石段
 この石段上り口左に小さな筧が、右側奥には現在
 水量の乏しくなった「氷川の滝」があります。
 氷川の懸泉(筧)
 上の筧を伝ってきた水が下の丸鉢に流れ落ちています。
 氷川の滝
 現在は、写真中央の柱から水が滴り落ちて小さな
 池に流れ込んでいます。
 手水舎
 石段を上った社殿前手水舎があり、こんこんと水が
 湧き出ていました。
 手水舎の龍
 龍の口から水が流れ出ています。 いたずら防止
 のためか金網ネットがかぶせてありました。
 22 安養院の湧水
    東京都品川区西五反田4−12−1 安養院
   平安の初め、天台宗第三世慈覚大師によって開かれた、寝釈迦(涅槃像)で有名なお寺です。
   目黒側にある山門を入り右手のほうに進んで行くと、高さ30センチくらいの仏様が彫ってある小さな鉢
   を見つけることができます。 この鉢の上方の岩の間からポツンポツンと水が滴り落ちていました。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
  目黒区
 23 目黒不動尊(龍泉寺)の御神水
    東京都目黒区下目黒3−20−26 目黒不動尊
         「東京の名湧水57選(No.4)」「新東京百景No.33」
   今から一千百余年前の平安時代(808年)、15歳の慈覚大師・円仁が故郷の下野国(栃木県)から比
   叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。 その夜の夢中、大師の枕の
   上に立ち現れた神人の像を彫刻して安置したのが創まりです。 その後、大師は唐の長安を訪れ青竜
   寺の不動明王を拝し、この神人が不動明王であることがわかり帰朝して堂宇を建立しました。
   関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動の一つに
   上げられます。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
 A 独鈷の瀧(龍御神水)
 堂宇建立の敷地を定めるに当たり、大師が所持の法具「独鈷」を投じた浄地より湧出した「独鈷の瀧」の流
 れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、不動行者の洗心浄魂の場として、今日に至るまで
 滔々と漲り落ちています。
 当日は工事中で、池の水が抜かれていました。 しかし2つの龍の口からは1200年間涸れることのない
 水が脈々と流れ出ていました。 
 B 水かけ不動尊
 目黒のお不動さまと諸願成就の縁を結び大願が円
 成するよう身代わりとなって水を浴びてくださる不動
 明王です。工事のため水かけ不動尊の石鉢の水は
 止まっていました。
 C 垢離堂の水
 青龍大権現を祀っている「垢離堂」の前にある水場
 です。
 D 御神水水汲み場
 垢離堂の脇に水汲み場があります。 貯水槽から
 蛇口が2か所出ており、水を汲みやすいようになっ
 ていました。
 E 本居長世碑の湧水
 本居長世の碑の脇に小さな流れがあり、石の間か
 ら水が湧き出ていました。
 F 女坂の御神水
 女坂の上り口左側に鯱のようなものがあり口から
 水が流れ出ていました。
 G 手水舎
 大本堂前にある手水舎です。 小さな龍の口からは勢いよく水が流れ出ています。
 H 弁天堂の御神水
 上弁天堂脇にも水場がありました。 しかし柵で囲
 われており入ることができませんでした。
 I 弁天堂池(左)
 弁天堂に向かって左側の池には、3本の筒先から
 水が注いでいます。
 J 弁天堂池(右)
 弁天堂右側の池には、小さな祠の下の岩場から水
 が注いでいました。
 24 羅漢寺川跡の湧水
    東京都目黒区下目黒4−22
   目黒不動尊の少し先に、人がひとりやっと通れるくらいの細い路地があります。 ここには羅漢寺川が流
   れていましたが大雨のたびに水があふれるので、地下に遊水溝を作り埋め立ててしまった跡地です。
   この水路跡の崖より湧出した水をパイプを通して使えるようにしてあります。 しかし今はだれも使ってい
   ないようでパイプにはびっしりと緑色の苔が付着していました。 しかし水はとてもきれいなものでした。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
 25 神泉
    東京都目黒区中目黒3−10−5 中目黒八幡
   建立時期は不明ですが、江戸幕府が八幡信仰により農民との融和を深めるべく八幡神社建設を奨励し
   た寛文時代(1660年頃)と推定されています。
   参道階段の右側に鉢があり、上部の岩穴から水が流れ出ています。 水は普段は岩表面を流れ落ちて
   いるのですが、時折勢いよく噴き出します。 この水場の脇に「神泉」と彫られた石碑がありました。 ここ
   の脇にある池も湧水でできているようです。
   参道階段を上ると、本殿脇に手水舎がありました。 この手水舎、中心に岩が備え付けられ、その岩の
   頂部の穴から水が湧き出ていました。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
 26 浄桂院の湧水
    東京都目黒区中目黒5−24−48 浄桂院
   祐天寺の脇にある浄土宗のお寺です。 門を入りすぐ右側の門扉の陰に大きな鉢が置いてあります。
   地面に突き立った竹筒から水がポトンポトンと滴り落ちていました。
 2007年 6月12日訪問

 水量 
 27 鳥森泉
    東京都目黒区上目黒3−39−14 鳥森稲荷
   この神社の創立年月は不明ですが、歴史はかなり古く、寿福寺の境内に祀ってあった稲荷神をこの地
   に移したと伝えられています。 また、その昔、宿山の稲荷講の人達が江戸新橋の烏森稲荷へ参拝に
   行った時に、狐が白い馬になってついてきたのでそれを祀ったのが始まりと言う伝説もあります。
   境内左側に手水舎があり、塀から狐の顔が出ています。 以前はこの狐の口から水が流れ出ていたの
   でしょうが、当日はまったく水が出ていませんでした。 上方でマンション工事が行われていたので、その
   影響でしょうか?
 2007年 6月12日訪問

 水量 枯渇
  中野区
 28 白龍権現水
    東京都中野区新井5−3−5 梅照院(新井薬師)     「新東京百景No.43」
   鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなか、薬師如来と如意輪観音の2体の御尊像を納めたお城の
   仏間から忽然と光が放たれ、御尊像は消え失せてしまいました。 その後、行春という僧が新井の里を
   訪れて草庵を結びました。 すると、庭の梅の古木から光が出るという現象が起こり、天正14年(1586
   )3月21日、その梅の木の穴から御尊像が発見されました。 この御尊像を安置するために、行春が新た
   にお堂を建立したのが梅照院の始まりといわれています。
   一般には「新井薬師」としてのほうが名前が通っているこの梅照院の境内右側に水場があります。 ひ
   とつは参拝前のお清め用の水場です。 これは蓮の葉のオブジェから水が湧き出ています。 そしてもう
   ひとつはこの水場の裏側、鐘付き堂との間に井戸があり、そこに蛇口がついておりここから水を汲むこと
   ができます。 平日の13時ころにもかかわらず、ひっきりなしに水を汲みに来ている人がいました。
 2007年 4月27日訪問

 水量 
  杉並区
 29 御神水(波動水)
    東京都杉並区大宮2−3−1 大宮八幡宮
   天喜年中(1053〜57)。 奥州に乱が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義の軍が
   この地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびき、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景と
   なりました。 源頼義は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜び、乱を鎮めた暁には必ずこの
   地に神社を構えることを誓って武運を祈り出陣しました。 そして奥州を平定した後の康平6年(1063)、
   京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて神社を建てたという由来があります。
   御神水は表参道を進み、神門手前の左側、石でできた小さな鳥居(多摩清水乃社)の中にあります。 
   看板には「延命長寿、厄除開運の泉 御神水(波動水)」とあります。 石板に龍口が埋め込んであり、
   右の蛇口をひねると勢い良く水が出てきます。 給水時間は、夏期6時〜18時、冬期6時〜17時になっ
   ており一人2リットルのペットボトル3本までと注意書きがあります。
 2007年 4月27日訪問

 水量 
  調布市
 30 深大寺の井戸(不動の瀧)
    東京都調布市深大寺元町5−15−1
               「東京の名湧水57選(No.28)」「新東京百景No.65」
   深大寺の名称は、仏法を求めて天竺を旅した中国僧玄奘三蔵を守護したとされる神「深沙大将」(じんじ
   ゃだいおう)にちなんでつけられたと伝えられています。 天平5年(733)満功上人が法相宗の寺院とし
   て開創し、開創から100年後の貞観年間、天台宗に改宗。 関東では浅草の浅草寺に次ぐ古刹になり
   ます。
 2007年 4月27日訪問

 水量 
 A 五大尊池の瀧  B 深大寺の井戸  C 釈迦堂の湧水
 本堂左側の崖から2段の瀧になって五大尊池に水
 が流れ落ちています。
 本堂前にコンクリートの筒状の井戸がありそこから
 きれいな水が流れ落ちています。(水汲み可能)
 釈迦堂脇に池があり、そこに竹筒が突き出ており、
 2m位の高さから水が流れ落ちています。
 D 山門脇の瀧  E 開運不動堂の水  F 不動の瀧 名湧水57選
 山門を出てすぐ右側に窪地になった池があります。
 2体の龍の口から水が流れ落ちています。
 山門を出て左に行くと開運不動堂があります。 階
 段を上がりすぐ右側に水場があります。(水汲み可
 能)
 開運不動堂脇にあります。 しかし2体の龍からは
 チョロチョロ程度しか水は出ていませんでした。
 G あめや横湧水  H 水神苑の瀧  I 一休庵の水車
 山門前の小川の流れの原点です。 山門を出て右
 に行った甘味あめやの店脇にあります。(水汲み可
 能)
 山門を出て右に行った水神苑の中庭に大きな瀧が
 あり、さらに筒先から水が出ています。 店の敷地
 内で立ち入り不可。
 甘味あめやの隣にある一休庵というそば屋の店先
 に水車があり、水が勢い良く流れ出ていました。
  小金井市
 31 貫井神社の神水 「東京の名湧水57選(No.29)」
    東京都小金井市貫井南町3−8−6
   貫井神社の建立は、天正18年(1590年)この湧水の出る景勝の地に、水の神である水神様を貫井弁財
   天と称し、氏神さまとして祀ったのがはじまりです。 明治維新の神仏分離令例祭により、明治8年(187
   5)厳島神社と改称、更に貫井村字一ノ久保鎮座の貫井神社を合祀、以降村社貫井神社と称しました。
   小金井の名前の由来ともなっている湧水です。
   貫井神社に着くと、まず階段下の柱右側にある青色バケツに流れ落ちる湧水が出迎えてくれます。 左
   側には池があり、その奥に高さ1mくらいの滝が見えます。 階段を上り鳥居をくぐると左右にきれいな水
   を蓄えた池が見えます。 本殿の左側に小さな流れがありそれを辿って行くと、大きな岩の崖下の洞窟
   上の場所から水が湧き出ていました。 残念ながら「飲料水として適しません」という看板がありました。
 2007年 6月 4日訪問

 水量 
  稲城市
 32 穴澤天神社御神水 「東京の名湧水57選(No.48)」
    東京都稲城市矢野口3292
   主祭神は、少彦名大神を御祀りした社です。 創立は孝安天皇4年3月で、後に元禄7年に社殿を改修し
   、菅原道真公を合祀しています。 現在の社殿は昭和61年12月に修復されたものです。
   京王よみうりらんど駅前を新宿方面に少し進むと、右側に線路をくぐり上って行く細い道があります。
   ここを上ると穴澤天神社への参道になります。
   境内に辿り着くと本殿右 側に手水舎があります。 龍の口から水が流れ出ていました。
   境内手前の左側に崖を降りて行く階段があります。 ここを下りきった所に御神水の水場がありました。
   石垣に埋め込まれた青いビニールパイプから水が流れ出ています。
   また、水場右側の鳥居の奥には2つの洞窟がありました。 洞窟の中の壁面は酸化鉄で赤く染まってお
   り天井からは絶えず湧水が滴り落ちていました。 
 2007年11月 9日訪問

 水量 
  国分寺市
 33 お鷹の道/真姿の池湧水群
                「日本の名水百選」、「東京の名湧水57選(No.38)」
    東京都国分寺市西元町1-13
   JR西国分寺駅から歩いて20分ほどのところにある静かな散策路。 湧き出る水が住宅街をぬうようにし
   て水路となって流れ、雑木林や水草を育んでおり、東京とは思えない趣きのある場所です。
   水汲みにひっきりなしに人が訪れていますが、近くに駐車場はありません。
   江戸時代寛延元年(1748)より国分寺市内の村々は、尾張徳川家の御鷹場に指定されており、地元では
   崖下の湧水を集めた清流沿いの小径をいつの頃からか「お鷹の道」と呼ぶようになりました。
   真姿の池の名の由来は、嘉祥元年(848)、不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国
   分寺を訪れ21日間参詣すると、一人の童子が現れ小町をこの池に案内し、この水で身を清めるように
   言って姿を消したので、そのとおりにしたところ、たちどころに病は癒え、元の美しい姿に戻ったという伝
   説からこの名がつけられました。
 2007年 6月 4日訪問

 水量 
 34 万葉和歌の泉
    東京都国分寺市西元町1-13-16(国分寺万葉植物園) 「新東京百景No.71」
   聖武天皇は741年に国状不安を鎮撫するため、各国に1つずつ国分寺と国分尼寺の建立を命じられまし
   た武蔵国分寺はその命により武蔵の国に建立された寺院です。 武蔵国分寺は焼失しましたが、 江戸
   時代の社寺保護政策により徐々に復興され、1733年に本堂が建立されました。 現在の本堂は昭和
   62年に改築されたものです。 門前に市指定重宝の楼門があり 、境内には薬師堂、文化財保存館、万
   葉植物園があります。
   万葉植物園は、国分寺が栄えていたころに編さんされた「万葉集」より、当時の歌人たちが好んで歌の
   題材とした植物を集めて作られたものです。
   この庭園の右側、たくさんの植物が植えられた中に小さなせせらぎがあり、石でできた樋からきれいな
   水が流れ出ていました。
 2007年 6月 4日訪問

 水量 
  国立市
 35 常盤の清水 「東京の名湧水57選(No.40)」
    東京都国立市谷保5208 谷保天満宮
   社伝によると、903年(延喜3年)に菅原道真の三男・道武が、父を祀る廟を建てたことに始まり、養和年
   間(1181)頃に現在地に遷座したといわれています。 東日本最古の天満宮で、亀戸天神社、湯島天満
   宮と合わせて関東三大天神と呼ばれています。 甲州街道から石段を下って境内に入っていくという天
   満宮としては珍しい構造となっており、本殿は流造で寛永年間(1624〜1643)の造営と伝えられていま
   す。
   国道20号線から鳥居をくぐり、うっそうとした社叢の中を歩いて行くと、左側に手水舎が迎えてくれます。
   そして階段を下り境内に向かって行くと、階段下の左側に2mくらいの石のオブジェがあり、そこから滝の
   ように水が流れ落ちています。 さらに拝殿奥の「厳島神社」間で行くとさらに水が増えます。 厳島神社
   は透明度が高く底まではっきりと見ることのできる湧水の池で囲まれています。 入口には竹の先から
   水がポトリポトリと落ちている水場がありました。 またお社の裏の階段を下りたところに「常盤の清水」
   がありました。 向かい側にも細長い池があり、茶色い石碑側から水が湧き出ているのがはっきりと見
   えます。
 2007年 8月 8日訪問
 2008年 4月25日再訪

 水量 
 拝殿と社叢  常盤の清水  階段脇の滝
手 水 舎
 厳島神社と池
 厳島神社入口の水場  厳島神社向かい側の池
  武蔵村山市
 36 瀧の入不動尊の湧水 「東京の名湧水57選(No.47)」
    東京都武蔵村山市三ツ木5−9−5
   旧青梅街道を青梅方向へ。 市役所西の交差点を過ぎしばらく行くと瀧の入不動尊の案内板が見えま
   す。 そこを右折。 湧水は建物右側を奥に進んだところにあります。
   この湧水は狭山三滝のひとつ「白糸の滝」と呼ばれているもので、古くから御神水として尊ばれていまし
   た。
 2006年12月 2日訪問

 水量 
  立川市
 37 矢川緑地 「東京の名湧水57選(No.22)」
    東京都立川市羽衣町3−26
   羽衣町の南端に位置し国立市と隣接する、貴重な自然の残る約2.1haの緑地です。 この緑地は、立
   川段丘崖下から湧き出る水を水源とし、甲州街道を横断し、青柳段丘崖先で谷保用水に合流する延長
   約1.3kmの矢川を中心としています。 その周辺には湧水が随所に見られます。
   昔を思い起こさせるような雑木林の中に、とても澄んだ水が流れている川があります。 湿地帯の中に
   は涌出場所ではないかと思えるところがありましたが、柵があり近づけませんでした。 しかし矢川には
   、近所の方が洗い場として使っているような川辺まで下りられるようになっている場所が随所にありまし
   た。
 2007年 8月 8日訪問

 水量 
 38 矢川弁財天の湧水
    東京都立川市羽衣町3−29
   矢川緑地と道路を挟んで反対側になりますが、道路が高架になっているのでお互いに見ることはできま
   せん。 民家の門のような入口を入ると正面に小さな鳥居が見えてきます。 境内にある小さな 橋を渡
   るとすぐ左側に大きな石があり、頂部に彫られた穴から勢いよく水が湧き出していました。 少しだけ冷
   たく感じる美味しい水でした。 またこの寺の右側には「龍神之池」と名前の付いた池があり、奥の2本
   のビニールパイプからも勢いよく水が出ていました。
 2007年 8月 8日訪問
 
 水量 
  日野市
 39 仲田親水路の自噴井
    東京都日野市日野本町6−1
   甲州街道(都道256号線)、日野警察署の少し先、奥多摩街道入口交差点を左折すると、左側に「市民
   の森スポーツ公園」が見えてきます。 スポーツ公園前交差点を左折すると、公園とは反対側の歩道脇
   に水路が見えます。 この水路が仲田親水路です。 この水路に沿って歩いて行き突き当たりを右に曲
   がったところに自噴井があります。
   この水路は、玉川から日野用水として水を取り入れたものを、東光寺地区で分水して流れてきているも
   のです。 自噴井はこの水路の水質を保つために常時汲み上げられている井戸水なので、案内板には
   「水質調査で不適合の結果が出ていますので飲用水としてのご使用は控えてください」と書かれていま
   す。 しかしこの水を汲みに来る人たちが絶えないようです。 
 2008年11月17日訪問
 
 水量 
 40 高幡不動尊のお鼻井戸
    東京都日野市高幡733
   国道20号線(日野バイパス)石田大橋を越え、町屋交差点を高幡不動尊方面に左折します。 高幡橋
   を渡り、京王線を越えると高幡橋南交差点です。 この交差点を左折すると右側に高幡不動尊が見えて
   きます。 総門から参道を真っ直ぐに進み大日堂に辿り着きます。 大日堂の左側がこんもりとした山に
   なっておりハイキングコースになっています。 このハイキングコース入口の階段右脇にお鼻井戸があり
   ます。
   建武2年(1335)8月4日夜の台風のため、不動堂が倒れた時、不動尊像が落ちて鼻をついた場所と伝
   えられており、その穴から水が湧き出しています。 また、境内には湧水を利用した弁天池もあります。
   不動堂、仁王門−国重要文化財、旧五部権現社殿−都文化財、サンシュユ−市天然記念物
 2008年11月17日訪問
 
 水量 
 41 善生寺の湧水
    東京都日野市東豊田2−26−3
   国道20号線(日野バイパス)石田大橋を越え、町屋交差点を高幡不動尊方面に左折します。 高幡橋
   手前の交差点を右折し都道159号線を西へ向かいます。 高幡橋の次の橋である一番橋の交差点を
   右折すると右側に善生寺が見えてきます。 しかしこの寺は高架の下になるので、寺に行くためには道
   路を回り込む必要があります。 大きな大仏があるのですぐにわかります。
   境内に入ると右側に池があり鐘楼が見えます。 その先に手水舎があり、竹筒からきれいな水が流れ
   出しています。 また池にも数本のビニールパイプが延びており、そこから大量の水が流れ出ていまし
   た。
 2008年11月17日訪問
 
 水量 
  昭島市
 42 諏訪神社の清泉 「東京の名湧水57選(No.26)」
    東京都昭島市宮沢町2−32−12
   諏訪神社は旧宮澤村の鎮守で、平安時代の創建と言われています。 古来よりこの地に流れる清泉は
   宮社の沼澤と呼ばれ、涸れることなく湧き出ていることから宮澤の地名となりました。
   鳥居をくぐり、本殿前に立ちはだかる急な階段の手前左側に湧水地点があります。 石垣の下の穴と、
   木の根元から水が湧き出しています。 ここから湧き出た水は水路となり、境内の厳島神社の池に流れ
   込んでいます。 ここからさらに奥多摩街道に沿って立川方面に水路を作っています。
 2007年 6月19日訪問
 2007年12月11日再訪
 
 水量 
 43 阿弥陀寺の湧水
    東京都昭島市宮沢町2−36−6  関東八十八カ所霊場(第七十一番札所)
   享保十年(1725年)建立の山門を入ると、正面には元禄十四年(1701年)建立の書院風造りの本堂
   があります。 元禄初期の火災で堂塔を失いその後再建したのが現本堂です。 寺の草創は不祥です
   が、鎌倉時代末から南北朝時代の頃の創建といわれています。
   山門をくぐり境内に入るとすぐ左側に手水舎があり、岩の割れ目部分から水が流れ出ていました。
   本堂左側を裏手に進むと墓地になっており水音が聞こえてきます。 一番奥の山裾が小川になっており
   境内の池に流れ込んでいます。 小川の上流には観音様像?があり、その脇からきれいな水が流れ込
   んでいました。
 2007年 6月19日訪問
 
 水量 
 44 拝島大師本覚院の湧水
    東京都昭島市拝島町1−10−14
   天台宗中興の祖といわれる元三大師(慈恵大師)の自作の像を本尊とするお寺であるため、元三大師
   ともいいます。 天正6年(1578)の創建。 拝島大師本覚院は、大日八坊の一つとして天正年間(157
   3〜92)に創建されたといわれています。 本堂の元三大師堂は天台宗の寺院で、文政2年(1819)に再
   建、昭和26年(1951)に改修されたものです。 本尊の慈恵大師の自作像は、もともと比叡山に置かれ
   ていたものでしたが、元亀2年(1571)、比叡山が織田信長の焼き討ちにあった際、、敬ェ大僧都がこの
   像を救出し、諸国を遍歴した後、天正6年(1578)に拝島の本覚院に安置されたといわれています。
   この本覚院の左斜面草の間(写真上左)が湧水地点と思われます。 ここから境内の池や周辺の水路
   に流れているのでしょうか。 また、本殿に向かって右側には水天宮がありその前に手水舎がありまし
   た。 龍の口からはわずかな水が流れ出ていました。
 2007年 6月19日訪問
 
 水量 
 45 大日堂の湧水
    東京都昭島市拝島町1−10−14
   正式には、拝島山密厳浄土寺大日堂といい、天暦6年(952)の創建と伝えられています。 元は多摩
   川上流の日原村の尊像が、大洪水のため大神の中州に流れ着いたのを安置したのが始まりと寺伝に
   あります。 この仏像を村人が拝んだことから、拝島の地名がおこったという伝えもあります。  現在の
   地へは北条氏が滝山城の鬼門除けとして近くの田中町から移して再興しました。 永禄12年(1569)甲
   斐の武田軍は小田原城攻略に先立ち、二万の精兵をもって滝山城を攻めた際、この拝島の森に陣取
   りましたが、鬼門除けが効いたのか武田軍は滝山城を落すことが出来ませんでした。
   仁王門をくぐり本殿に向かうと左側に大きな池が見えます。 本殿への階段左脇には滝のようにこの
   池に流れ込んでいる湧水が見れます。 また、すぐ先に手水舎があり、珍しい龍の全身像から水が流
   れていました。
   拝島のフジ−東京都指定天然記念物、大日堂、仁王門−昭島市指定有形文化財
 2007年 6月19日訪問

 水量 
 46 おねいの井戸
    東京都昭島市拝島町1−10−12
   室町時代末期、滝山城主北条氏照の家臣であった石川土佐守が大日堂に娘おねいの眼病の治ること
   を祈り、さらにこの井戸の水で目を洗ったところ、たちまちに病が治ったとの言い伝えがあります。 別名
   「お鉢の井戸」とも呼ばれています。
   大日堂境内内、本殿への階段上り口のすぐ右側にあります。 現在は水を汲めないよう柵がしてありま
   すが、中をのぞくと手前側からこんこんと水が湧き出しているのがわかります。
 2007年 6月19日訪問
 
 水量 
 47 龍津寺の湧水 「東京の名湧水57選(No.27)」
    東京都昭島市拝島町5−2
   天文年間(1532〜55)の創建と伝えられ、江戸時代には幕府から御朱印3石を与えられていました。
   現本堂は文化2年(1805)の再建です。 龍津寺のある崖(ハケ)からは豊富な湧水が流れ出し、奥多
   摩から運んだ多くの巨石を積み上げて造られた水路は『下の川』と呼ばれています。
   縁台の様に張り出した憩いの場の少し福生寄りのところに、湧水場から道路まで長い竹竿を渡して水
   を汲めるようになっている場所がありました。 またこの場所以外にも水を汲むことはできませんが、巨
   岩の間から水が流れ出している場所が多数ありました。
 2007年 6月19日訪問
 
 水量 
  瑞穂町
 48 福正寺の清水
    東京都西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1129
   青梅街道を青梅方向へ。 武蔵村山市から瑞穂町に入るとすぐに福正寺の案内板があります。 ここを
   右折し裏道を300mほど進むと福正寺に辿り着きます。 しかし裏道には寺までの案内板がありません
   でした。 古めかしい総門をくぐるとその先に真新しい白木造りの大きな山門が見えます。 山門への8
   段ほどの階段の左側に水場がありました。 金色の龍の口から水が流れ出ており、脇には「御神水」と
   かかれた石柱が立っていました。 しかし柄杓等も置いてなく、何のための水場なのかわかりませんで
   した。
   観音堂−瑞穂町指定有形文化財、たらようの木−瑞穂町指定天然記念物 
 2008年 1月31日訪問

 水量 
  羽村市
 49 一峰院の湧水
    東京都羽村市羽加美4-12
   奥多摩街道を青梅方面へ。 玉川神社を過ぎ「間坂」の交差点をななめ左へ入って行きます。 羽村堰
   近くの多摩川沿いの水田地帯に建つお寺の敷地内に水が湧いています。
   羽村市の有形文化財に指定されている鐘楼門をくぐり境内に入ると、左側にこじんまりとした池があり
   ます。 その池の真ん中あたりに竹筒が渡してあり、そこから池に水が流れ落ちています。
   鐘楼門−羽村市指定有形文化財
 2007年 2月 6日訪問
 2008年 1月31日再訪

 水量 
 羽村市のその他の湧水
 A 五ノ神まいまいず井戸
    (東京都指定史跡)
    羽村市五ノ神1−1
 B 馬の水飲み場跡
    羽村市羽東2−14
 大同年間(806〜810年)に作られた、スリバチ状(地
 表面直径16m、底面直径5m、深さ4.3m)の井戸
 です。 水脈が深く、まっすぐ縦に掘る井戸掘り技術
 が発達していなかった昔は、このような方法で水を
 得ていました。 「まいまいず」とはカタツムリのこと
 で、周壁を2周して井戸に達するため、形が似ている
 ことから名づけれれたのだそうです。
 昔、肥料や収穫物、多摩川の砂利を運搬した馬を休
 ませるための、湧水を利用した水飲み場跡地です。
  福生市
 50 清岩院の湧水 「東京の名湧水57選(No.41)」
    東京都福生市福生507
   JR福生駅から西、永田橋方面へ。 新奥多摩街道、奥多摩街道を越え、橋を渡ってから最初の路地を
   左へ入ると左側に見えてきます。
   清岩院は応永年間(1394-1428)に建立された禅寺です。 山門前には水路があり、塀に沿って水が流
   れています。 境内数か所からから湧水が出ており、せせらぎとなり境内をまわり、また池に流れ込んで
   います。 水の流れは豊富なのですが、水場の竹筒から流れ落ちる水はポトッポトッ状態で、口にするこ
   とができる水場はありませんでした。
 2009年 4月23日訪問
 
 水量 
 51 清酒多満自慢仕込水(石川酒造仕込水)
    東京都福生市熊川1 石川酒造
   新奥多摩街道、内出交番前交差点を梅街道を睦橋方向へ。 最初の路地を左へ入って行くと石川酒造
   に突き当たります。 オープンな酒蔵で、酒蔵見学もでき、食事処等の設備も整っており、駐車場が完備
   されています。
   事務所脇の入口を入ると正面に小川が流れており、「玉川上水、熊川分水」の石碑が立っています。
   そのすぐ左側には大きな夫婦ケヤキがそびえ立っており、根元のところに地下150mから汲み上げた仕
   込水を引いてきて誰でも飲めるようになっています。 ここからさらに奥に進むと石川酒造の御神木、樹
   齢700年のケヤキが見えます。 このケヤキの下からは昭和30年代まで仕込水として使っていた井戸
   があり、今でも水をたたえているそうです。
   石川家のケヤキ−福生市指定天然記念物
   本蔵、新蔵、文庫蔵、長屋門、雑蔵、向蔵−国登録文化財
 2009年 4月23日訪問
 
 水量 
  青梅市
 52 聞修院の湧水
    東京都青梅市黒沢3−1578
   青梅街道「青梅坂下交差点」を右折、小曽木街道に入ります。 青梅トンネルを過ぎてしばらく行くと左
   側に見えてきます。
   聞修院は天文年間(1532〜1555年)に創立されたかやぶき屋根の山寺で、「青梅七福神の壽老神」
   が祀られています。
   黒沢川に架かる小さな橋を渡って境内に入ります。 境内に入ると、いたるところから水が流れており黒
   沢川に流れ込んでいるのが見れます。 広い境内を進むと、左側に断崖が見えてきます。 その崖面か
   ら滝のように水が湧き出し境内の池に流れ込んでいます。 また、墓の水汲み場も崖面から湧き出るよ
   うになっていました。
   山奥の静かな非常に落ち着ける場所でした。
 2007年 2月 6日訪問
 
 水量  
 53 金剛寺の湧水
    東京都青梅市天ケ瀬町1032
    平将門が開基となり、京都蓮台寺の寛空大僧正を招いて開山したと言われています。 鎌倉末期の
    元享年間、頼遍上人が再興しました。 その後北条氏の信仰をうけ、江戸時代には二十石の寺領を
    付与されています。 庭には「将門誓いの梅」があります。 将門がある時この地にきて、馬のむち代
    わりにしていた梅の枝を地面につきさし、「わが願いがかなわないならば枯れよ」と言うと、枝は根づ
    いて枝葉が繁茂したと言われています。 またこの梅の実は夏を過ぎ、秋になっても実が青々として
    落ちないということで青梅という地名の由来になったと言われています。
    境内に入ると右側にある岩の間から水が湧き出し、小さな流れとなって池を作っています。 水は少
    量しか湧き出ていないので、水汲みは難しいです。
    表門−東京都指定有形文化財  青梅−東京都指定天然記念物
 2007年 2月 6日訪問
 2008年 7月14日再訪
 
 水量 
 54 地蔵院の横井戸
    東京都青梅市畑中2−583
   国道411号線万年橋を渡り、畑中1丁目交差点を右折、吉野街道に入ります。 畑中公会堂を右折す
   ると見えてきます。
   地蔵院は文明年間の開山で、境内には樹齢300年といわれる宝珠梅があります。 「青梅七福神の
   布袋尊」が祀られています。
   有形文化財に指定されている山門の向かい側にある石垣から竹竿が出ています。 そこから湧水が・
   ・・ポトン、ポトンという状態でした。 水が枯れちゃったんでしょうか?(2007年2月6日)
   1年半ぶりに再訪問しました。 横井戸からは細いですがしっかりと水が流れていました。 また、山門
   をくぐるとすぐ左側に「水琴窟」があります。 丸い石の鉢にも細々とですが水が流れ込んでいました。
   そして水琴窟のすぐ先と、本堂脇には手水舎があります。 ここからもしっかりと水が流れ出ていました。
   一時は枯渇と心配していましたが、水脈はまだまだ元気なようです。(2008年7月14日)
   山門−青梅市指定有形文化財  宝珠梅−青梅市指定天然記念物
 2007年 2月 6日訪問
 2008年 7月14日再訪
 
 水量 
 水琴窟の水  山門脇の手水舎  本堂脇の手水舎
 55 石神社ご神水
    東京都青梅市二俣尾1−199
   青梅街道(国道411号線)を奥多摩方面へ。 JR青梅線、石神前駅手前で、それまで並行して走って
   いたJR青梅線と離れます。 この青梅街道と青梅線の三角地帯に石神社があります。
   階段を上り境内に入ると、正面に見える拝殿右側に大きなイチョウの木が見えます。 青梅市天然記念
   物の「石神の大イチョウ」です。 このイチョウの根元に大きな岩があり、この岩の間から水が流れ出て
   いました。
   石神の大イチョウ−青梅市指定天然記念物
 2008年 7月14日訪問
 
 水量 
 56 延命寺の清水
    東京都青梅市成木7−887
   青梅街道(国道411号線)から成木街道を北へ向かいます。 吹上峠を過ぎ、松ノ木トンネルへの交差
   点を過ぎるとすぐ左側に成木川を渡る小さな橋があり、橋を渡ったところに「延命寺入口」の案内柱が見
   えます。 ここから細い坂を上って行くと左側に小さな小屋があり、その脇にコンクリートの筒が見えます
   。 この筒から2本の白いパイプが突き出しており、水が勢い良く流れ出しています。 この筒はこの地
   域の水の供給タンクらしく、ここから長いパイプで近隣の家へ水を送っているようでした。
   パイプから流れ出ている水は、とても澄んだ冷たい水で、おいしい水でした。
   山門−青梅市指定有形文化財
 2008年 8月 4日訪問
 
 水量 
 57 福島家住宅の井戸
    東京都青梅市沢井2−720−1
   青梅街道(国道411号線)を奥多摩方面へ。 JR青梅線、沢井駅手前に右へ入る路地があります。
   この路地を入った左側に東京都指定文化財の福島家住宅があります。
   住宅の庭右端に茶色とグレーの水道栓が見えます。 この内グレーの水道栓には「井戸水飲めません
   」の札がかけられていました。 蛇口をひねると勢い良く冷たい水が流れ出してきました。
   福島家住宅−東京都指定有形文化財
 2008年 7月14日訪問
 
 水量 
 58 岩清水(小澤酒造) 「東京の名湧水57選(No.24)」
    東京都青梅市沢井2−770
   青梅街道を奥多摩方面へ。 JR青梅線、沢井駅前に小澤酒造(澤乃井)があり、道路をはさんだ反対
   側には売店や食事処のある「澤乃井園」になっています。 小澤酒造は、元禄15年に創業された老舗
   で、秩父古生層の洞窟から湧き出た「岩清水」を仕込み水として使用しています。
   澤乃井園に向かって階段を下りて行くと、売店脇に岩清水飲み場があります。
   酒造にある洞窟状の井戸を見たい方は事前連絡をして酒造を見学すると見れます。
 2007年 2月 6日訪問
 
 水量 
  日の出町
 59 高原社の清水
    東京都西多摩郡日の出町大久野4154
   秋川街道「つるつる温泉入口」交差点から都道184号線へ。 つるつる温泉を目指します。 さかな園
   を過ぎ500mくらい行くと左側にうっそうとした森の中の細い参道が見えてきます。 高原社です。
   参道を進んで行くと正面に神社と天然記念物の杉が見えます。 その右側にアルミ製の洗面台のよう
   なものが置いてあり、平井川の方から引かれた黒いホースから水が流れ出ていました。
   杉−日の出町指定天然記念物
 2008年10月27日訪問

 水量  
 60 平井川細尾の湧水
    東京都西多摩郡日の出町大久野3867
   秋川街道「つるつる温泉入口」交差点から都道184号線へ。 つるつる温泉を目指します。 さかな園
   バーベキューハウスを過ぎ最初の右カーブの左側に水場があります。
   道路沿いの排水口のような鉄柵の間から黒いパイプが突き出ており、そこからきれいな水が流れ出し
   ていました。 平井川からの水のようで、付近の方やハイカーが水を飲めるようコップが用意されていま
   した。 水受けのバケツもきれいに手入れされているようで、水苔もついていませんでした。
 2008年10月27日訪問

 水量  
  あきる野市
 61 二宮神社お池  「東京の名湧水57選(No.50)」
    東京都あきる野市二宮1189
   武蔵六所宮のうち二宮で、古代はこの地が多摩郡小川郷に属していたことから小川大明神とも呼ばれ
   ていました。 俵藤太藤原秀郷が平将門追討の折、戦勝祈願したと伝えられています。
   二宮神社お池は、神社と通りをはさんで反対側にあります。 日本武尊が東征のおり、日照のため飲
   み水に困り、水の神様国常立尊をまつった際に湧き出した水といわれ、豊富な水量から「涸れない池
   」と呼ばれています。 非常に透明度の高い30m以上はある大きな池です。
   本殿−あきる野市指定有形文化財、フジ−あきる野市指定天然記念物
 2007年 1月31日訪問
 2008年 4月 4日再訪
 水量  
 62 八雲神社の湧水  「東京の名湧水57選(No.51)」
    東京都あきる野市野辺316
   長禄年間(1457〜60年)に創立されたといわれています。 昭和49年(1974)に火災によって焼失し
   、同52年(1977)に再建されました。
   山門をくぐり境内に入ると、すぐ右側に直径10mくらいの池が見えます。 中央部はさらに深くなって
   おりここから水が湧き出していると思われます。 これ以上はないといえるくらい透明度の高い水です。
   残念ながら周りをぐるっと柵に囲まれているので水を汲むことはできません。
 2007年 1月31日訪問
 
 水量  
 63 法林寺の湧水
    東京都あきる野市小川東2−12−10
   睦橋通りを五日市方面へ進み、小川交差点手前を左に入ると法林時はあります。
   法林寺は臨済宗南禅寺派のお寺です。 このお寺には二宮神社から分けてもらったと言う由来のある
   湧水があります。 「法林寺の開山が二宮神社の前を通ると、巨大な蛇が目に涙をため苦しんでいまし
   た。 のどに刺さったトゲを開山が取り除いてやると、蛇は姿を消し、二宮明神を名乗る白髪の老人が
   現れました。 望みを聞かれた開山は水を望むと、この地から水が絶えることなく涌き出るようになりま
   した。」
   本堂入口の左脇に竹筒から少量ですが冷たい水が流れ落ちていました。 また、この水場の向かい側
   には井戸の手押しポンプがあります。 ポンプを押すと大量の冷たい水が流れ出てきました。
 2008年 7月11日訪問
 
 水量  
 64 白瀧神社の湧水
    東京都あきる野市下代継299
   五日市街道を五日市方面へ進行。 圏央道を過ぎると左にUターンするような道があります。 この道を
   入るとすぐ右に白瀧神社が見えます。 ここからさらに坂を下って行くと右側に鳥居が見えてきます。 
   この鳥居の左側に写真(左)のような滝になった水路が見つかります。 さらに水路に沿って下ると民家
   の庭に写真(中)のような水汲み場がありました。
 2007年 1月31日訪問
 2008年 7月11日再訪
 
 水量  
 65 眞城寺の湧水
    東京都あきる野市上代継344
   白瀧神社から水路に沿って進むとT字路にぶつかります。 そこを右折するとすぐ右側に眞城寺の広い
   駐車場が見えてきます。
   眞城寺は観応2年(1351)、足利基氏が開祖となり、その後北条氏照が再興したお寺です。 広い駐車
   場をまっすぐに進み建物の右側を奥に進むと水汲み場があります。 この水汲み場には「この水は飲め
   ません」と注意書きが書いてありました。 また、水汲み場から寺の奥まで湧水の池が続いています。
   シダレザクラ−あきる野市指定天然記念物
 2007年 1月31日訪問
 2008年 7月11日再訪
 
 水量 
 66 山田八幡神社の湧水
    東京都あきる野市山田496
   五日市街道を五日市方面へ進み山田交差点を左折すると山田大橋が見えてきます。 橋の手前の路
   地を左へ下りて行くと、橋柱の右側に見えてきます。
   社伝によると文和年間(1352〜56)の建立とされています。
   閑散とした古い拝殿の左側は土手になっており、雑草が生い茂っています。 拝殿に沿って左に回り込
   むと水汲み場がありました。 また水が出ているパイプを辿っていくと、写真(中)のようなタンク?があり
   、さらにパイプを辿ると土手の土管から水が出ているのが見えます。
 2007年 1月31日訪問
 
 水量 
 67 瑞雲寺の湧水
    東京都あきる野市山田496
   山田八幡神社の隣にあります。
   境内左側に写真(中)の筒が見えます。 これは、水琴窟(すいきんくつ)と言って、水がめを地中に埋め
   て封じ込め、そこに水をたらして反響する音色を聞く仕掛けだそうです。 出ている水はほんの少しで湧
   水かどうかはわかりませんでした。
   寺の奥には湧水の池があり、奥の崖のところから水が湧いています。 写真(左)の草の中に竹筒があ
   り、ここからチョロチョロと水が出ています。
 2007年 1月31日訪問
 
 水量 
 68 開光院の井戸
    東京都あきる野市五日市691
   檜原街道、五日市警察署手前の五日市高校前交差点を右折し、そのまま住宅街の中を真っ直ぐに進ん
   で行くと開光院に辿り着きます。
   門をくぐり広い境内に入ります。 正面に赤い屋根をした庫裏、本堂が並んでおり、その左側少し離れた
   ところにこれも赤い屋根をした墓参用の水場があります。 コンクリートでできた四角い箱の上に木箱が
   のっており、水道の蛇口が付いています。 もしやと思ってお寺の方に確認すると「井戸水」という答えが
   返ってきました。 蛇口を回すと、勢いよく水が流れ出します。
   本堂、庫裏−あきる野市指定有形文化財 
 2008年11月18日訪問
 
 水量 
 69 野崎酒造周辺の湧水
    東京都あきる野市戸倉63付近
   檜原街道「戸倉」交差点を右折すると、すぐ左側に「野崎酒造」が見えてきます。 野崎酒造は明治17年
   に創業され、「喜正」というお酒を作っている酒蔵です。
   この道路に面して、左右にコンクリート作りの箱が多数見えます。 5個は確認しました。 この箱には2
   〜3個の蛇口がついていて、ひねると勢い良く水が出ます。
   また白い鉄(錆びていますが)でできた貯水槽も1つだけありました。 これは地元住民の水汲み場らしく
   、住民以外はお金を入れるよう「赤いポストの貯金箱」がついていました。
   ここの湧水は正面の戸倉城山に湧く伏流水だそうです。
 2007年 2月13日訪問
 2008年11月18日再訪

 水量 
 70 大日影通りの湧水
    東京都あきる野市戸倉2098先(大日影通り)
   野崎酒造先を右折、盆堀川を渡って大日影通りに入ります。 集落を過ぎて山道に入ると少し行った左
   側の崖面からビニールパイプが2本突き出しており、そこから水が出ています。
   この手前にも崖面を湧水が流れている場所が2か所ありましたが、いずれも湧出量は少量でした。
   この崖面はいたるところから水が出ているようです。 駐車スペースもなくダンプが頻繁に通るので注意!
 2007年 2月13日訪問
 
 水量 
 71 秋川国際マス釣場バス停の湧水
    東京都あきる野市養沢1311付近
   檜原街道、十里木交差点を右折し、都道201号線に入ります。 小宮小学校を過ぎ300mほど行くと「
   秋川国際マス釣場」のバス停があり、すぐ先左側に小さな川があります。 この川の左側に長い雨どい
   が渡され、そこからドラム缶に大量の水が流れ出ていました。
   また、ここより100mほど先にも、石垣の上に黒いパイプが渡されてコンクリートボックスへ続いていま
   す。 このコンクリートボックスのふたを開けてみると、パイプから水が流れ出ていました。 このボックス
   に溜まった水は、脇の穴から黄色いバケツに落ちていました。 
 2008年11月18日訪問
 
 水量 
 72 大岳鍾乳洞の湧水
    東京都あきる野市養沢1587
   檜原街道、十里木交差点を右折し、都道201号線に入ります。 10kmほど進んで行くと赤い欄干の
   大岳橋があります。 この橋の手前を左に曲がります。 大岳林道です。 一部ダートもありますが、ほ
   ぼ舗装された林道です。 この道を3kmほど行くと左側に大岳鍾乳洞が見えて来ます。
   川に架かる赤い鉄製の橋を渡って行くと、鍾乳洞のチケット売場である売店前の橋のたもとに水場があ
   ります。 黒い細い2本のパイプから冷たい水が流れ出ています。 売店のおばあちゃんに尋ねると、「
   鍾乳洞から引いてきている水」とのこと。
   おばあちゃんひとりでやっている鍾乳洞なので、水汲みは鍾乳洞見学後にしてあげて下さい。 話し好
   きのおばあちゃんなので、いろいろな話しをしてくれます。
 2008年11月18日訪問
 
 水量 
  八王子市
 73 蛇滝口の湧水
    東京都八王子市裏高尾町777
   国道20号線を相模湖方向へ。 中央本線のガードをくぐりすぐに右折、小仏峠を目指します。 1.5km
   ほど走ると右側に蛇滝口のバス停、その前に大きな木造の倉庫のような建物が建っています。 その建
   物の左側に屋根付きの小屋がありそこが水場になっています。
   ここは高尾駅から小仏峠に登るハイカーの通り道になっており、ハイカーはここで一休みし、水筒にここ
   の水を汲んでいく憩いの場になっています。
   ただこのすぐ脇が中央道と圏央道のジャンクションになっており、圏央道はさらに延長工事中のため、こ
   の先この水場がどうなるのか心配です。
 2007年10月12日訪問
 
 水量 
 74 小仏名水
    東京都八王子市裏高尾町(小仏峠登山道)
   蛇滝口バス停から小仏峠方向へ進んで行くと行き止まりの広場になります。 ここが小仏峠登山口で、
   10台くらいの駐車スペースがあります。 ここから徒歩で小仏峠へ登るのですが、すぐ右側には落差3
   mくらいの修験者が修行する滝が出迎えてくれ、湧水への期待が高まります。
   登山道を5分くらい登ると左カーブになり、その角の右側、石垣の間から3本のパイプが出ており水が勢
   いよく流れ出ていました。 優しい感じのする冷たい水でした。
 2007年10月12日訪問
 
 水量 
 75 盆堀林道の湧水
    東京都八王子市上恩方町(盆堀林道)
   盆堀林道の入山トンネルと八王子側盆堀林道起点の間にあります。 あきる野市から八王子に向かうと
   左側に見えてきます。
   岩から湧き出た水を雨どいのようなもので汲みやすくしてあります。 
   ここは崖のいろいろな場所から水が湧き出ています。 この狭い岩場の中に水が流れ落ちている場所が
   4本以上ありました。
 2007年 2月13日訪問
 
 水量 
  檜原村
 76 車茶屋の水
    東京都西多摩郡檜原村上元郷22
   檜原街道を奥多摩湖方面へ進み、あきる野市から檜原村に入るとすぐ右側に村営鬼切駐車場、向かい
   側にそば処「車茶屋」があります。
   車茶屋のお食事処に上る階段の右側に2本の竹筒があり、そこから水が流れています。 車茶屋の裏
   山の方からパイプで水を引いて来ているようです。
   車茶屋の私有地になりますので、水を汲む時にはお店の人に断って下さい。
 2007年 4月11日訪問
 2011年 9月28日再訪

 水量 
 77 檜原村小沢の湧水
    東京都西多摩郡檜原村小沢3769付近 小沢駐在所バス停手前
   都道205号線を西へ進みます。 神戸への交差点を過ぎ1kmほど行くと路肩が広くなり車2台分くらい
   の駐車スペースがあります。 このすぐ先左側の石垣から鉄パイプが出ており、水が流れ出しています。
   この付近に主だったものはないため、水汲みのための駐車スペースだと思います。 小沢駐在所バス停
   の100mほど手前になります。
   水受けのバケツは汚れていますが、パイプからの水はとてもきれいで美味しいものでした。 ポリタンク
   を持って水を汲みに来る方もいて、この付近では有名な水場らしいです。
 2008年12月10日訪問

 水量 
 78 またどはしの水
    東京都西多摩郡檜原村南郷987
   檜原街道、橘橋の交差点を左折して奥多摩湖方向へ。 7〜8Kmほど走ると、民家とその先に小さな
   「またどはし」と名前の付いた橋があります。 民家と橋の間にステンレス製の流し台が置いてあり、緑
   色のホースから水が流れていました。
   この橋は南秋川に流れ込む小さな沢を渡っているもので、沢沿いに10mほど上ると写真(中)のような
   小さな滝がいくつも見えます。 このさらに奥の方から導水管で水が引かれていました。
 2007年 4月11日訪問
 2011年 9月28日再訪
 
 水量 
 79 四賢者の水
    東京都西多摩郡檜原村数馬2430
   檜原街道をさらに奥多摩湖方面へ進み数馬地区へ。 しばらく走ると左側に「檜原温泉センター数馬の
   湯」が見えてきます。 敷地内に入り、坂を上ったところが駐車場になっており、その一番奥に四賢者の
   水があります。
   水場の上には「この地に四人の賢者が住んでいました。諸般の事情に長じ聡明にして穏やかな性格が
   地域の衆望を集めていました。その四人が飲用していたと云われる沢の水です。」と案内板が掲示され
   ていました。
 2007年 4月11日訪問
 
 水量 
 80 宝積寺の泉
    東京都西多摩郡檜原村数馬2466 数馬広場駐車場
   檜原街道、数馬の湯を越え400mほど走ると右側に数馬広場駐車場があります。
   駐車場内の丸太でできた公衆トイレ左脇の石垣の中に水場があります。 大きな石の上に「宝積寺(ほ
   うしゃくじ)の泉」と手書きで書いてあります。 トイレの脇であまり環境は良くありませんが、冷たくて美
   味しい水でした。 また、水場はとても小さな池になっており「天然記念物モリアオガエルの生息池です
   」と書かれていました。
 2007年12月16日訪問
 2013年 8月16日再訪
 
 水量  
 81 たから荘の湧水
    東京都西多摩郡檜原村数馬2466
   数馬広場駐車場の反対脇には食事処「たから荘」があります。 ここの店先駐車場奥に大きな石を並べ
   た庭園のような場所があり、ここの池にも1本のパイプから水が注ぎ込んでいました。 このパイプは店
   の裏山の方から伸びてきています。 水量も宝積寺の泉に比べると、かなり大量の水が流れていました。
 2007年12月16日訪問
 
 水量 
 82 蛇の湯温泉の湧水
    東京都西多摩郡檜原村数馬2465 蛇の湯温泉「たから荘」
   数馬広場駐車場の食事処「たから荘」と道路を挟んで反対側に蛇の湯温泉「たから荘」があります。
   飛騨の合掌造りにも似た大きな兜造りの屋根の趣きのある温泉宿です。
   道路から宿に向かって柵沿いに歩いて行き宿の敷地内に入ります。 玄関前左側に川に下りて行く階
   段があります。 その階段の左脇に三角形のコンクリート水槽があり、黒いホースから勢い良く水が流
   れ込んでいました。 この水槽に溜まった水は下段水槽から南秋川に流れ落ちていました。
 2007年12月16日訪問
 
 水量 
 83 九頭龍神社御神水
    東京都西多摩郡檜原村数馬7076
   檜原街道を奥多摩湖方面へ。 数馬温泉、蛇の湯温泉を過ぎ、集落が見えなくなります。 その先の右
   カーブの右側、石垣の上に九頭龍神社はあります。
   神社への階段を上り、鳥居をくぐると正面に手水舎があります。 この手水舎の青緑色の龍の口から水
   が流れていました。 また水受けの右側にもビニールパイプが出ておりここからも水が流れています。
   手ですくってみるととても冷たい水でした。
 2009年 4月23日訪問
 
 水量 
  奥多摩町
 84 釜の水 「東京の名湧水57選(No.54)」
    東京都西多摩郡奥多摩町小丹波大神
   青梅方面から行くと、古里駅を過ぎると左側に消防団(第1分団)の資材庫があります。 そのすぐ先を
   ななめ左に。 しばらく行くとY字路(真ん中のお地蔵さんが目印)の左側にあります。
   トタン屋根の建物の中に大きな鉄の釜が置いてあります。 脇の石壁から黒い太いパイプがニョキッと生
   えており、きれいな水が大量に流れ出ています。 壁には水質権査証が貼り付けられており、安心して
   飲める水でした。
   民家に囲まれた一角にあるので、マナー、騒音には十分な注意を!
 2006年11月21日訪問
 
 水量   
 85 氷川の湧水
    東京都西多摩郡奥多摩町氷川2 
   青梅街道を奥多摩湖方面へ走ります。 JR青梅線白丸駅を過ぎ氷川に入るとすぐ、左側のガードレー
   ルの切れ目のところにあります。
   崖の上のほうから道路までパイプが引かれ、水が汲めるようになっています。 地域の住民の方々が花
   を植えきれいに管理していますので、利用の際は十分な心がけをお願いします。 また、交通量の激し
   い場所で、駐車場所はありません。
 2007年 3月28日訪問
 2009年 4月 8日再訪
 水量 
 86 境(祥安寺)の清泉 「東京の名湧水57選(No.52)」
    東京都西多摩郡奥多摩町境341
   青梅街道を奥多摩方面へ進み、橋詰トンネルを抜け、境橋を渡ると右側に細い山道が見えてきます。
   右に曲がるとY字路になりますので右側へ坂を下ります。 境集会所を越えると右側に見えてきます。
   「祥安寺の清泉」という名前で知られていますが、看板には「奥多摩町自然文化百選22境の清泉」とあ
   りました。
   古くは旧青梅街道を行き来する人々ののどを潤す憩いの場として利用されていました。 現在は野菜
   を洗ったり、山葵の栽培に活用されています。 上方の道路のすぐ下に四角いコンクリートの水槽があ
   り4か所から水が流れ出ています。 ここから流れ出た水が斜面の山葵田を流れています。 下の茶
   色い建物の脇に蛇口がありここから水が汲めるようになっています。
   すぐ脇に賽銭箱があるので水を汲んだ方はご寄付を。
 2007年 3月28日訪問
 2007年12月16日再訪
 
 水量 
 87 惣岳の清泉
    東京都西多摩郡奥多摩町境548
   青梅街道に沿った奥多摩むかしみちの惣岳不動尊の手前にある、私有地内の湧水です。 昔も今もこ
   こを歩く人たちののどを潤してきました。 一時期、水を利用するハイカーのマナーの悪さのため、所有
   者が水を止めてしまっていたのですが、復活したみたいですね。 今度は水を止められないようマナー
   を守りましょう。
 2007年 3月28日訪問
 2009年 4月 8日再訪
 水量 
 88 境(金魚鉢)の清水
    東京都西多摩郡奥多摩町境771
   奥多摩むかしみちを奥多摩湖方面へ進み、しだくら橋を過ぎて少し行くと沢を渡る小さな橋があります。
   橋を渡るとすぐ右側に民家が1軒建っており、その隣に大きな金魚が泳いでいる金魚鉢があります。
   この金魚鉢の上に水道の蛇口のようなものがついておりそこから水が出ていました。 この水は裏山か
   ら引かれているようで、一定の水量ではなく細くなったかな〜っと思うと急にジャーっと出てくるというよう
   な波がありました。 おそらく隣の民家の私有物と思いますので水汲みは断ってからにしてください。
 2007年 4月11日訪問
 2009年 4月 8日再訪
 
 水量 
 89 境の清水
    東京都西多摩郡奥多摩町境779
   奥多摩むかしみちを奥多摩湖方面へ進み、しだくら橋を過ぎて少し行った民家の向かい側にあります。
   大きなコンクリートのタンクにひとつの蛇口が付いており、ひねると水が出てきました。 ここも私有の物
   と思いますが、向かい側の民家には人がいないようでした。
 2007年 3月28日訪問
 
 水量 
 90 馬の水のみ場
    東京都西多摩郡奥多摩町境779先
   境の清水のすぐ先にあります。
   看板には『「ここで馬を休ませかいばを与えました。馬方衆は「たてば」と呼称されている茶店で一服休
   憩ということになりました。 茶店はゴーロ・清水・大島屋の三軒があって駄菓子・うどん・まんじゅう・タ
   バコ等が商われ、一杯酒もありました。』とあります。
   コンクリート製の長い桶には水は出ていませんでしたが、このすぐ左側の沢?から少量の水が湧き出し
   ていました。
 2007年 3月28日訪問
 2009年 4月 8日再訪

 水量 
 91 小河内ダムの水
    東京都西多摩郡奥多摩町原
   国道411号線から小河内ダムへ。 駐車場から補助ダム脇の道を通り、主ダムへ向かって歩きます。
   ちょうど補助ダムと主ダムの中間あたり、小河内貯水池管理事務所の前あたりになります。 ダム湖側
   のガードレールの外側に三角形の形をした水場があります。 こんこんと水が湧き出しあふれた水がダ
   ム湖へ流れ落ちています。
 2009年 4月 8日訪問
 
 水量 
 92 大麦代トンネルの湧水
    東京都西多摩郡奥多摩町原
   国道411号線を小河内ダム方向へ曲がらずに直進すると大麦代トンネルに入ります。 このトンネルを
   抜けるとすぐ右側、電柱の脇に水場があります。 また、ダム側からでも湖沿いに走り第二駐車場に車
   を停めると、道路を渡ったところになります。
   ガードレールを乗り越えると道路側端が石垣になっており、ここに埋め込まれたパイプから勢い良く水
   が流れ出ていました。 この石垣を上り、草地を奥まで行くと突き当りがコンクリートの壁になっています
   。 ここにも3本のパイプが埋め込まれ、水が流れ出ていました。 このコンクリートの壁を見上げると、
   奥に水道局のタンクのようなものが見えます。 ここからの余り水かもしれません。
   また、この脇に西東京バスの折り返し場があり、奥のほうから柵で囲まれた土手のような場所がありま
   す。 この一番奥の石垣に直径30cmくらいの太いパイプが埋め込まれここからも水が流れ出ていまし
   た。
 2007年12月16日訪問
 
 水量 
 93 萬寿の水
    東京都西多摩郡奥多摩町日原 (日原鍾乳洞線、中日原バス停前)
   水不足をきたした日原地域が新たな水源を求めて、明治41年に対岸の向山から水を引いてきたもので
   す。 この水は向山の岩間から湧き出る清水で、大昔からいかなる洪水や天変地異にも尽きることがな
   い、萬寿無行の水として尊ばれたことからこの名前がつきました。
   一本道のバス停のまん前に有る水場なのですぐにわかります。 コンクリートでできた2つの鉢?が並
   んでいます。 左側の鉢の底から水が湧き出ていて、あふれた水が右側の鉢に流れ込むようになって
   います。
   また左側に鉢の脇には蛇口が付いており、ここから水が汲めるようになっていました。
   静かな集落の中ですのでマナー、騒音には十分注意を!
 2006年11月21日訪問
 2007年 3月28日再訪
 
 水量 
 94 幽水 栃の雫
    東京都西多摩郡奥多摩町日原
   萬寿の水を越え鍾乳洞方向へ走ります。 しばらく走ると右側の斜面に張ってある金網の隙間に、崖か
   ら出ているホースが見えます。
   このすぐ上には、有名な「水垂のトチノキ」がそびえ立っています。 幹周4.8m、樹高30m、樹齢約5
   00年といわれ、トチノキが多い日原の中でも大きな部類に入ります。
   残念ながらこのホースの先からはほとんど水が出ていませんでした。 しかし、ホースが出ている周りの
   崖面からは水がにじみ出ていました。
 2007年 3月28日訪問
 
 水量 
 95 一石山神社の湧水
    東京都西多摩郡奥多摩町日原 (日原鍾乳洞線、日原鍾乳洞駐車場向かい)
   日原鍾乳洞線の終点、日原鍾乳洞駐車場の向かい側にあります。
   一石山神社は一石山御窟といわれた日原鍾乳洞をご神体とする神社。 文武天皇4年(700)役行者に
   よって創建され、大同4年(809)に弘法大師、天安元年(857)には慈覚大師が再建したという伝説があり
   ます。
   一石山神社への階段手前の崖下にあります。 崖にビニールパイプが差し込んであり、そこからきれい
   な水が流れ出ています。
 2006年11月21日訪問
 2014年 5月 7日再訪
 
 水量 
 96 鶴の湯温泉源泉
    東京都西多摩郡奥多摩町原598
   国道411号線を塩山方向へ走ります。 西東京バス「女の湯」バス停付近に右側が駐車スペースにな
   っている場所があります。 ここが「鶴の湯温泉源泉」です。
   大きな石の窪みに、竹筒から水が流れ出ています。 源泉というので熱いのかなと思って触ると、熱くも
   なく冷たくもなく常温の水でした。 しかし手にすくって口に近づけると、それはやはり源泉でした。 硫黄
   くさいにおいがし、飲むと少し苦味がありました。
   この源泉の後ろの岩盤からも黒いホースが突き出し、水が流れ出ています。 この水を手にすくって飲む
   と非常に冷たくおいしい水でした。
 2008年 4月30日訪問

 水量 
 97 三頭の名水
    東京都西多摩郡奥多摩町川野(奥多摩周遊道路脇)
   深山橋、三頭橋を渡り、元奥多摩有料道路の料金所を過ぎて2Kmほど走るとコーナーの右側にちょっ
   とした駐車スペースが現れます。 その奥の壁際のところにブロック塀でできた凹みがあり、そこの鉄パ
   イプから水が流れ出ています。
 2007年 4月11日訪問
 2007年12月16日再訪
 水量