( 建 造 物 )


  静岡県
 江川家住宅
 静岡県伊豆の国市韮山韮山1

 江川家住宅はは韮山代官であった江川家の邸宅で
 す。 敷地面積11,873uもの広大な敷地をもって
 います。 韮山代官所は、江戸時代には伊豆・駿河
 ・相模・武蔵・甲斐の幕府直轄地を統治していました
 。
 
 NHK大河ドラマ「篤姫」や「JIN−仁」や映画「山桜」
 などさまざまなロケに利用されています。

 他にも「仏間」「東蔵」が国の重要文化財に指定され
 ていますが、一般公開はされていません。
 表門  主屋
 元禄9年(1696)に建造された、三間一戸、切妻造
 、桟瓦葺の薬医門です。
 江戸時代前期(1615-1660)に建造された、桁行2
 5.4m、梁間18.8m、棟高12m、面積552u、
 入母屋造、東面玄関付、銅板葺の建物です。
 書院  肥料蔵(西蔵)  武器庫
 江戸時代末期(1801-1900)に建造された、桁行12
 .9m、梁間7.3m、寄棟造、茅葺、東面便所附属の
 建物です。 西面が主屋に接続しています。
 江戸時代末期(1801-1900)に建造された、土蔵造
 、桁行5.6m、梁間4.5m、二階建、寄棟造、妻入
 、茅葺、正面庇附属の建物です。 正面から見ると
 将棋の駒の形をしていることから「駒蔵」とも呼ばれ
 ています。
 江戸時代末期(1801-1900)に建造された、桁行5
 .4m、梁間3.7m、切妻造、妻入、正面庇附属、
 桟瓦葺の建物です。
 富士山本宮浅間大社 本殿
 静岡県富士宮市宮町1−1
 天城山隋道
 静岡県賀茂郡河津町梨本〜伊豆市湯ヶ島
 旧岩科学校校舎
 静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442
 浅間大社の起源は、富士山が噴火し国中が荒れ果
 てた時、垂仁天皇3年(紀元前27)頃に富士山麓に
 祀ったのが始まりと伝えられています。 大同元年(
 806)に坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営し遷座
 しました。 東海地方最古の神社で、全国に約130
 0社ある浅間神社の総本社、駿河国一宮です。 約
 17000坪の境内に、徳川家康が造営した建物が
 建つ神域で、富士山の8合目以上の約385万uも
 浅間大社の境内になります。 本殿は、慶長9年(
 1604)に徳川家康が建立した、桁行五間、梁間四
 間、二重、浅間造、檜皮葺の建物でその構造は他
 に例がありません。 1階は五間四面葺卸の宝殿
 造、2階は間口三間奥行二間の流造になっていま
 す。
 拝殿・幣殿・透塀・楼門−県指定有形文化財
 川端康成の小説「伊豆の踊子」の舞台になった有名
 なトンネルです。
 明治37年(1904)に完成した、全長445.5m、幅
 員4.1mのトンネルです。 アーチや側面などすべ
 て切り石で建造され、石造道路トンネルとしては、
 日本に現存する最長のものになります。
 写真は河津町側入口です。
 日本の道100選
 明治12年(1879)に着工し、総工費2630円66銭を
 かけて翌年9月に完成した、なまこ壁をいかした社寺
 風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた伊豆
 地区最古の小学校です。 日本では甲府の旧睦沢学
 校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次
 ぐ古いものとして知られています。 構造規模は木造
 寄棟造、二階建、両翼一階建、背面下屋付で瓦葺、
 建築面積436.2uの建物です。
 三嶋大社 本殿、幣殿及び拝殿
 静岡県三島市大宮町2−1−5
 大石寺 五重塔
 静岡県富士宮市上条2057
 三嶋大社は式内社(名神大社)、伊豆国一宮、総社
 、旧社格は官幣大社という由緒ある神社です。 源
 頼朝が源氏再興を祈願したことで有名です。
 本殿、幣殿、拝殿は慶応3年(1867)に再建された
 (本殿)三間社流造、銅板葺、(幣殿)桁行三間、梁
 間一間、一重、両下造、銅板葺、(拝殿)桁行七間
 、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、
 向拝三間、軒唐破風付、銅板葺の建物です。 本
 殿と拝殿を幣殿で繋いだ複合社殿の形式です。
 キンモクセイ−国指定天然記念物
 舞殿、神門−市指定文化財・社叢−市天然記念物
 大石寺は日蓮正宗の総本山で、正応3年(1290)
 に日興上人によって開創されました。
 五重塔は寛延2年(1749)に建立された、間口6.
 4m、高さ34.3m、銅板葺の建物です。 大石寺
 の建物はすべて南向きに建っているのに対し、五
 重塔だけが唯一西向きに建っています。
 御影堂、三門−静岡県指定重要文化財
 旧上野家住宅
 静岡県伊豆の国市四日町蛭ヶ島12−2
 八幡宮来宮神社 拝殿
 静岡県伊東市八幡野1
 八幡宮来宮神社 本殿
 静岡県伊東市八幡野1
 この民家は18世紀中頃以前に建造されたもので土
 手和田地区から移築復元したものです。 間口11.
 9m、奥行5.9m、建築面積は65.7u(19.9坪)
 です。 広間三間取型式で左に広い土間、右側にひ
 ろま、ざしき、なんどの三間を配しています。
 八幡宮は神護景雲3年(769)に勧請されたもので、一国一社正八幡宮制の伊豆国の八幡宮に定められた
 といわれています。 来宮神社はもとは別社殿に祀られていましたが、延暦年間(782-806)の本殿再建の
 際に、一殿両扉として八幡宮に来宮神社を合祀する形で祀られたといわれています。 それぞれが郷社に
 指定されるという珍しい例を示している神社です。 社叢−国指定天然記念物
 拝殿は文政7年(1824)の建造です。 正面三間、側
 面二間の入母屋造、銅板葺の建物で、正面一間に
 向拝を付しています。
 本殿は寛政7年(1795)の建造です。 正面二間、側
 面一間の二間社流造、銅板葺の建物です。 右に誉
 田別命(八幡宮)、左に伊波久良和気命(来宮)が祀
 られている類例の少ない形態の本殿です。
 大石寺 三門
 静岡県富士宮市上条2057
 大石寺 御影堂
 静岡県富士宮市上条2057
 大石寺は日蓮正宗の総本山で、正応3年(1290)
 に日興上人によって開創されました。
 三門は享保2年(1717)に建立された、間口24m
 、奥行11m、高さ22mの大楼門で、1931年に桧皮
 葺から銅葺に葺き替えられました。
 五重塔−国指定重要文化財
 大石寺は日蓮正宗の総本山で、正応3年(1290)
 に日興上人によって開創されました。
 御影堂は寛永9年(1632)年に建立された大石寺
 最古の建造物です。 広宣流布までの間、本堂と
 されていました。
 五重塔−国指定重要文化財
 富士山本宮浅間大社
 静岡県富士宮市宮町1−1

 浅間大社の起源は、富士山が噴火し国中が荒れ果てた時、垂仁天皇3年(紀元前27)頃に富士山麓に祀っ
 たのが始まりと伝えられています。 大同元年(806)に坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営し遷座しまし
 た。
 東海地方最古の神社で、全国に約1300社ある浅間神社の総本社です。 約17000坪の境内に、徳川家
 康が造営した建物が建つ神域で、富士山の8合目以上の約385万uも浅間大社の境内になります。
 延喜の制では名神大社とされ、一宮制では駿河国一宮の指定を受けています。 神階は仁寿3年(853)従
 三位、その後順次階位を授けられ、永治元年(1141)には正一位を授与されています。
 源頼朝は建久4年(1193)富士山麓において巻狩りを行った際に参拝、流鏑馬を奉納しました。 武田信玄
 ・勝頼親子も篤く崇敬し、神領の寄進、社殿の修造などを行いました。 境内にあるしだれ桜は信玄の寄進
 とされ、「信玄桜」と呼ばれています。 徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利した御礼として、慶長9年(1604
 )に本殿・拝殿・楼門をはじめ30余棟を造営しましたが、寛永安政等の大地震で破壊し、現存するのは本殿
 ・幣殿・拝殿・楼門のみになってしまいました。 また、富士山8合目以上を境内地として寄進しました。

 本殿−国指定重要文化財
 富士山本宮浅間大社 楼門
 楼門は、間口四間、奥行二間半、高さ六間半、二階
 入母屋造の建物で、正面、左右脇に扉が付きます。
 左右には随身が安置してあり背銘に慶長19年(161
 4)の年号があります。 扁額は聖護院入道盈仁親王
 の御筆で文政2年(1819)作です。
 富士山本宮浅間大社 拝殿  富士山本宮浅間大社 幣殿  富士山本宮浅間大社 透塀
 拝殿は、間口五間、奥行五間で、床が幣殿より二段
 高くなっています。 正面が入母屋造、背面が切妻
 造で、正面に向拝一間、檜皮葺の建物です。
 幣殿は、本殿と拝殿をつなぐ「作合」と呼ばれた部分
 で、間口五間、奥行三間の両下造、檜皮葺の建物で
 す。 北面には本殿の屋根の端が露出しています。
 元は石畳でしたが、現在は床に改められています。
 旧木造温泉旅館東海館
 静岡県伊東市松原町12−10
 木下杢太郎生家
 静岡県伊東市湯川2−11−5
 宝蔵院 山門
 静岡県伊豆市下船原362
 東海館は伊東温泉を流れる松川河畔にある大正末
 期から昭和初期の温泉情緒を今に残す木造三階建
 て温泉旅館群の一つです。 昭和3年(1928)に創業
 、昭和13年頃(1938)、昭和24年頃(1949)に望楼
 の増築など、幾度かの増改築を行いながら旅館業
 を営んでいましたが、平成9年(1997)、70年近く続
 いた旅館の長い歴史に幕を下ろしました。
 伊東出身で明治から昭和にかけて医師、詩人、劇作
 家、画家として活躍した木下杢太郎の生家。 天保6
 年(1835)に建築された家屋で、木造瓦葺の平屋建
 65.175u(19.75坪)で、創建以来居室及び台
 所として使用されていたもので、伊東市内において
 現存する最古の民家です。 現在は木下杢太郎記
 念館として資料が展示されています。
 宝蔵院は曹洞宗の寺院です。 山門は万治2年(16
 59)の再建された建物で左甚五郎の設計と言われて
 います。 間口3m、奥行3.1m、高さ5.5m、梁高
 2.7mの単層切妻造、茅葺(後に銅版葺)の建物で
 、天城湯ヶ島地区最古の建造物です。
 栄源寺 山門
 静岡県伊豆市小土肥617
 栄源寺 鐘楼
 静岡県伊豆市小土肥617
 沢田涅槃堂
 静岡県賀茂郡河津町沢田108
 栄源寺は、文明3年(1471)に改宗された西伊豆で最初の日蓮宗の寺院です。  この堂は寛永年間(1624〜1643)に筏場三養院の控
 寺(住職の休憩所)として建立されました。 日本三大
 寝釈迦霊場の一つといわれています、
 一間薬医門です。 伊豆地域における寺院の山門と
 して、薬医門の存在はあまり知られておらず、建立
 後200年近く経過した貴重な建物です。
 山門と同時期に建立されたものです。 柱に残る鋸
 傷は、明治29年(1896)の火災時に、柱を切断して
 移動させようとした傷です。
 旧大沢学舎
 静岡県賀茂郡松崎町大沢20−1
 冨士浅間神社 社殿
 静岡県駿東郡小山町須走126
 円明寺 表門
 静岡県三島市芝本町1−7
 足柄県那賀郡大沢村(現松崎町)の実業家依田佐二
 平が自邸内に私財を投じて新築し、公立小学校「大
 沢学舎」として開校しました。 木造二階建、寄棟造
 、瓦葺の建物です。 明治22年(1889)に中之郷村
 (1891年中川村に改称)の役場庁舎に転用され、昭
 和30年(1955)に松崎町と町村合併するまで使用
 されました。 平成5年(1993)に現在地へ移築復
 元されました。
 富士登山道浅間五社の一社です。
 延暦21年(802)に富士山東脚が噴火。 富士山東
 面須走の地に斎場を設け鎮火の祈願をしたところ噴
 火が治まりました。 そこで大同2年(807)、その鎮
 火祭の跡地に創建されたと伝えられています。
 社殿は享保3年(1718)に再建された、木造、平屋、
 権現造及び入母屋造の建物で、本殿、幣殿、拝殿か
 らなっています。 奥行20.196m、間口14.587
 m、高さ9.533mの建物です。
 ハルニレ−静岡県指定天然記念物
 エゾヤマザクラ、根上りモミ−町指定天然記念物
 江戸時代に諸大名の宿泊場所であった「旧樋口本
 陣」の表門が移築されたものです。
 切妻屋根、瓦葺の薬医門です。
 三嶋大社 神門
 静岡県三島市大宮町2−1−5
 三嶋大社 舞殿
 静岡県三島市大宮町2−1−5
 三嶋大社は式内社(名神大社)、伊豆国一宮、総社、旧社格は官幣大社という由緒ある神社です。 源頼
 朝が源氏再興を祈願したことで有名です。
 本殿・幣殿・拝殿−国指定重要文化財、キンモクセイ−国指定天然記念物、社叢−市天然記念物
 神門は慶応3年(1867)に再建された、総欅造、唐
 破風、銅板葺の建物です。
 舞殿は慶応2年(1866)の再建です。 古くは「祓殿」
 と呼ばれる神楽祈祷を行う場所でしたが、のちに舞
 の奉納が主となったので「舞殿」と呼ばれるようにな
 りました。
 妙蓮寺
 静岡県富士宮市下条688

 妙蓮寺は正中元年(1324)開山された、日蓮正宗の
 本山格寺院です。
 かつては大石寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉
 久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成してい
 ました。
 また、京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわ
 せて「興門八本山」のひとつにも数えられた古刹です
 。
 安永9年(1780)の出火で下庫裏・大庫裏・玄関・書
 院・客殿・表門、塔中の蓮蔵坊・久遠坊・徳玄坊など
 ほとんどの堂宇を失ってしまいました。
 妙蓮寺 表門  妙蓮寺 客殿
 文政2年(1819)に再建された間口六間、奥行三間
 、茅葺の建物です。
 文化10年(1813)に再建された、間口十三間、奥行
 九間、瓦葺の建物で、この地方に残る」木造建築とし
 ては最大級のものです。
 妙蓮寺 玄関  妙蓮寺 大庫裏  妙蓮寺 下庫裏
 文化10年(1813)の客殿再建と同時に建立された、
 客殿と大庫裏を結ぶ建物です。
 文寛政9年(1797)に再建された建物です。  安永9年(1780)の出火直後に移築したものです。
 井出家 長屋
 静岡県富士宮市狩宿91
 井出家 高麗門
 静岡県富士宮市狩宿91
 平等寺 三門
 静岡県富士宮市東町4−24
 井出家は中世以来の歴史を持つ名家で、源頼朝の富士の巻狩の際の宿地となったと言われています。
 現在残されている高麗門と2棟の長屋の建築年は不詳ですが、宅邸が安永5年(1776)と寛政9年(1797)
 の火災で焼失していることから、その前後の再建と考えられます。
 平等寺は永禄4年(1561)に創建された浄土宗のお
 寺です。
 山門は建築年は不明ですが、明治初期の廃仏毀釈
 の際、廃院となった富士山東泉院の中門をもらい受
 け移築したものです。 間口2.6m、奥行1.4m、高
 さ4.5m、瓦葺きの平唐門です。
 長屋は南棟と北棟に分かれています。
 南棟は木造平屋建て、北側が入母屋造、南側寄棟
 造、茅葺、桁行15.6m、梁間3.9mの建物で馬屋
 ・堆肥置き場として利用されていました。
 北棟は木造平屋建て、北側が寄棟造、南側入母屋
 造、茅葺、桁行14.5m、梁間3.9mの建物で下男
 部屋・蔵・作業場として利用されていました。
 高麗門は間口一間、柱の中心間の距離2.7m、切
 妻造、鉄板葺(以前は薄板を重ねたトントン葺)の建
 物で、、北側の袖壁にくぐり戸があり、2本の主柱の
 上には切妻屋根を載せています。