( 建 造 物 )


  山梨県
 大善寺 本堂(薬師堂)   山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
 山梨県に2つしかない国宝建造物のひとつです。
 
 大善寺は真言宗智山派のお寺です。 養老2年(718)、行基が葡萄を持った薬師如来像を建立したことが
 起源であるとされています。 、また、武田勝頼が、織田・徳川連合軍との戦の前に戦勝祈願のため投宿し
 たお寺です。
 本堂は、薬師三尊像を安置しているので「薬師堂」とも呼ばれています。 北条貞時の勅命により、弘安9
 年(1286)に再興された鎌倉時代後期の建物です。
 方五間(桁行18.02m、梁間17.40m)の堂宇で、正面は中の三間を両開き桟唐戸、両端を連子窓、両
 側面の前寄り一間と背面中央一間の出入口があります。 寄棟造檜皮葺の屋根をもちます。
 山梨県最古の建物です。
 
 山門−山梨県指定重要文化財 
 清白寺 仏殿   山梨県山梨市三ヶ所620
 山梨県に2つしかない国宝建造物のひとつです。
 
 清白寺は、足利尊氏が開基し、夢想疎石を開山として、正慶2年(1333)に創立したと伝えられる臨済宗の寺
 院です。 天和2年(1682)の火災で仏殿を残してほとんどの堂宇が焼失してしまいました。 その直後から享
 保16年(1731)まで再建工事が行われました。 総門、放生池、鐘楼門、仏殿、本堂が一直線上に並ぶ禅
 宗特有の伽藍配置の寺院です。
 仏殿は応永22年(1415)の建立です。 この仏殿は日本の仏教建築の主な様式のひとつである唐様建築の
 代表的遺構で、「方三間裳階付仏殿」とよばれる形式の典型例です。 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、
 入母屋造、檜皮葺の建物で、同様の形式をもつ建物の中で最小規模にまとめられているほか、内部に文様
 彩色と丁寧な漆塗が施されている点は他に例がありません。
 
 庫裏−山梨県指定重要文化財、本堂−山梨市指定有形文化財
 長作観音堂
 山梨県北都留郡小菅村426
 八ツ沢発電所施設第一号水路橋
 山梨県大月市猿橋町猿橋
 恵林寺 四脚門
 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
 観音堂は、もと長谷寺の堂字でしたが明治初年に
 廃寺となったものです。
 桁行三間、梁間四間、一重寄棟造、銅板葺の建物
 で鎌倉時代後期に建築されたものです。
 藤原期の住宅手法をひく仏堂建築の流れに添うも
 ので、鎌倉時代の洗練された意匠や技法が目を引
 きます。
 八ツ沢発電所は、相模川水系の桂川の水を利用し
 た日本で初めての大規模な調整池式発電所です。
 建設当時は、水力発電所として東洋一の規模を誇
 り、明治45年(1912)に営業運転を開始して以来、
 現在も稼動しています。 この発電所は、川の上流
 に小さな堤を作って水を取り入れ、長い水路で落差
 が得られるところまで水を導き、そこから下流に落ち
 る力で発電する水路式を採用しています。
 第一号水路橋は、明治45年(1912)に完成した鉄
 筋コンクリート造単アーチ橋で、橋長は42.7mあ
 ります。
 臨済宗妙心寺派の寺院です。 元徳2年(1330)二
 階堂貞藤が夢窓国師を招いて開創し、その後、武田
 信玄の菩提寺となりました。
 天正10年(1582)武田氏滅亡の折、織田信長に焼
 かれ全山が灰になってしまいました。
 現在の四脚門は、1606年に徳川家康によって再建
 されたものです。
 丹塗りの門であることから「赤門」と呼ばれ、切妻造
 り、檜皮葺きで、本柱、控柱ともに円柱を用いられて
 います。 桃山時代の豪放な気風を表しています。
 三門−県指定文化財、開山堂−市指定文化財
 雲峰寺
 山梨県甲州市塩山上萩原2678
 
 臨済宗妙心寺派のお寺です。
 天平17年(745)、僧行基の開創にかかる古刹ですが、創立当初は天台宗に属していました。
 甲斐源氏の祈願所として尊ばれ、武田氏から深く崇敬されましたが、天文年間(1532〜1554)の火災によっ
 て諸堂すべてが炎上してしまいました。
 伽藍の復興には武田信虎が印判状を与え再建されました。 本堂、庫裏、仁王門はこの頃の建立と考えら
 れます。
 武田家代々の戦勝祈願の寺としてたくさんの宝物が保管されています。

 サクラ−山梨県指定天然記念物
 中門−甲州市指定文化財
 雲峰寺 本殿
 桁行五間、梁間五間、単層入母屋造、向拝一間、唐
 破風造、檜皮葺。
 柱はすべて太い丸柱を用いています。 内部の現状
 から、当初は密教本堂として建立されましたが、禅
 宗への改宗に伴い平面が改造され、向拝が付加さ
 れました。
 雲峰寺 庫裏  雲峰寺 書院  雲峰寺 仁王門
 桁行10間、梁間5間、東側面庇付、一重切妻造、
 妻入、庇葺きおろし、茅葺。
 室町時代の諸堂焼失後、武田信虎がこの寺を復興
 した時、本堂とともに再建されたものの遺構です。
 天正年間(1575〜1591)から数度の修理が加えら
 れ特に安永年間(1772〜1780)以後における改変
 増築により間取拡大が図られました。 昭和32年
 解体修理の際、建立当時の間取りや構造を示す資
 料が発見されたことにより、当初の構造、規模に復
 元されました。
 桁行8間、梁間5間、一重寄棟造、茅葺。
 庫裏の西方に渡廊下で接続して建てられています。
 昭和33年の解体修理の際に正徳6年(1716)の墨
 書が発見されたことから、この頃の建立であることが
 明らかになりました。 柱は面取り角柱を用い、床の
 間、違棚、付書院などを備えた8畳の座敷など北通
 り3室、南通り4室の計7室から成っています。 建
 物の周囲には濡縁をめぐらしており、南面して中庭
 に臨んでいます。
 桁行3間、梁間2間、3間一戸八脚門、一重入母屋
 造、銅板葺。
 室町末期の焼失後の雲峰寺再興の折、本堂・庫裏
 などとともに造営されたと伝えられるもので、建物の
 主要部の形式手法には、室町末期の特徴が認めら
 れます。 門自体は一見簡素に感じますが、構造的
 には堂宇に類する造りで、蟇股・木鼻などの形式意
 匠に見るべきものがあります。
 熊野神社 拝殿
 山梨県甲州市塩山熊野174
 熊野神社 本殿
 山梨県甲州市塩山熊野174
 向嶽寺 中門
 山梨県甲州市塩山上於曽2026
 神社の創建は明らかではありませんが、社記によると大同2年(807)に紀州熊野より勧請され、熊野郷の
 鎮守として成立しましたが、さらに後白河天皇の勅によって熊野神社の規矩をとって社殿を建立したものと
 伝えられています。
 臨済宗向嶽寺派の大本山です。 康暦2年(1380)
 武田信玄の8代前にあたる信成が開創したお寺で
 す。 中門は室町時代の建物です。 向嶽寺は、開
 創以来幾度もの火災に遭遇し、山内のほとんどの
 伽藍を焼失していますが、この中門だけが奇跡的
 に残りました。 
 檜皮葺きで彩色や装飾要素がなく切妻屋根の簡素
 な造りの、禅宗様四脚門の代表的な遺構です。
 築地塀−県指定文化財、仏殿−市指定文化財
 拝殿は東西に石垣で三区画された社域の中間部に
 位置しています。 桁行5間、梁間3間、一重入母屋
 造、茅葺の小規模な建物です。 内部の構架の扱い
 は巧妙なものです。 様式上からみて室町時代後期
 に属するものと推定されます。
 本殿は境内を高低三段に区画された奥の高所に南
 面し6社が東西に並んでいます。 西より3棟は江戸
 時代の再建で、次の1棟は再建ができず小祠に替え
 られました。 その東に並ぶ2棟が重要文化財の本
 殿です 2棟とも同規模で、一間社隅木入春日造、檜
 皮葺。 建立年代は、構造手法から見て鎌倉時代と
 考えられます。 他の社殿とは正面を嵌板壁とし、そ
 の外面に格子組を当て、出入口が左側面にあること
 が異なります。
 旧高野家住宅  山梨県甲州市塩山上於曽1651
 
 高野家はこの地で長百姓を務めた家柄で、江戸幕府に納める甘草を栽培していたことから「甘草屋敷」と呼ばれています。 江戸時代初期頃より薬草である甘草の
 栽培を始め、八代将軍徳川吉宗の享保5年(1720)に幕府御用として栽培と管理が命ぜられました。 一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、その後同家が
 栽培する甘草は、幕府官営の小石川御薬園で栽培するための補給源となり、また薬種として幕府へ上納を行いました。 江戸時代後期の建築である主屋の他、蔵
 などの付属建物や宅地4932.07uも含め、国の重要文化財に指定されています。 
 旧高野家住宅 主屋  旧高野家住宅 巽蔵  旧高野家住宅 馬屋
 主屋は江戸時代後期の建立です。 桁行24.88m、
 梁間10.9m、背面庇付、一重三階、切妻造、茅葺
 形銅板葺の建物です。 大きな切妻屋根の前面中
 央に突上げ屋根を設ける外観は当地方民家の特徴
 をよく示しています。 内部は3階になっていて、2・
 3階を養蚕に使用し、突上げ屋根はその採光を目的
 としていました。
 巽蔵は明治時代前半の建立です。 土蔵造、桁行1
 0.6m、梁間4.5m、二階建、切妻造、北面庇附属
 こけら葺の建物です。
 馬屋は明治時代前半の建立です。 桁行9.4m、梁
 間3.6m、切妻造、茅葺の建物です。
 旧高野家住宅 東門  旧高野家住宅 文庫蔵  旧高野家住宅 小屋
 馬屋は明治時代前半の建立です。 一間薬医門、
 切妻造、茅葺の建物です。
 馬屋は明治時代前半の建立です。 土蔵造、桁行7
 .6m、梁間4.5m、二階建、切妻造、南面及び西面
 張出附属、東面付属屋 桁行9.2m、梁間5.0m、
 二階建、切妻造、桟瓦葺の建物です。
 馬屋は江戸時代後期の建立です。 桁行8.2m、梁
 間4.6m、切妻造、茅葺(鉄板仮葺)、東面、西面及
 び北面庇附属、鉄板葺の建物です。
 旧高野家住宅 地実棚 (附指定)  旧高野家住宅 表門 (附指定)  旧高野家住宅 座敷門 (附指定)
 桁行3.6m、梁間2.7m、2階建、切妻造、茅葺の
 建物です。
 棟門、切妻造、杉皮葺の建物です。  一間薬医門、切妻造、桟瓦葺の建物です。
 窪八幡神社
 山梨県山梨市北654
 
 創窪八幡神社は、清和天皇の勅願によって貞観元年(859)に九州宇佐八幡神社が勧請されたのが始まり
 と伝えられています。 当初は大井俣神社と称していましたが、後に現在の窪の地に移したため大井俣窪八
 幡神社、窪八幡神社といわれるようになりました。
 戦国期には甲斐国守護武田氏の崇敬を集め、現在の本殿は応永17年(1410)に武田信満が再建したもの
 です。 永正13年(1516)には駿河国今川氏が甲斐西郡の国衆大井氏に加担し甲斐国内に侵攻し、兵火に
 よって社殿の多くを消失しました。 現存する建造物の多くはその後、信虎によって再建されたものです。

 窪八幡神社拝殿、摂社若宮八幡神社本殿も国指定重要文化財ですが、改修工事のため見ることができま
 せんでした。

 鐘楼−山梨県指定重要文化財
 窪八幡神社 鳥居
 天文4年(1535)に武田信虎によって42歳の厄払祈
 願のために建立されたものです。 高さ7.41m、幅
 5.91mで親柱は太い円柱で直径55cmあり、杉が
 使用されています。 両部鳥居または四脚鳥居と呼
 ばれる形式のものです。
 窪八幡神社 神門  窪八幡神社 本殿  窪八幡神社 摂社若宮八幡神社本殿
 永正8年(1511)に武田信虎によって再建されたも
 のです。 四脚門、切妻造、檜皮葺の門で、前の
 堀には軽く反った石橋が架かっています。
 応永17年(1410)に武田信満によって再建されたも
 のです。 十一間社流造、檜皮葺で、三間社流造の
 三社が間に1間をおき、それぞれ横に連結した11
 間の形となる日本に現存する最大の流造本殿です。
 応永7年(1400)に武田信満によって再建されたもの
 です。三間社流造、檜皮葺の建物で、窪八幡神社最
 古の建造物です。 本殿右側に建っています。
 窪八幡神社 末社高良神社本殿  窪八幡神社 末社武内大神本殿  窪八幡神社 末社比梼O神本殿
 明応9年(1500)に武田信昌によって再建されたもの
 です。 一間社隅木入春日造、檜皮葺の建物です。
 拝殿左側に建っています。
 明応9年(1500)に武田信昌によって再建されたもの
 です。 一間社流造、檜皮葺の建物です。 本殿左
 側に建っています。
 寛永2年(1625)に徳川忠長によって再建されたもの
 です。一間社流造、銅板葺(元は檜皮葺)の建物で
 す。 境内前部の池の中島に建ち、明治初期まで「
 弁財天」と呼ばれていました。
 中牧神社 本殿
 山梨県山梨市牧丘町千野々宮576
 清白寺 庫裏
 山梨県山梨市三ヶ所620
 天神社 本殿
 山梨県山梨市大工1563
 中牧神社は、古くは窪平、城古寺、千野々宮、杣
 口の総鎮守社でした。
 本殿は文明1010年(1478)の造営で、以後数次に
 わたって修理が行われたことが棟札から判明して
 います。 一間社流造、檜皮葺、身舎は円柱で、正
 面と両側の三面に高欄付き縁を巡らしている建物
 で、室町時代の様式をよく伝えています。
 清白寺は正慶2年(1333)に創立した臨済宗の寺院
 です。 庫裏は元禄2〜6年(1689〜1693)に再建
 された桁行17.5m、梁間12.2mの建物です。
 南を正面とする切妻造、妻入、茅葺で、北面に下屋
 を設けています。
 仏殿−国宝、本堂−山梨市有形文化財
 天神社は武田家の崇敬うを受けていた神社です。
 本殿は大永2年(1522)に武田信虎によって再建さ
 れた建物です。 一間社流造、檜皮葺の建物で、全
 体の構成は窪八幡神社末社武内大神本殿との類
 似性が指摘されています。
 慈眼寺 山梨県笛吹市一宮町末木336
 慈眼寺は文明年間(1469〜86)に中興された真言宗智山派の名刹です。 武田家の祈願所として発展し七堂伽藍が整えられましたが、天正10年(1582)に織田信
 長の兵火によって焼失してしまいました。 江戸時代前期の鐘楼門、本堂、庫裏が現存しており、地方寺院の伽藍の形を現在に伝える重要な寺院です。
 慈眼寺 鐘楼門  慈眼寺 本堂  慈眼寺 庫裏
 鐘楼門は慶安3年(1650)に建立されたものです。
 建物は一間一戸楼門で、屋根は入母屋造で、当初
 茅葺でしたが後に鉄板に葺きかえられました。
 小規模ながら全体の比例や細部に優れている建物
 です。
 本堂は鐘楼門よりやや古いとみられますが、建立年
 代を示す史料はありません。 桁行16.3m、梁間
 11.9m、一重、入母屋造、鉄板葺の建物です。
 改造が少なく当初の姿をよく留めています。
 庫裏は桁行14.6m、梁間11.8m、一重、一部二
 階、正面入母屋造、背面切妻造、茅葺の建物です。
 、入母屋造、鉄板葺の建物です。
 内部に若干の改造がみられますが、保存はよく、構
 造に古式を残しています。
 山梨岡神社 本殿
 山梨県笛吹市春日居町鎮目1696
 浅間神社 摂社山宮神社本殿
 山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1705
 延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社です。
 社伝によると、崇神天皇の時代の始まりとされてい
 ます。
 本殿は、室町時代末期の建築様式で、桁行二間、
 梁間一間、隅木入春日造、こけら葺の建物です。
 フジ−笛吹市指定天然記念物
 浅間神社は、垂仁天皇8年に創建され、貞観7年(
 865)に移転されましたが、勧請地であるこの地には
 摂社として山宮神社が鎮座しています。
 本殿は永禄元年(1558)に武田信玄によって再建さ
 れた、桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、檜皮
 葺の建物です。
 夫婦杉−笛吹市指定天然記念物
 北口本宮冨士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558
 社伝によると、110年、日本武尊が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといわれています。
 また、垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もあります。 延暦7年(788)
 に甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営しました。
 拝殿・幣殿、随身門、神楽殿、手水舎、社務所、摂社諏訪神社拝殿、摂社福地八幡社−山梨県指定有形文化財
 大スギ−山梨県定天然記念物 ヒノキ、スギ−富士吉田市指定天然記念物
 北口本宮冨士浅間神社 本殿  北口本宮冨士浅間神社 東宮本殿  北口本宮冨士浅間神社 西宮本殿
 元和元年(1615)谷村城主鳥居土佐守成次によって
 造営されました。
 社殿は入母屋造りで唐破風の向拝を付けています。
 正面は一間、側面と背面は二間の割付で、擬宝珠
 高欄を回し、正面には7段の登高欄を付けています
 。 身舎は全て金箔で、彫刻には極彩色が施され、
 豪華華麗な桃山時代の特色が見られます。
 貞応2年(1223)北条義時の創建と伝えられますが、
 現社殿は永禄4年(1561)武田信玄が造営したもの
 です。
 梁間一間、桁行一間で、前面に一間の向拝をつける
 一間社流造の形式です。 全面には登高欄付の5段
 の階を設けています。 屋根は檜皮葺きです。
 文禄3年(1594)谷村城主浅野左衛門佐氏重によっ
 て本殿として建立されましたが、元和元年の本殿建
 立により現在地に移され西宮となりました。
 形式は東宮と同じ一間社流造ですが、両側面と背面
 は二間あります。 全面には登高欄付の7段の階を
 設けています。 屋根は檜皮葺きです。
 冨士御室浅間神社 本殿
 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
 善光寺 本堂
 山梨県甲府市善光寺3−36−1
 善光寺 山門
 山梨県甲府市善光寺3−36−1
 文武天皇3年(699)藤原義忠によって創建された、
 富士山に最初に祀られた神社です。
 本殿は、慶長17年(1612)に徳川家家臣の鳥居成
 次によって建てられたもので、昭和49年(1974)に富
 士山二合目から里宮に移築されました。 構造は一
 間社入母屋造、向拝唐破風造で、屋根は檜皮葺形
 銅板葺の建物で桃山時代の特徴をもっています。
 里宮社−町指定有形文化財
 善光寺は武田信玄が川中島の合戦に際して信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)に創建されたお
 寺です。 御本尊善光寺如来は武田氏滅亡により慶長3年(1598)信濃善光寺に戻され、新たに、前立仏
 を御本尊と定め、本坊三院十五庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家の位牌所にもなっ
 ています。
 武田信玄が建立した七堂伽藍は、宝暦4年(1754)
 門前の失火により、灰燼に帰してしまいました。
 現在の本堂(金堂)は、寛政元年(1789)に再建され
 たものです。 二重一階、撞木造、妻入、正面向拝
 三間、軒唐破風付、両側面向拝各一間、銅板葺、
 軒唐破風檜皮葺の建物です。 正面梁行き23.6
 m、正面屋根幅30.8m、側面桁行38.0m、総奥
 行49.1m、総高27m、建坪310.8坪という、東
 日本最大級の木造建築です。
 武山門は本堂に先立って、明和4年(1767)に再建さ
 れました。 五間三戸の楼門で、入母屋造、銅板葺
 の建物です。 重層の楼門で、桁行16.88m、梁行
 6.75m、屋根幅22.9m、棟高15mあり、両脇に仁
 王像を安置しています。
 東光寺 仏殿
 山梨県甲府市東光寺3−7−37
 光照寺 薬師堂
 山梨県甲斐市岩森1622
 旧平田家住宅
 山梨県北杜市小淵沢町7761−4
 東光寺は保安2年(1211)に創建された臨済宗妙心
 寺派のお寺で、甲府五山のひとつにかぞえられてい
 ます。 仏殿は室町時代後期(1467〜1572)の建立
 で、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、
 檜皮葺の建物です。 清白寺仏殿、最恩寺仏殿とと
 もに中世禅宗建築を知る重要な建造物といえます。
 光照寺は、永正7年(1510)に武田信虎によって岩
 森村坊沢に移され隆盛を極めました。 しかし天正
 10年(1582)武田氏滅亡の際、織田軍に火をかけ
 られ薬師堂だけが、焼失を逃れました。
 薬師堂は室町時代後期に建立された、桁行三間、
 梁間三間、一重、宝形造、銅板葺の建物です。
 武田信玄の家臣の子孫で江戸時代の大名主だっ
 た平田家の古民家です。 江戸時代中期(17世紀
 後半)に建てられた桁行19.7m、梁間10.9m、
 入母屋造、東面土庇付、茅葺の建物です。 建築
 当初は非常に広い土間と五つの部屋をもっていま
 した。
 武田八幡神社 本殿
 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
 長谷寺 本堂
 山梨県南アルプス市榎原442
 弘仁13年(822)に九州宇佐八幡宮を勧請したのが
 はじまりです。
 本殿は武田晴信(信玄)が天文10年(1541)に建立
 しました。 三間社流造、桧皮葺、身舎は桁行三間、
 梁間二間、円柱の柱を用いた室町時代の特色を見
 せる建物です。
 末社若宮八幡宮本殿、石鳥居、二の鳥居
                −山梨県指定有形文化財
 樹叢−韮崎市指定天然記念物
 長谷寺は天平年間(729 - 749)に行基によって創
 建された真言宗智山派の寺院です。 甲斐国三十
 三観音霊場の第四番札所、甲斐百八霊場の第八
 十番札所になっています。
 本堂は観音堂ともいい、大永4年(1524)に再興さ
 れた、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝
 一間、銅板葺の建物です。
 旧尾県学校校舎
 山梨県都留市小形山1564−1
 長安寺 本堂
 山梨県都留市上谷3−6−30
 大善寺 山門
 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
 明治5年(1872)の学制公布によって、明治11年に
 建てられた建物です。 間口、奥行きともに12.74
 m、二階建て(一部望楼三階)、建築面積307.92
 u、バルコニー30.44uの建物です。 時の県令
 藤村紫朗が県内各地に洋風建築を奨励したので、
 「藤村建築」と呼ばれています。
 長安寺は、天正13年(1585)に創建された浄土宗の
 お寺です。 寺は正保3年(1646)の火災で焼失して
 しまい、現在の本堂は、享保10年(1726)に建立さ
 れたものです。 桁行七間 梁間六間 一重、入母
 屋造、向拝一間、唐破風造銅板葺の建物です。
 都留市の現存する寺院本堂中、最古、最大のもの
 です。
 山門は寛政10年(1798)に再建されたものです。
 三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺の建物です。
 上下層とも三手先の組物をもちい、当時流行してい
 た彫刻をおさえ、重厚さを備えた建築です。
 本堂(薬師堂)−国宝
 金井加里神社 本殿
 山梨県甲州市塩山下小田原1071
 神部神社 本殿
 山梨県甲州市塩山上萩原1415
 神部神社 随身門
 山梨県甲州市塩山上萩原1415
 社記によると、大永3年(1523)田辺士佐守が社殿を
 建立し、山王白山・金失大神・日本武尊の三神を奉
 祀して、山王権現と称したと伝えられています。
 本殿は棟札によって寛文8年(1868)5月に再建され
 たことが知られる江戸時代初期の遺構です。 この
 本殿は二間社入母屋造で、正面に千鳥破風と向拝
 一間を付けた小規模な神社建築です。
 随身門−甲州市指定文化財
 神部神社本殿は延喜式内社、貞観2年(860)の草
 創と伝えられます。 岩間明神と称し、境内に湧泉が
 あり湯山大明神とも呼ばれました。
 本殿は棟札銘により、元亀2年(1571)の造営とわか
 りました。 一間社流造、檜皮葺。
 三間一戸八脚門の形式。 桁行3間、梁間2間、正
 面中央一間に通路を設けた一重の門です。 切妻
 造で鉄板葺、妻は主柱を棟木まで上げ、側柱と海
 老虹梁で繋ぐ禅宗様の架構形式を持っています。
 山王権現社 本殿
 山梨県甲州市塩山下粟生野1487
 恵林寺 三門
 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
 向嶽寺 築地塀
 山梨県甲州市塩山上於曽2026
 伝えによると大己貴命・素盞鳴尊の二柱を祀り、勧
 請は大同元年(806)とされます。 慶長8年(1603
 )に徳川家康から社領を寄進され、元禄11年(169
 9)5月に社殿が再建されました。 本殿は西面し、
 井桁に組んだ土台の上に建てられた二間社流造の
 建物です。 以前は檜皮葺でしたが、現在は亜鉛
 引き鉄板葺になっています。
 天正10年(1582)、武田氏を滅ぼした織田軍は恵林
 寺に押し寄せ、保護されていた者達を引き渡すよう
 快川和尚に命じましたが拒否され、怒った信長が三
 門に快川和尚他100人の僧侶を封じ込め火を放ち
 ましたという有名な場所です。
 構造は、一門一戸、楼門形式。 階下が角柱造り、
 階上部分を円柱作りとする技巧を凝らし、同時代の
 建造物の中でも逸品とされています。
 四脚門−国重要文化財、開山堂−市指定文化財
 中門の東西には漆喰製、瓦屋根の築地塀が配され
 ています。 この付近で取れる岩塩から「にがり」を
 つくり、漆喰に混ぜて築地を強化したと伝えられ、「
 塩築地」とも称されています。 南北一直線上に配
 置されている伽藍の配置上、見透かしを避けるため
 に設けられたものと考えられ、33.5mあります。
 中門−国重要文化財、仏殿−市指定文化財
 窪八幡神社 鐘楼
 山梨県山梨市北654
 旧坂本家住宅
 山梨県山梨市三富徳和420−1
 本社拝殿の北東に位置し、天文22年(1553)に武田
 晴信を大旦那として建立されました。 桁行一間、梁
 間一間、袴腰付、檜皮葺、寄棟造の建物です。
 本殿、若宮八幡神社本殿、高良神社本殿、
 武内大神本殿、比梼O神本殿、神門、鳥居
                     −国重要文化財
 旧坂本家住宅は宝暦11年(1761)に建築された古
 民家です。 桁行10間(18.2m)、梁間4.5間(8
 .2m)の直屋で、梁間4.5間の中央を棟通りとし、
 屋根は切妻造、茅葺で全面を鉄板で覆っています
 。 主体部は「イドコ」廻りの上屋柱相互にびん梁を
 架け、棟通りに大黒柱が建たない、「四つ建」形式
 の建物です。
 北口本宮冨士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558

 社伝によると、110年、日本武尊が東方遠征の折に富士山を遥拝したのに始まるといわれています。
 また、垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、
 木花開耶姫を祀ったとする説もあります。 延暦7年(788)に甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営しま
 した。
 
 本殿、東宮本殿、西宮本殿−国指定重要文化財
 大スギ−山梨県定天然記念物
 ヒノキ、スギ−富士吉田市指定天然記念物
 北口本宮冨士浅間神社 拝殿・幣殿
 山梨県富士吉田市上吉田5558
 享保19年(1734)から元文4年(1739)までに修覆さ
 れたものです。
 拝殿は入母屋造、正面千鳥破風、向拝軒唐破風銅
 板葺。 幣殿は背面切妻銅板葺。
 北口本宮冨士浅間神社 随身門  北口本宮冨士浅間神社 神楽殿  北口本宮冨士浅間神社 手水舎
 元文3年(1740)の再建です。 三間一戸の八脚門
 で、切妻造、銅板桟棒葺の建物です。
 享保19年(1734)の再建です。  延享3年(1746)の再建です。 桁行一間、梁間一間
 、一重、入母屋造、銅板平葺の建物です。 中央に
 水盤石が設置され竜頭の吐水口から水が流れ出て
 います。
 北口本宮冨士浅間神社 社務所  北口本宮冨士浅間神社
            摂社諏訪神社拝殿
 北口本宮冨士浅間神社
              摂社福地八幡社
 享保19年(1734)の再建です。  享保19年(1734)の再建です。
 慈照寺 山門
 山梨県甲斐市竜王629−1
 慈照寺 法堂
 山梨県甲斐市竜王629−1
 神部神社 本殿
 山梨県北杜市須玉町小尾3805
 慈照寺の創建年代は不明ですが、「甲斐国社記・寺記」によると当初は真言宗寺院で、室町時代の延徳元
 年(1489)に再興され曹洞宗寺院に改宗したという寺院です。 桃山、江戸時代の優れた伽藍を残していま
 す。
 神部神社は、大宝元年(701)に創建された「延喜式」
 にも載っている古い神社です。
 本殿は慶長18年(1613)に建立された、正面一間、
 側面一問、流造り、檜皮葺の一間社流造り、桁行1.
 85m、梁間1.47mの建物です。 覆屋に三棟の一
 間社流造りの社殿が並んでいます。 正殿(本殿)は
 真中に位置し、左右に末社二棟(諏訪社、岩神社)が
 並んでいます。
 山門は寛永16年(1639)に建立された、桁行三間
 梁間三間、重層入母屋造、銅板葺の建物です。
 法堂は桃山時代に建立された、桁行十二間、梁間
 八間、一重寄棟造、銅板葺で禅宗方丈形式の建物
 です。 内部は横四列、前後二列の八室に仕切られ
 ています。
 比志神社 本殿
 山梨県北杜市須玉町比志872
 北原家住宅 主屋
 山梨県北杜市白州町台ケ原2283
 北原家住宅 文化蔵
 山梨県北杜市白州町台ケ原2283
 神志神社は「日本三大寛録(901)」に記録が残る古
 社で、蔵王権現や比志権現とも呼ばれています。
 本殿は、大永8年(1528)の建立で、桁行の木鼻の側
 面は笹葉状の薄肉彫りで室町時代の特色ある意匠
 の一例を示しています。
 大スギ−山梨県定天然記念物
 北原家住宅のある白州町台ケ原は甲州街道の宿場として栄えていました。 その北側中央にある大型町屋
 が北原家住宅です。  寛延3年(1750)に信濃の高遠から移住して造酒屋を営んだのに始まり、幕末には信
 濃諏訪高島藩の御用商人になりました。 明治13年(1880)には、明治天皇巡幸の際、菅原行在所として
 使われました。 現在も銘酒「七賢」で有名な「山梨銘醸」として営業しています。
 桁行18.1m、梁間18.7m、一重一部二階、切妻
 造銅板葺の建物です。 天保12年(1841)〜嘉永7
 (1854)の間に建てられたと考えられます。
 桁行14.5m、梁間5.5m、一重一部二階、切妻
 造銅板葺、土蔵造の建物です。
 武田八幡神社 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
 武田八幡神社は、原この地に日本武尊の子である武田王を祀る宮社があったところへ、弘仁13年(822)、九州宇佐八幡宮を勧請したのが起りで、のち貞観年間
 (859-876)には京都石清水八幡宮を勧請しています。 本殿−国指定重要文化財、樹叢−韮崎市指定天然記念物
 武田八幡神社末社若宮八幡神社本殿
 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
 武田八幡神社 石鳥居
 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
 武田八幡神社 二の鳥居
 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
 若宮八幡神社は、一間社流造、桧皮葺の、桁行1.
 5m、梁間1.2mの建物です。 桃山末期から江戸
 初期の建立と推定されます。
 長さ6.6m、高さ1.788mの小さな石造明神鳥居
 です。
 長木製の両部鳥居で、高さ6.4m、笠木全長8.7
 m鏡柱々間上部4.9m、下部5.3mの鳥居で、元
 禄14年(1701)に再興されたものです。
 表門神社 石鳥居
 山梨県西八代郡市川三郷町上野2767
 表門神社は御崎神社、市川文殊とも呼ばれる延喜
 式内社の由緒ある神社です。
 石鳥居は鎌倉時代に建立された春日型の鳥居で
 す。 総高2.74m、柱幅2.57mの背の低い安定
 感のある鳥居です。
 本殿、神楽殿−町有形文化財
 コツブガヤ−県天然記念物
 宝鏡寺 仁王門
 山梨県大月市七保町林296
 大室八幡神社 本殿
 山梨県南都留郡道志村5724
 諏訪神社 本殿
 山梨県都留市川茂153
 宝鏡寺は大同2年(807)創建の真言宗の寺院です。
 現在は薬師堂と仁王門しか残っていません。
 仁王門は桁方向に4本、梁方向に3本の12本の柱
 で支えられ、中央の柱間を通路とし、左右両脇には
 仁王像が置かれています。
 本殿は一間社流造、唐破風が向拝に付いています
 。 向拝には五級の木階、本殿には随所に豪華な
 彫刻が施されています。 建築年代は室町後期か
 ら明治初期の建築と考えられています。
 本殿は入母屋造りで正方形の一間社で、全面的に
 彫刻が施された建物です。 天保2年(1831)の建立
 と思われます。
 生出神社 本殿
 山梨県都留市四日市場1066
 長生寺 中雀門
 山梨県都留市下谷2954
 雲峰寺 中門
 山梨県甲州市塩山上萩原2678
 生出神社は延長7年(929)に創立された神社です。
 本殿は明和5年(1768)に建立された、一間社入母
 屋造、銅板葺(元桧皮葺)の建物で、正面に一間棟
 唐破風向拝が付いています。
 長生寺は文明元年(1469)に開山された曹洞宗のお
 寺です。 七堂伽藍が整備されていましたが、元和4
 年(1618)に焼失、その後再建されました。 中雀門
 は一門一戸の四脚門で、禅宗寺院の様式に基づく
 構造です。
 一間一戸薬医門です。 切妻造、檜皮葺。 柱間は
 一間は扉がついて通行可能な出入口になっていると
 ころが一戸の、俗に薬医門形式の門です。
 本堂、庫裏、書院、仁王門−国指定重要文化財
 サクラ−山梨県指定天然記念物
 金井加里神社 随身門
 山梨県甲州市塩山下小田原1071
 恵林寺 開山堂
 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
 向嶽寺 仏殿
 山梨県甲州市塩山上於曽2026
 随身門は桁行3間、梁間2間の一重門で、中央一間
 を通路としています。 左右の両脇には随身像を安
 置しています。 柱は円柱の本柱にして、控柱を面
 取り角柱としています。 軒は二軒繋。 屋根は切
 妻造で亜鉛引鉄板葺。
 本殿−山梨県指定文化財
 桁行六間、梁間三間、一重入母屋造、銅板葺。
 建物構造は正面側奥行四間分と背面側奥行二間分
 は、明らかに異なる形式が接続されていて、外観上
 は脇障子によって隔てられています。 現在地へ移
 築される前は茅葺屋根でした。
 四脚門−国重要文化財、三門−県指定文化財
 天明6年(1786)の大火後の再建です。
 仏殿と開山堂を合わせ建立され、通例の禅宗仏殿と
 は異なった意匠による復合建築です。
 仏殿は桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋
 造。 開山堂は桁行四間、梁間正面三間、背面六間
 一重寄棟造。 どちらも屋根は銅板葺きです。
 中門−国重要文化財、仏殿−市指定文化財
 旧室伏学校校舎
 山梨県山梨市牧丘町室伏2120
 吉祥寺 本堂
 山梨県山梨市三富徳和2
 清白寺 本堂
 山梨県山梨市三ヶ所620
 明治8年(1875)に建築され、明治9年に諏訪尋常
 小学校として開校された建物です。 木造方形(12
 .8m)二階建ての建物で、正面はルネッサンス様
 式を取り入れ、二階にバルコニー、屋根の中央に太
 鼓楼を設けています。 「インキ壺」の愛称で呼ばれ
 ていました。
 吉祥寺は、承元年中(1207〜1211)に武田信光が
 石和館の鬼門除けとして開創したと伝えられてい
 ます。 本堂は永禄8年(1565)武田信玄により再
 興され、延宝7年(1679)にも修復再興されています
 。 入母屋造、正面に鬼面を配し、開口4.5間、奥
 行5.5間。 向拝は軒唐破風、海老紅梁により本
 堂と繋がっています。
 新羅ザクラ−山梨県天然記念物
 清白寺は正慶2年(1333)に創立した臨済宗の寺院
 です。 本堂は元禄6〜正徳3年(1693〜1713)に
 建立された桁行18.2m、梁間11.8m、入母屋造
 、桟瓦葺(元は茅葺)の建物です。
 仏殿−国宝、庫裏−山梨県重要文化財
 浅間神社 拝殿
 山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
 遠妙寺 仁王門
 山梨県笛吹市石和町市部1023
 普賢願生稲荷堂 本殿
 山梨県笛吹市石和町市部1016遠妙寺
 浅間神社は、甲斐国一宮の神社です。 垂仁天皇8
 年、神山の麓に創祀され、貞観7年(865)現社地に
 遷座されました。 旧社地には摂社山宮神社があり
 ます。 拝殿は、寛文12年(1672)に建立された桁
 行7間、梁間3間、一重入母屋造りの建物で、正面
 中央1間に唐破風造の向拝が付き、屋根は檜皮葺
 の上に銅版をかぶせています。
 浅間神社の夫婦ウメ−山梨県指定天然記念物
 遠妙寺は日蓮宗身延五ケ寺のひとつです。 日蓮上
 人が文永11年(1274)に開いたといわれる古刹で
 す。 仁王門は、寛政元年(1789)の再建で、三門一
 戸側面二間楼門重層入母屋造瓦葺の建物です。
 安置仏は、密迹金剛神、執金剛神の2体です。
 願生稲荷は、住吉国主武田家屋敷の守護神として
 古城にありましたが、武田家滅亡後は忘れられてい
 ました。 享和3年(1803)、それまで空宮だった妙覚
 稲荷堂跡地に古城稲荷を勧請したのが始まりといわ
 れています。
 本殿は、嘉永3年(1850)の建立で、一間社流造唐
 破風向拝付檜皮葺の建物です。
 承天寺 鐘楼
 山梨県南都留郡忍野村内野192
 内野天狗社 社殿
 山梨県南都留郡忍野村内野381−1
 承天寺は甲斐百八霊場の第31番で郡内三十三観
 音の19番札所になっています。 鐘楼は享和2年(
 1802)に建立された方三間(5.45m)、袴腰付き
 の重層入母屋造、茅葺の建物です。
 社殿は江戸中期の建立された一間社流造の建物
 です。 高欄付縁を回し、正面の扉などに美しい彫
 刻が施されています。
  
 福源寺 太子堂
 山梨県富士吉田市下吉田5870
 円通寺 本堂
 山梨県南都留郡富士河口湖町船津3932
 円通寺 庫裏
 山梨県南都留郡富士河口湖町船津3932
 福源寺は文安4年(1447)に浄土真宗に改宗された
 お寺です。 太子堂は、享保9年(1724)に建立され
 た六角の寄棟で、屋根は銅版葺の建物です。 中
 に聖徳太子の木造と肖像画が祀ってあります。
 本堂は天明6年(1786)に再建されたもので、約三
 尺の石積基壇の上に、桁行9間半(17.2m)、梁
 間7間半(13.5m)の規模の入母屋造りで、禅宗
 特有の寺院建築です。
 庫裏は明和8年(1771)に再建されたもので、桁行1
 3間(23.5m)、梁間6間(10.8m)の大規模な建
 築で、屋根は茅葺(銅板被履)の入母屋造り東面す
 る妻入りの建物です。 
 河口浅間神社 本殿
 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
 妙法寺 庫裏
 山梨県南都留郡富士河口湖町小立692
 三十番神堂
 山梨県南都留郡富士河口湖町小立692
 河口浅間神社は、貞観6年(864)の富士山大噴火を
 鎮める為に、翌年創建された神社です。 慶長11年
 (1606)に焼失したため、翌年再建されました。 一
 間社流造りで唐破風付の向拝を備えた折表様の建
 物です。
 妙法寺は「甲斐百八霊場」第32番の法華宗の寺院
 です。 庫裏は文化15年(1818)の建立で、旧新井
 家の居宅を移築したものです。 間口13間(23.5
 m)、奥行7間半(13.6m)の切妻造の建物です。 
 妙法寺本堂左側に建っています。 明治23年(189
 0)に建立された 法華経守護の三十番神像(30躰
 )を祀る折衷様の建物です。
 妙本寺 棟内本堂、客殿、庫裏
 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山609
 八王子神社 拝殿
 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山938
 冨士御室浅間神社 里宮社
 山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
 妙本寺は法華宗本門流の寺院です。 元文元年(17
 36)に本堂・庫裏・客殿一宇が再建されました。 梁
 間7間(12.6m)、桁行11間半(20.7m)、建坪8
 0.5坪(265.65u)の建物です。
 昭和9年(1934)、本殿を5間(9m)後方に移動し、
 拝殿の全面改築(新築)を行ったものが現在の拝殿
 です。
 明治22年(1889)に再建された建物です。 江戸時
 代中期の優れた技法による建造物です。
 本殿−日本国指定重要文化財
 大嵐山の神社
 山梨県南都留郡富士河口湖町大嵐71
 天神社 本殿
 山梨県南都留郡富士河口湖町大嵐71
 精進諏訪神社 社殿
 山梨県南都留郡富士河口湖町精進84
天神社は大同2年(807)に創建された羽根子山と足和田山に挟まれた尾根に建つ神社です。   天保14年(1843)に再建された、一間社流造り柿葺
 の建物です。 随所に施された装飾彫刻が特徴の建
 物です。
 精進の大杉−国指定天然記念物
 諏訪神社の大杉−町指定天然記念物
 八幡神社及び舞殿
 山梨県南都留郡鳴沢村3323
 春日神社
 山梨県南都留郡鳴沢村8073
 魔王天神社
 山梨県南都留郡鳴沢村7585−2
 八幡神社は火災で焼失してしまったため、文化12
 年(1815)に現在地に再建されたものです。 文化
 14年(1817)に拝殿が、文政8年(1825)に本殿が
 建立されました。 舞殿は神楽殿として建てられた
 ものです。
 長暦2年 (1038) に創建された神社です。 現在の
 社殿は明和8年(1771)に建立されました。
 創建は不詳ですが承和3年(836)に社殿を修理の
 記録が残る古い神社で、享禄元年(1528)に現在
 地に遷宮されました。 魔王山自体を御神体として
 いるため、本殿を設けないという古式の神社形態を
 継承しています。 拝殿は入母屋、銅瓦棒葺、桁行
 5間、一間軒唐破風向拝付の建物です。
 三社神社 石鳥居
 山梨県甲斐市竜王1888−1
 三社神社 本殿
 山梨県甲斐市竜王1888−1
 勝永寺の門
 山梨県北杜市明野町上神取1080
 三社神社は、天長2年(825)に甲府盆地に大水害が発生し水防祈願を行うために、甲斐国の一宮浅間神社
 、二宮美和神社、三宮玉諸神社から各祭神が渡御し置かれた神社です。 
 勝永寺は屋代越中守勝永の菩提寺です。 勝永寺
 入口に建つ門は、明治の頃寄進された、須玉町江
 草馬場の関にあった関所門です。 馬場は小尾街
 道に沿い、信州への街道の要衝にありました。
  門は高麗様式の構造となっています。
 高さ2.62m、幅3.16mの明神鳥居(台輪鳥居)
 でとす。 桃山時代の造立考えられ、承応元年(16
 52)に修理されています。
 本殿は貞享3年(1686)に建立された、桁行三間、
 梁間二間の三間社流造、銅板葺の建物です。
 若宮神社 本殿
 山梨県南アルプス市飯野2175
 表門神社 本殿
 山梨県西八代郡市川三郷町上野2767
 表門神社 神楽殿
 山梨県西八代郡市川三郷町上野2767
 長若宮神社は、天正年間(1573-1592)に現在地に
 遷座された八幡神の若宮です。 本殿は一間社流
 造、桁行1.56m、梁間1.40m、向拝梁間0.8
 3m、建坪約3.48uの建物です。 屋根は桧皮
 葺から銅板葺に替えられています。 元禄2年(16
 89)奉上葺の棟札があるので、建立年代は寛文年
 代(1661-1672)と思われます。
 表門神社は御崎神社、市川文殊とも呼ばれる延喜
 式内社の由緒ある神社です。
 本殿は元禄8年(1695)に建立された、三間社流造
 、銅板葺の建物です。
 石鳥居−県文化財、 コツブガヤ−県天然記念物
 表門神社は御崎神社、市川文殊とも呼ばれる延喜
 式内社の由緒ある神社です。
 神楽殿は本殿と同じく元禄8年(1695)に建立され
 た、正面一間、側面一間、切妻造銅板葺の建物で
 す。
 石鳥居−県文化財、コツブガヤ−県天然記念物
 笹子隧道
 山梨県大月市笹子町黒野田
 駒橋発電所落合水路橋
 山梨県都留市古川渡字落合
 甲州街道の一番の難所が笹子峠です。 昭和13年
 (1938)に開通したのが笹子隧道で、標高1096m
 の笹子峠の下を通っています。 全長240m、幅3.
 0m、高さ3.3mのトンネルで、昭和33年に新笹子
 トンネルが開通するまで、甲州街道の交通を支えて
 いました。
 東京電灯(現東京電力)駒橋発電所関連の施設とし
 て明治40年(1907)に建設された水路橋で、朝日川
 を越える地点に作られました。 河床を3連アーチで
 越え、東側に小さな4つのアーチを設けています。
 長さ56m、幅員8.5mの煉瓦造アーチ橋です。