神奈川県 |
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旧佐々木家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧江向家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧作田家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−長野県南佐久郡佐久穂町畑
佐々木家は千曲川沿いの名主を交替で勤める有力
農家です。 享保17年(1732)に建築された、寄棟
造、茅葺(一部石置板葺)、一部中二階、桁行24.
7m、梁間10.0mの建物です。 降雪量の少ない
地方のため、柱や梁は比較的細い材料を使用して
います。 東側の屋根は半切妻、いわゆる「兜造り」
の構造となっています。 |
旧所在地−富山県南砺市上平細嶋
江向家は富山県と岐阜県との境、庄川沿いに位置
する五箇山の合掌造民家です。 豪雪地帯である
ことから柱や梁の材料が太く、屋根の勾配が急傾
斜になっています。 18世紀初頭に建築された切
妻造、茅葺、一重三階、桁行19.8m、梁間8.5
mの建物です。 一見、入母屋造にも見えますが、
切妻造の妻側に庇を取り付けた形になっています。 |
旧所在地−千葉県山武郡九十九里町
作田家は佐久田村の名主で、鰯漁の網元を勤めた
家柄です。 17世紀後半に建築された、棟を別にす
る分棟型民家で、棟と棟との間には大きな丸太を2
つに割って作った雨樋が設けられています。 寄棟
造、茅葺、風呂場および便所付属で、主屋は桁行1
3.0m、梁間10.3m、土間は桁行12.3m、梁間
5.6mの建物です。 |
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旧太田家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧北村家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧伊藤家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−茨城県笠間市片庭
太田家は名主の家柄と伝えられる旧家です。 太田
家住宅は、煮炊きをする釜屋(土間)と居住部分に、
別々に屋根をかけ、ふたつの屋根を接続して一軒の
家を構成しています。 この形式は分棟型または釜
屋建と呼ばれています。 17世紀後半に建築された
寄棟造、茅葺、主屋は桁行9.8m、梁間8.3m、土
間は桁行11.0m、梁間8.5mの建物です。 |
旧所在地−神奈川県秦野市堀山下
北村家は名主の分家と伝えられています。 貞享4
年(1687)の建築で、建立年時の明らかな民家として
東日本では延宝2年(1674)に建てられた茨城県出
島村の椎名家住宅に次いで古い建物です。 寄棟造
、茅葺、桁行15.8m、梁間8.9mの建物です。 |
旧所在地−神奈川県川崎市麻生区金程
伊藤家は江戸時代には名主を勤めた農家です。
県内では多摩丘陵地方に多く分布する入母屋造草
葺屋根の建物で閉鎖的なたたずまいを見せていま
す。 17世紀末〜18世紀初頭に建てられた、入母
屋造、茅葺、桁行16.4m、梁間9.1mの建物で
す。 |
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旧工藤家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
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旧所在地−岩手県紫波郡紫波町
工藤家の形式でもある「南部の曲屋」は、盛岡を中
心とする旧南部藩領という、比較的限られた地域内
に分布する特異な民家形式です。 L字型の平面を
持ち、主屋に対して曲がった部分は馬屋となってい
ます。 床上は上座敷だけが畳敷きで他は全て板
の間、天井は全て吹き抜けで建物全体が1室となっ
ています。 18世紀中ごろに建てられた、寄棟造、
茅葺、桁行19.2m、梁間11.1m、西面突出部、
桁行7.6m、梁間7.1mの建物です。 |
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鶴岡八幡宮
神奈川県鎌倉市雪ノ下2−1−31
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰
り、出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八
幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源頼朝が治承4年(1180)に八幡宮を現在
の地に遷し、 建久2年(1191)の社殿焼失を機に上
下両宮の現在の姿に整えました。 承元2年(1208
)には神宮寺が創建されました。 鎌倉幕府衰退後
は25の僧坊の数も減少し一時衰退しましたが、江
戸時代に入ると徳川幕府の庇護を受け大規模化が
進みました。
大イチョウ−神奈川県指定天然記念物
白旗神社本殿・拝殿−鎌倉市指定文化財
ビャクシン−鎌倉市指定天然記念物 |
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鶴岡八幡宮 摂社若宮 |
鶴岡八幡宮末社 丸山稲荷社本殿 |
江戸幕府2代将徳川秀忠による寛永造替時のもの
です。 本殿、幣殿及び拝殿が工字型につながって
います。 |
室町時代、関東における純粋で本格的な和様中世
神社本殿として重要な建物。 |
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鶴岡八幡宮 上宮本殿 |
鶴岡八幡宮 上宮回廊 |
鶴岡八幡宮 上宮式内社 |
文政11年(1828)江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営で代表的な江戸建築です。 回廊が巡る一郭の内部中軸線上に本殿、幣殿及び拝殿が工字型につながって
います。 |
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建長寺
神奈川県鎌倉市山ノ内8
鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。
建長5年(1253)北条時頼によって創建された禅宗寺院です。 開山は宋からの渡来僧蘭渓道隆(大覚禅師)
でした。 わが国最初の禅の専門道場です。
最盛期には塔頭が49院ありましたが火災により焼失し、現存する建物は江戸時代以降に徳川家の援助で
再建または移建されたものです。
総門、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ中国の禅宗様式の伽藍の周囲を10の塔頭寺院が取り囲ん
でいます。
ビャクシン−鎌倉市指定天然記念物 |
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建長寺 山門(三門) |
山門は,安永4年(1775)の建立。 禅宗様式を基調
とした高さ約30mの二重門で、下層を吹き放し、上
層には釈迦如来像や五百羅漢像などを安置してい
ます。 屋根は入母屋造銅板葺で、二階正面中央
には軒唐破風を設けています。 建長寺山門は三
間二重門として東日本最大の規模を誇ります。 |
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建長寺 仏殿 |
建長寺 法堂 |
建長寺 唐門 |
芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を譲渡され
たもので、正保4年(1647)に移築されています。
もともと霊廟建築として造られたものなので、屋根や
天井などの形式が禅宗の仏殿とは異なり、入母屋
造でなく寄棟造になっています。 天井は禅宗仏殿
では鏡天井とし龍などの絵を描くことが多いのです
が、この仏殿の天井は和様の格天井になっていま
す。 堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代像
高2.4m)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地
蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、
伽藍神像などが安置されています。 |
江戸時代の文化11年(1814)に再建された、関東
最大の法堂です。
禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物です。
昔は建長寺全体が修行道場で、僧侶全員がこの法
堂に集まって説法を聞いていました。 388人の僧
侶がいたという記録が残っています。
内部には千手観音坐像を本尊として安置しています。 |
唐門は屋根が唐破風になっている門のことです。
方丈の正門で、勅使門ともいいます。
仏殿と同じく、芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院霊
屋から正保4年(1647)に移築されたものです。 |
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英勝寺 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1−16−3
英勝寺は、鎌倉唯一の尼寺です。 寛英13年(1636)、江戸城を築いた太田道灌の孫で徳川家康の側室お勝の局が、道灌の屋敷跡に開山しました。 その際、初
代住職として水戸家徳川頼房の娘を迎え代々姫住職が継いでいましたが6代以降は住持が絶え、英勝寺も衰退していきました。
大正12年の関東大震災の際、山門、庫裡、蔵などが倒壊し、往時の面影はありませんが、仏殿、鐘楼、唐門、祠堂などは現在も残っており、当時の勢力の強さが
うかがえます。 |
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英勝寺 仏殿 |
英勝寺 鐘楼 |
英勝寺 祠堂門(唐門) |
寶珠殿と呼ばれる仏殿は水戸頼房の後援により、そ
の母英勝院を開基として寛永13年(1636)に建立さ
れました。 裳腰と呼ばれる二重屋根の構造や花頭
窓などの様式に禅宗建築の影響が見られる、桃山
時代の特徴を備えた建造物です。 |
鐘楼は袴腰付楼閣形式で、寛永20年(1643)の建
立。 梵鐘には林道春撰の銘文が刻まれ、その末
尾に「寛永二十年五月吉日 法印道春撰 治工大
河四郎左衛門吉忠」と記されているといわれていま
す。 |
唐門も寛永20年(1643)の建立と考えられます。
唐破風を平入にとる平唐門の様式で、祠堂の門とし
て採用されました。
奥の覆屋には寛永19年(1642)に没した英勝尼を祀
る祀堂が納められています。 水戸光圀が寄進した
もので、極彩色に塗られた建物は日光の陽明門を
思わせます。 |
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荏柄天神社 本殿
神奈川県鎌倉市二階堂74 |
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荏柄天神社は長治元年(1104))に創立された神社
です。 本殿は、寛永元年(1624)の鶴岡八幡宮若
宮の社殿造営時、若宮の旧本殿を移築して再興さ
れたものです。 若宮は、正和5年(1316)に建立さ
れた三間社流造、銅板葺の建物です。
イチョウ−鎌倉市指定天然記念物 |
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旧鈴木家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧井岡家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧三澤家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−福島県福島市松川町
鈴木家は屋号を「赤浦屋」といい、奥州街道の宿場
町「八丁目宿本町」の馬宿でした。 19世紀初頭の
建築で、寄棟造(背面妻入母屋造)、茅葺、一部二
階の建物です。 主屋は桁行10.6m、梁間7.9m
、背面突出部は桁行10.4m、梁間7.2mあります
。 |
旧所在地−奈良県奈良市下高畑町
井岡家は興福寺から新薬師寺に向かう柳生街道に
建てられていた油屋です。 17世紀後半から18世
紀初頭に建築された、切妻造、桟瓦葺(一部本瓦葺
)、一部厨子2階、桁行8.6m、梁間12.7mの建
物です。 |
旧所在地−長野県伊那市西町
三澤家は屋号を「槌屋」といい、伊那街道の宿場町
「伊那部宿」で薬種業を営み、旅籠も兼業していまし
た。 組頭役で、一時名主も勤めた家柄です。 天
保11年(1840)の焼失直後の再建で、切妻造、石
置板葺、一部中二階、桁行13.6m、梁間15.5
mの建物です。 |
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旧山田家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧野原家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧山下家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−富山県南砺市桂
山田家は富山県庄川の最上流、岐阜県境に近い戸
数5、6戸の秘境にありました。 18世紀初頭に建
築された、切妻造、茅葺、一重三階、桁行14.8m
、梁間9.5mの建物です。 |
旧所在地−富山県南砺市利賀村
野原家は庄川が東に分岐した利賀川の流域に位置
し、同じ五箇山でも庄川本流に沿って山ひとつ隔て
た平村や上平村の合掌造とはかなり趣を異にして
います。 白川村の切妻造とは違って、妻飾の大き
な入母屋造になっています。 18世紀後期に建築
された東面入母屋造、西面切妻造、茅葺、一重三
階、桁行17.5m、梁間10.6mの建物です。 |
旧所在地−岐阜県大野郡白川村
かつては飛騨白川村全域に分布していた合掌造も
集落としての景観をとどめるのはわずかに荻町地区
だけとなってしまった。 山下家は白川村字御母衣
にありましたが御母衣ダム建設のため水没すること
になったので移築されたものです。 19世紀前半に
建築された切妻造、茅葺、茅葺、一重三階、桁行1
8.2m、梁間11.8mの建物です。 |
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旧広瀬家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧清宮家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧岩澤家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−山梨県甲州市塩山上萩原
かつて甲府盆地東部一帯には切妻造の草葺屋根の
民家が散在していました。 一般的な屋根の形は寄
棟造、入母屋造で、切妻造は少数派でした。 切妻
造の民家が分布するのは全国的にも奈良・大阪・岐
阜・富山そして山梨のみです。 広瀬家は、17世紀
末に建築された、切妻造、茅葺、桁行14.5m、梁
間8.9mの軒が低く壁の多い閉鎖的な甲州民家で
建物です。 |
旧所在地−神奈川県川崎市多摩区登戸
家の正面を除き三方が土壁で塞がれ、きわめて閉鎖
的で開口部が極端に少ない建物です。 また格子窓
が土間と床上境にも設けられ、縁側もありません。
17世紀後半に建築された、寄棟造、茅葺、桁行13
.6m、梁間8.2m、整形4間取の建物です。 |
旧所在地−神奈川県愛甲郡清川村
岩澤家は相模川の支流小鮎川の段丘上に立地し、
名主も勤めた家柄です。 屋根は移築前は寄棟造で
したが、入母屋造に復原されています。 17世紀末
に建築された、入母屋造、茅葺、桁行14.5m、梁
間7.3m、神奈川の古民家の主流である広間型3
間取の建物です。 |
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旧菅原家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
称名寺 金堂
神奈川県横浜市金沢区金沢町212−1 |
杉本寺 観音堂
神奈川県鎌倉市二階堂903 |
旧所在地−山形県鶴岡市松沢
菅原家は代々肝煎を勤めた有力農家です。 古来よ
り霊山としての信仰を集めた「出羽三山」の麓から移
築した妻入り農家で、屋根の途中にハッポウと呼ぶ
曲線の美しい高窓を有しています。 この地方は有
数の豪雪地帯で、ハッポウは積雪時の出入口とし
ても利用されていました。 18世紀末に建築された
、寄棟造、茅葺、一重三階、桁行15.8m、梁間9
.9mの建物です。 |
称名寺は北条実時が正嘉2年(1258)開基したと
いわれる金沢北条氏一門の菩提寺古刹で、真言
律宗別格本山、新四国東国八十八箇所霊場75番
の寺院です。 金堂は天和元年(1681)に再建され
た禅宗様の建物です。 桁行五間、梁間五間、一
重、入母屋造、本瓦葺の建物です。
国指定史跡 光明院表門−横浜市指定文化財 |
杉本寺は、天平6年(734))に創建された鎌倉最古
の寺です。 文治5年(1189)堂宇が焼失しています
が、建久2年(1191)に源頼朝が再興したと言われ
ています。 観音堂は貞享4年(1687)に再建され
た五間四面、萱葺の中世密教本堂形式の建物で
す。
坂東三十三観音札所第1番 |
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長勝寺 法華堂
神奈川県鎌倉市材木座2−12−17 |
神武寺 薬師堂
神奈川県逗子市沼間2−1402 |
海南神社本殿、幣殿、拝殿
神奈川県三浦市三崎4−12−11 |
長勝寺は弘長3年(1263)に創建した日蓮宗の古
刹です。 法華堂は、本堂左側の石段の上に建っ
ています。 室町時代末の建立で、桁行5間、梁間
6間の一重寄棟造の建物で、神奈川県唯一の中世
五間堂です。 |
神武寺は、神亀元年(724)行基の開創と されてい
ます。 源頼朝や実朝が参詣したという記録も残っ
ています。 薬師堂は、寛文6年(1666)に再興され
た桁行3間、梁行3間、寄棟屋根の建物です。
なんじゃもんじゃ−かながわ名木100選 |
本殿は寛保3年(1743)、幣殿及び拝殿は寛政10
年(1798)に建立された建物です。 。本殿は元は
二間社流造で、規模が大きく、装飾の質も高く、県
内の江戸時代中期を代表する社殿です。 拝殿及
び幣殿は、細部が時代に比べて古様で、本殿との
調和を強く意図していると思われます。
海南神社の銀杏−三浦市指定天然記念物 |
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新善光寺 四脚門
神奈川県三浦郡葉山町上山口1363 |
新善光寺 本堂
神奈川県三浦郡葉山町上山口1363 |
小原宿本陣(旧清水家住宅)
神奈川県相模原市相模湖町小原698-1 |
新善光寺は浄土宗のお寺で、古くは建久6年(1195)源頼朝が長野善光寺より阿弥陀如来像を請来したこと
に始まります。 常緑樹林−葉山町指定天然記念物 |
小原宿本陣は、江戸時代、信州の高島、高遠、飯
田三藩の大名、甲府勤番の役人が参勤交代の際
利用したものです。 神奈川県下26軒あった本陣
で現存する唯一の建造物で、19世紀初期(江戸
時代後期)の建築です。 間口12間、奥行7間、4
層のカブト造りの入母屋造りの建物です。 部屋数
は、15畳2間、12.5畳1間、8畳3間、6畳3間、
4畳3間、2畳1間 あります。 |
四脚門は禅宗様を基調とした切妻銅板葺の建物で
す。 構造手法から、江戸時代初期の建築と考えら
れます。 |
本堂は、禅宗様式の手法で建立された、桁行七間、
梁行六間の寄棟造銅板葺の仏堂です。 手法から室
町時代のものと考えられますが、江戸中期に全面的
な改修がされています。 |
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石楯尾神社 本殿
神奈川県相模原市藤野町名倉4524 |
本禅寺 本堂
神奈川県厚木市飯山3515 |
光明寺 観音堂
神奈川県平塚市南金目896 |
創建は古く、応神天皇時代以前といわれている古社
です。 武田信玄の軍に焼かれ、江戸時代に再建さ
れました。 本殿は16世紀末の建築と推定されてい
ます。
二本杉と社叢−神奈川県指定天然記念物 |
本禅寺は日蓮宗の寺院です。
本堂は、寛永18年(1641)に建立されました。 近世
の本堂は仏堂形式と方丈形式に分けられますが、こ
の本堂の間取りは方丈形式です。 しかし内陣周り
や柱上などには仏堂の要素が見られます。 近世初
期の日蓮宗本堂は数少なく、貴重な存在です。 |
光明寺は、大宝2年(702)の創建と伝えられる天台
宗の寺院で、源頼朝、足利尊氏や関東公方の保護
を受けた古刹です。 観音堂は、明応7年(1498)の
建立です。 桁行五間、梁間六間、宝形造、柿葺形
銅板葺の建物です。 本格的密教本堂形式で、異
例なほど外陣の閉鎖性が著しいのが特色です。
仁王門−平塚市指定重要文化財
坂東三十三観音札所第7番 |
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妙覚寺 四脚門
神奈川県平塚市南金目896 |
勝福寺 本堂
神奈川県小田原市飯泉1161 |
五所神社 本殿
神奈川県足柄下郡湯河原町宮下357 |
妙覚寺は、康治元年(1142)に建立された天台宗の
古刹です。
四脚門は、桁行2.55m、梁行2.73m、切妻造、
こけら葺形銅板葺の門です。 関東大震災前には
扉もあり、茅葺で黒く塗られていたため「黒門」とも
呼ばれていました。 室町時代末の形式を示してい
ますが桃山期の建立と考えられます。 一部禅宗様
を取り入れていますが、全体は和様の建物です。 |
勝福寺は、京都東寺真言宗のお寺で、天平勝宝5
年(753)の創立とされています。 室町時代に現在
地に移り、その後、小田原城の鬼門鎮護の道場と
なりました。 本堂は宝永3年(1706)に再建された
ものです。 建物は、木造回縁向拝付銅葺単層宝
形造、間口五間(9.1m)、奥行五間の密教系寺院
独特の構えで、内陣は後部三間(5.45m)外陣は前
部二間(3.63m)の板の間です。 江戸時代初期の
様式を残していて地方色豊かな建物です。
仁王門−小田原市指定有形文化財
大イチョウ、樹叢−神奈川県指定天然記念物 |
五所神社は、今から1300年前天智天皇の頃土肥
郷の総鎮守として創建されたと伝えられています。
康平3年(1060)の源義家や、治承4年(1180)の源
頼朝など多くの武将が戦勝祈願に訪れています。
本殿は、元和7年(1621)に建立された、三間社流
造の建物で、屋根はもと柿葦でした。 拝殿後部と
接続していますが、もとは独立した建物でした。
銀杏、楠−湯河原町指定天然記念物 |
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旧原家住宅
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧佐地家門・供侍・塀
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
水車小屋
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町
原家は中原往還に面する小杉陣屋町に屋敷を構え
る有数の豪農です。 22年の歳月をかけて明治44
年(1911)に建築された、木造2階建、入母屋造、桟
瓦葺(一部下屋銅版葺)の建物です。 1階は桁行1
7.6m、梁間13.3m、2階は桁行10.9m、梁間
9.1mあります。 |
旧所在地−愛知県名古屋市東区白壁
尾張藩士として250石を相続していた武家屋敷の入
口部分です。 門、供待、塀が一体となっています。
19世紀初頭に建築されました。 門は全柱間12.0
1尺、中央柱間6.01尺、木造、棟門、切妻造、桟瓦
葺。 供待は桁行30.39尺、梁行15.05尺、木造
入母屋造、桟瓦葺。 塀は延長34.80尺、木造、桟
瓦葺、門左脇に潜り戸、門両脇に前方への袖壁付の
建物です。 |
旧所在地−長野県長野市上ヶ屋
19世紀中頃に建築されたものです。 寄棟造、茅葺
、妻入、桁行4.5m、梁間4.2mの建物です。 車
輪の直径3.6mの大型水車を取り付け、木製の歯
車装置によって、製粉・精米・藁打ちができるように
なっています。 |
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沖永良部の高倉
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
棟持柱の木小屋
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
菅の船頭小屋
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
旧所在地−鹿児島県大島郡和泊町
高倉は、一間四方に丸柱を立て、その上に茅葺屋
根をのせて、その屋根裏を倉として用いました。
床下部は作業場、休憩所、物置などに利用されま
した。 19世紀中頃に建築された、四柱高倉、寄
棟造、茅葺、平入、桁行2.7m、梁間2.5mの建
物です。 |
旧所在地−神奈川県川崎市多摩区生田
この建物は「クズ小屋」と呼ばれ、薪や堆肥用の落
葉を貯めておく小屋でした。 大正13年(1924)に
建築された、切妻造、杉皮葺、妻入、桁行3.6m、
梁間2.7m、正面左側に下屋を付けた簡素な建物
です。 |
旧所在地−神奈川県川崎市多摩区菅
この船頭小屋は、多摩川の菅と調布を結ぶ「菅の渡
し場」にあり、船頭が客待ち、川の見張り、休憩にい
られていました。 昭和4年(1929)に建築された、招
き屋根、杉皮葺、桁行1.8m、梁間1.8mの建物で
す。 |
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蚕影山祠堂覆殿
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
蚕影山祠堂宮殿
神奈川県川崎市多摩区枡形7−1−1
日本民家園 |
称名寺塔頭光明院 表門
神奈川県横浜市金沢区金沢町212−1 |
旧所在地−神奈川県川崎市麻生区岡上
東光院境内に祀られていましたが、養蚕の衰退とと
もにお堂の維持が困難になったため寄贈されました
。 覆殿は、元治2年(1865)に建築された、正面入
母屋造、背面寄棟造、妻入、桁行15尺、梁間9尺
の建物です。 |
養蚕の神「蚕影大権現」を祀る宮殿です。 文久3年
(1863)に再興された、一間社春日造(隅木入)、向
拝軒唐破風付、柿葺、桁行2尺、梁間3.289尺の
建物です。 |
塔頭光明院は江戸時代には五つの塔頭の第一位
でした。 表門は、寛文5年(1665)に建立された禅
宗様の四脚門で袖塀付、切妻造、茅葺の建物です
。 横浜市内最古の建物です。
国指定史跡 金堂−神奈川県指定重要文化財 |
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鶴岡八幡宮 白旗神社本殿、拝殿
神奈川県鎌倉市雪ノ下2−1−31 |
浄光明寺 阿弥陀堂
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2−12−1 |
浄光明寺 山門
神奈川県鎌倉市扇ガ谷2−12−1 |
鶴岡八幡宮本宮の東側に位置します。
正治2年(1200)源頼家が父頼朝を祭神として建立し
後に3代将軍実朝も祀られました。 拝殿は車寄せ
風の唐破風造り。 明治20年(1887)の改修で、漆
塗りの黒みがかった柱に金の飾りが施され、重厚な
造りとなりました。
上宮(本殿・幣殿・拝殿、回廊、末社式内社本殿)、
摂社若宮、末社丸山稲荷社本殿
−国指定重要文化財
大イチョウ−神奈川県指定天然記念物
ビャクシン−鎌倉市指定天然記念物 |
真言宗泉湧寺派寺院。 建長3年(1251)真阿を開山とし、6代執権北条長時が建立しました。
浄土教色の強い寺でしたが、次第に真言・天台・禅・律の四宗兼学となっていきました。
中世を通じ、足利尊氏・直義の保護を受け、室町時代には鎌倉公方足利満兼の菩提寺となりました。
往時は10近い子院がありましたが、幕末には慈恩院を残すのみとなりました。
マキ−鎌倉市指定天然記念物 |
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岩殿寺 観音堂
神奈川県逗子市久木5−7−11 |
海宝院 四脚門
神奈川県逗子市沼間2−12−15 |
森戸大明神 社殿
神奈川県三浦郡葉山町堀内1025 |
岩殿寺は、養老5年(721)に創建された曹洞宗のお
寺で、「吾妻鏡」には源頼朝、北条政子、源実朝らが
参詣したと記されています。
観音堂は享保13年(1728)に再建された、桁行三間
、梁間五間の寄棟造の建物です。 昭和63年の修
理で茅葺から銅板葺になりました。
坂東三十三観音札所第2番 |
海宝院は曹洞宗のお寺です。 天正19年(1591)に
は18石の御朱印を賜りました。 四脚門は寛政2年
(1790)の火災の際焼け残った唯一の建物です。 桁
行3.14m、梁行2.78m、切妻造茅葺の標準的な
禅宗様四脚門で、室町時代末期の特徴を残している
建物です。 |
森戸神社は、治承4年(1180)、旗挙げに成功した源
頼朝が歓請したと伝えられています。
建坪は136u。 構造は本殿と拝殿との間に石の
間を設けた権現造りで屋根は瓦葺流れ造りとなって
います。
ビャクシン−葉山町指定天然記念物 |
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観音寺 仁王門
神奈川県相模原市津久井町中野1200 |
江島神社 青銅鳥居
神奈川県藤沢市江ノ島1−3 |
旧和田家住居
神奈川県茅ヶ崎市堤3882 |
観音寺は臨済宗建長寺派の寺院です。
仁王門の建立は寛政8年(1796)。 この寺門は草葺
屋根でしたが、大正7年(1918)に亜鉛鉄板葺に改装
されました。
正面向かって右に「阿形」左に「吽形」の仁王像が安
置されています。 |
江島神社参道入口に建っています。 延享4年(174
7)に創建され、文政4年(1821)に改修されました。
2本の柱には江戸町人の名が一面に刻まれており、
弁財天信仰の象徴ともいわれました。 |
安政2年(1855)に完成した建物です。 桁行21.1
m、梁行10.8m、建築面積224uの建物です。
この古民家は、改造が少なく、江戸時代末期の大型
民家の姿をよく留めています。 建物の主材にはケ
ヤキが用いられています。 |
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旧三橋家住居
神奈川県茅ヶ崎市堤4318 浄見寺内 |
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文政10年(1827)に完成したという記録が残ってい
ます。 桁行19.2m、梁行9.0m、建築面積151
uの建物です。
農家の造りで、当時の建築様式をよく残しています。
オハツキイチョウ、寺林−神奈川県指定天然記念物 |
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龍福寺 山門
神奈川県愛甲郡愛川町中津408 |
勝楽寺 山門
神奈川県愛甲郡愛川町田代2061 |
妙伝寺 二天門
神奈川県厚木市上依知2397 |
龍福寺は曹洞宗のお寺です。
山門は、安永7年(1778)の竣工です。
細部の彫刻や枡組などの技法の精巧さから、飛騨
工匠の系統を引いた半原宮大工の手になったもの
と思われます。
総白木造りの美しさや、唐様でありながら屋根のそ
りの少ない和風の貴重な建物です。 |
曹洞宗勝楽寺の開山は天文13年(1544)能庵宗為
禅師といわれています。
山門は、文政12年(1830)半原の工匠柏木右兵衛
安則が着工、嘉永4年(1851)息子の矢内但馬藤原
高光により、21年の歳月を費やして作られました。
総欅造りの十二脚門、三間一戸、屋根は銅板平葺
き、入母屋、唐破風の重層門で高さ16m、間口9m
奥行き5.6mあり軒頭が深いのが特徴です。 |
妙伝寺は弘安元年(1278)に開山された日蓮宗の
寺院です。
二天門は延享3年(1746)に建立されたもので、毘
沙門天、持国天を安置しています。 構造は総丸柱
で三間一戸八脚門、屋根は入母屋造の建物です。 |
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妙伝寺 釈迦堂
神奈川県厚木市上依知2397 |
長谷寺(飯山観音) 観音堂
神奈川県厚木市飯山5605 |
聞修寺 山門
神奈川県厚木市小野1221 |
妙伝寺は弘安元年(1278)に開山された日蓮宗の寺
院です。
釈迦堂は「独尊堂」とも呼ばれ17世紀後半に建立さ
れたものです。 15尺(4.55m)四方で、屋根は入
母屋造、四周に裳層を巡らした建物です。 |
長谷寺は高野山真言宗の寺院で、神亀2年(725)行
基により開かれ初めは飯山寺と呼ばれていました。
その後、大同2年(807)弘法大師が真言密教の場と
し、建久年間(1190〜99)に、源頼朝が堂宇を造営さ
せたのが始まりと伝えられています。
観音堂の建築年代は江戸時代(18世紀中期)と推定
されます。 桁行5間、梁行5間の正方形平面を持つ
銅板葺(以前は茅葺)の宝形堂です。 正面中央間と
両脇間は両折桟唐戸、両隈間は連子窓という古風な
構えを見せています
イヌマキ−厚木市指定天然記念物
坂東三十三観音札所第6番 |
聞修寺は延文年間(1356-61)に開山された臨済宗
南禅寺派の寺院です。
山門は、16世紀末から17世紀前期に建てられたも
のです。 桁行3.03m、梁間2.46m、一間一戸の
四脚門で、屋根は切妻造鉄板葺の建物です。 |
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命徳寺 山門
神奈川県秦野市河原町1−5 |
金目観音堂 仁王門
神奈川県平塚市南金目896 光明寺 |
朝日観音堂
神奈川県南足利市怒田2179 |
関東地蔵百八札所の九十二番札所でもある命徳寺
は天台宗のお寺です。
山門の形式は薬医門で、2本の本柱と背後の2本の
控え柱の4本の柱でできています。 正面2.4m、
側面1.5mの茅葺、切妻造の小さな門です。
建立年代を確定する資料は残されていませんが、1
7世紀初期の建築と推定されます。 |
仁王門は、室町末期(16世紀中頃)の建立です。
桁行7.844m、梁間4.242m、軒高3.954m、
棟高7.363m、面積33.291uの三間一戸の八
脚門で、入母屋造、柿葺形銅板葺の建物です。
観音堂−神奈川県指定重要文化財
坂東三十三観音札所第7番 |
江戸時代中期に建てられた四間(約7.2m)四方
の木造茅葺宝形造の建物です。 外廻りの縁には
擬宝珠高欄が廻らされています。
基礎は赤土を固め、表面に白い漆喰を覆った「亀腹
」と呼ばれている土壇です。 この土壇の構造は奈
良法隆寺などの寺院に用いられた建築法です。 |
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最乗寺 多宝塔
神奈川県南足利市大雄町1157 |
勝福寺 仁王門
神奈川県小田原市飯泉1161 |
正恩寺 鐘楼門
神奈川県小田原市飯泉1161 |
最乗寺は応永8年(1401)に開山された曹洞宗のお
寺で関東三十六不動霊場第2番に指定されていま
す。 多宝塔は文久3年(1863)に建立された高さ1
9.6mの建物で、神奈川県唯一の多宝塔遺構です
。 塔身が高く相輪が短く、二重構造の下部の四天
柱をそのまま伸ばして上部の側柱にするなど、珍し
い手法がみられます。
大雄山の杉林−神奈川県指定天然記念物 |
仁王門は宝暦8年(1758)の造営されたもので、
桁行9.85m、梁間6.06mの三間一戸の八脚
門で、屋根は切妻造銅板葺です。
神奈川県下でも最大級の八脚門です。
本堂−神奈川県指定有形文化財
大イチョウ、樹叢−神奈川県指定天然記念物
坂東三十三観音札所第5番 |
正恩寺は浄土真宗大谷派東本願寺の末寺です。
鐘楼門は寛政5年(1793)に建立された入母屋造
瓦葺、桁行2.74m、梁間2.34m、桁高4.7m
の一間楼門です。 7.6寸角・高さ15(4.5m)
の欅材の通柱4本で造られ、上層に行くに従い内
側に傾き、全体に貫とほぞにより組み立てれらて
います。 |
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早雲寺 神奈川県足柄下郡箱根町湯本405
早雲寺は臨済宗大徳寺派のお寺です。 明応4年(1495)、小田原城を攻め城主となった北条早雲は、伊豆から相模、武蔵にかけて大きな勢力を奮うようになりま
した。 北条早雲は永正16年(1519)に没し、その時の遺言により二代目氏綱が早雲寺を建立し、以降北条氏の菩提寺となりました。 天正18年(1590)の豊臣秀
吉の小田原攻めの際にはこの早雲寺に本陣が置かれ、小田原を攻め落とすと秀吉は早雲寺に火をかけ焼き払らいましたが、その後寛永4年(1627)に再興されま
した。
早雲寺林−神奈川県指定天然記念物 |
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早雲寺 惣門 |
早雲寺 本堂 |
早雲寺 鐘楼 |
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ジェラール水屋敷地下貯水槽
神奈川県横浜市中区元町1−77−4 |
走水水源地煉瓦造貯水池
神奈川県横須賀市走水1−2−1 |
走水水源地鉄筋コンクリート造浄水池
神奈川県横須賀市走水1−2−1 |
幕末に来日し、横浜に居留したフランス人実業家ア
ルフレッド・ジェラールは、山手の丘の麓に湧いてい
る良質な湧水に着目し、貯水施設を作り、横浜港に
出入りする船舶への給水事業を創めました。 また
、蒸気機関を導入した工場を建設し、フランス瓦や
煉瓦、土管、タイルなどの建設資材の製造販売も手
がけていました。 この施設はそのための地下貯水
槽で、「ジェラールの水屋敷」という名前で親しまれ
ています。 |
明治35年(1902)年竣工。 面積143u。
上屋はレンガ造りで、内部天井がアーチ型の「ヴォ
ールト屋根」になっているのが特徴です。 元は海軍
の軍港水道用として造られたものです。 市内唯一
の水源地で、明治9年(1875)にフランス人技師ヴェ
ルニーが横須賀造船所に湧水を通したのが始まり
です。 その後軍用として使われ、明治41年(1908
)12月25日に一般給水が開始されました。 |
明治41年(1908年)に走水水源地の第二期拡張
工事で建設された上屋付き浄水池です。 内部は
鉄筋コンクリート造の五連馬蹄形ヴォールトで構成
され、外壁には石で縁取りされた丸窓を一列に配し
ています。 面積517u。 |
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富士屋ホテル食堂
神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359 |
高部屋神社 拝殿及び幣殿
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 |
高部屋神社 本殿
神奈川県伊勢原市下糟屋2202 |
富士屋ホテルは明治11年(1878)創業の老舗ホ
テルです。 食堂は昭和5年(1930)に建造された
鉄筋コンクリート造、木造2階建塔屋付、銅板葺一
部鉄板葺の589uの建物です。 和風を基調にし
た建物で、1階は鉄筋コンクリート造、2階が木造に
なっています。 中央部に2重の塔屋「昇天閣」を
設け、要所に彫刻を配した書院風の豪華な建物で
す。 |
高部屋神社は延喜式内社のひとつと伝えられる神
社です。 拝殿及び幣殿は慶応元年(1865)に建
立された木造平屋建、茅葺一部銅板葺、建築面
積86uの建物です。 本殿前面に建ち、桁行三
間、梁間二間、正面に向拝を付し、背面に幣殿を
張出しています。
高部屋神社のケヤキ−その他の古木 |
本殿は昭和4年(1929)建立された木造平屋建、
銅板葺、建築面積27uの建物です。 五間社流
造で、三方に縁を廻らして脇障子をたて前面に浜
床を設けています。 関東大震災で倒壊しましたが
再建時に、身舎柱や正面建具、蟇股、擬宝珠など
正保4年(1647)建立の旧社殿の部材を再用して
います。 高部屋神社のケヤキ−その他の古木 |