東京都 |
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正福寺 地蔵堂 |
東京都東村山市野口町4−6−1 |
都内にふたつ、関東でも数えるほどしかない国宝建造物のひとつです。
正福寺は、弘安元年(1278)に臨済宗建長寺派の末寺として、中国南宋の石渓心月仏海を勧請開山とし鎌
倉幕府執権北条時宗によって開創されたと伝えられています。
地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物で、室町時代の応永14年(1407)の建立
です。 波形欄間、花頭窓、屋根の反りなどに特徴があります。
寺の縁起では、北条時宗が鷹狩りの際病になり、夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから
地蔵堂を建立したといわれています。
山門−市指定重要文化財 |
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旧弾正橋(八幡橋)
東京都江東区富岡1−19〜富岡2−7 |
旧渋沢家飛鳥山邸晩香廬
東京都北区西ヶ原2−16−1 |
旧渋沢家飛鳥山邸青淵文庫
東京都北区西ヶ原2−16−1 |
弾正橋は、明治11年(1878)、東京府の依頼により
工部省赤羽製作所が製作した国産第1号の鉄橋で
す。 長さ15.2m、幅3m(有効幅員2m)の単径
間アーチ型式の鉄橋です。 アーチは鋳鉄製で5本
の直材をつなぎ、引張材は錬鉄製の鋳錬鉄合の橋
です。 元は中央区の京橋楓川に架けられていまし
たが、大正2年(1913)の市区改正により新しい弾
正橋が架けられたので元弾正橋と改称されました。
さらに、大正12年関東大震災後の帝都復興計画に
より廃橋となり、昭和4年(1929)現在地に移設され
、富岡八幡宮の東隣りであるので八幡橋と改められ
ました。 菊の紋章のある橋として有名です。 |
旧渋沢家飛鳥山邸は「曖依村荘」と呼ばれた渋沢
栄一の邸宅です。 晩香廬は渋沢栄一の喜寿を記
念して贈呈された小亭(談話室)で、大正7年(191
8)に竣工されました。 建築面積79.24u、木造
平屋建、寄棟造、赤色桟瓦葺の建物です。
建物は応接部分と厨房、化粧室部分をエントランス
で繋いだ構成です。 外壁は隅部に茶褐色のタイル
がコーナーストーン状に張られ、壁は淡いクリーム
色の西京壁になっています。 |
青淵文庫は渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝し
て贈呈された小図書館で、大正14年(1925)に竣
工しました。 建築面積213.67u、煉瓦及び鉄筋
コンクリート造2階建の建物です。 1階は露台、閲
覧室、記念品陳列室などで、2階は書庫になってい
ます。 外壁には月出石を貼り、列柱を持つ中央開
口部には色付けした陶板が用いられています。 上
部の窓には渋沢家の家紋「違い柏」と祝意を表す「
寿」、竜門社を示す「竜」をデザインしたステンドグラ
スがはめ込まれています。 |
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厳有院霊廟 勅額門
東京都台東区上野桜木1−16 |
常憲院霊廟 勅額門
東京都台東区上野桜木1−16 |
寛永寺旧本坊表門(黒門)
東京都台東区上野公園14 |
四代将軍家綱は、慶安4年(1651)4月に父家光の
死に伴って、わずか10歳で将軍の座に就き、延宝8
年(1680)5月8日に39歳で没しました。 法名を厳
有院といいます。
家綱の霊廟の一部は維新後に解体されたり、第2次
世界大戦で焼失しましたが、この勅額門と水盤舎(と
もに重要文化財)は、その廟所とともにこれらの災を
免れた貴重な遺構です。
この勅額門は、昭和32年の改修時に発見された墨
書銘によって、家光の上野霊廟の勅額門であったも
のを転用したものと考えられています。 |
五代将軍綱吉は,延宝8年(1680)5月に兄家綱の
死に伴って将軍の座に就き、宝永6年(1709)1月1
0日に63歳で没しました。 法名を常憲院といいま
す。 元禄11年(1698)9月、この綱吉によって竹の
台に寛永寺の根本中堂が建立されました。 綱吉
の霊廟は宝永6年の11月に竣工しています。 そ
れは歴代将軍の霊廟を通じてみても最も整ったもの
の一つでありました。 しかし、その一部は維新後
に解体されたり、第二次世界大戦で焼失してしまい
ました。 この勅額門と水盤舎は、その廟所と共に、
これらの災いを免れた貴重な遺構です。 勅額門の
形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺
です。 |
江戸時代、現在の上野公園には、寛永寺の堂塔
伽藍が整然と配置されていました。 現在の噴水
池周辺に根本中堂、東京国立博物館敷地の場所
には本坊があり、輪王寺宮法親王が居住していま
した。 寛永寺本坊の規模は3500坪という壮大
なものでしたが、慶応4年(1866)5月、上野戦争
のためことごとく焼失し、表門のみが戦火を免れま
した。 これは焼け残った表門で、明治11年に帝
国博物館(現、東京国立博物館)が開館すると表
門として使われましたが、関東大震災後現在地に
移建しました。 江戸初期の建築で、切妻造り本
瓦葺、潜戸のつく薬医門です。 |
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旧東京帝室博物館本館
(東京国立博物館本館)
東京都台東区上野公園13−9 |
旧因州池田屋敷表門
東京都台東区上野公園13−9
東京国立博物館構内 |
旧東京音楽学校奏楽堂
東京都台東区上野公園8−43 |
昭和12年(1937)11月に竣工、6年の歳月をかけて
完成された、鉄筋コンクリート造2階建て、地下2階
の本瓦葺の建物です。 建築面積は6601.8u。
この建物は、 大正12年(1923)の関東大震災で破
損した旧本館<明治15年(1882)開館>にかわって
建てられました。 設計は「東京帝室博物館建築設
計図案懸賞募集」の1等に入選した渡辺仁案を原案
として、 宮内省内匠寮が実施にあたりました。 |
因州32万5千石、旧因幡鳥取藩池田家江戸屋敷の
表門で、丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建て
られていました。 明治25年には芝高輪台町の常
宮御殿表門、東宮御所、高松宮家と引き継がれ、
昭和29年に現在地に移築されました。 一重、入
母屋造、唐破風造両出番所付、総本瓦葺の長屋門
で、大名屋敷表門として最も格式が高く、国持大名
の格式を持っています。 鳥取藩の池田光仲の流は
家康の血が入っており、三葉葵の紋の使用を許され
ています。。 |
この建物は、明治23年(1890)東京音楽学校(現
東京芸術大学)本館として建設されました。 わが
国初の本格的な音楽ホールで、音楽教室の記念
碑的な存在です。 中央天井をかまぼこ型に高くし
、視覚、排気、音響上の配慮がなされています。
壁面や床下に藁や大鋸屑が詰められ、遮音効果
をあげるなど技術的な工夫がされています。 |
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上野東照宮
東京都台東区上野公園13−9
上野東照宮は、元和2年(1616)2月、駿河城に徳川家康を見舞いに赴いた、藤堂高虎、天海大僧正が、危
篤の家康公の病床で末永く鎮魂出きる場所を造って奉ってほしいとの遺言を受け、高虎の屋敷領地であっ
た上野の山に、寛永4年(1617)本営を造宮しました。
その後三代将軍家光がこの寺院に満足出来ず慶安4年(1651)、現在の社殿(金色殿)を造形し、以後江戸
の象徴としました。 金色殿とも呼ばれています。
正保3年(1646)、朝廷は家康に「東照宮」の宮号を贈り、それ以後、家康を祭る御宮を東照宮と呼ぶように
なりました。
上野東照宮には家康、八代吉宗、十五代慶喜が奉られています。
古木−大楠、キササゲ |
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上野東照宮 石造明神鳥居 |
寛永10年(1633)酒井忠世(秀忠、家光の幕政の中
心として活躍した)が奉納したもので、左の柱にその
名が刻まれています。 |
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上野東照宮 唐門 |
上野東照宮 本殿、幣殿、拝殿 |
上野東照宮 透塀 |
慶安4年(1651)に建築されたものです。
向唐破風造り四脚門で、桁行一間、梁間一間、銅瓦
葺きの日本にはひとつしかない金箔の唐門です。
扉には梅に亀甲の透彫、両側上部にある松竹梅と
錦鶏鳥の透彫は室町、桃山の技術の粋を集めたも
のとして評価されています。 また柱内外4額面に
は左甚五朗が彫った金箔の昇り竜、降り竜がありま
す。 |
慶安4年(1651)に建築されました。
本殿−桁行三間梁間三間、一重、入母屋造、銅瓦
葺。 幣殿−桁行三間梁間三間、一重、両下造銅
瓦葺。 拝殿−桁行七間梁間三間、一重、入母屋
造、千鳥破風付、正面向拝三間
日本には二つしかない(中尊寺光堂)金色殿として
有名です。 |
慶安4年(1651)に建築されました。
一周延長八十九間、銅瓦葺の塀で、唐門から本殿
の周りをぐるっと一周しています。
緑色の透かしの上には花木の彫刻が、下には鳥魚
の彫刻が施されています。 |
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旧寛永寺 五重塔
東京都台東区上野公園18−20 |
寛永寺 清水観音堂
東京都台東区上野公園1−29 |
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最初は、寛永8年(1631)に建立されましたが、寛永
16年に焼失し、同年(1639年)に再建されたもので
す。 もとは上野東照宮の一部として建てられたので
すが、明治の神仏分離令により寛永寺のものとなり
、現在は東京都が管理しています。
構造は三観五重塔、五重銅瓦葺で、総高32mあり
ます。 |
清水観音堂は、寛永寺を開創した天海が京都清水
寺を模して寛永8年(1632)に創 建しました。
当初は、現在地より100mほど北方の摺鉢山上に
ありましたが、元禄7年(1694)に現在地へ移築され
ました。
堂宇は桁行五間、梁間四間、単層入母屋造り、本
瓦葺です。 |
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浅草寺 二天門
東京都台東区浅草2−3−1 |
浅草神社 拝殿
東京都台東区浅草2−3−1 |
浅草神社 本殿、幣殿
東京都台東区浅草2−3−1 |
元和4年(1618)、浅草寺観音堂の西南に東照宮が
建ち、この門はその随身門でした。 東照宮は、寛永
8年(1631)と同19年の火災で、浅草寺の他の諸堂
と共に焼失してしまいましたが、随身門だけは炎上
を免れました。 明治初年、神仏分離令により、随身
像は持国天、増長天の二天像に変わり、門の名前
も二天門と改称されました。
巾8.33m、奥行4.84m、高さ9.85m、建坪40
.31uの三間一戸、切妻造、本瓦葺の八脚門です
。 現在の像は、寛永寺の厳有院霊廟の勅額門か
ら移したもので慶安年間(1648-52)の作です。 |
明治初年の文書によると、祭神は土師真中知命、桧前浜成命、桧前竹成命、東照宮です。 三神を祀る神
社なので「三社様」と呼ばれました。
鎮座年代は不詳ですが、平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだした以後と推定されます。
東照宮は徳川家康のことで、慶安2年(1649)に合祀されました。 以来三社大権現といわれるようになりま
したが、明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年(1868)に三社明神、同6年に浅草
神社と改称しました。
現在の社殿は慶安2年12月に徳川家光が再建したものです。 本殿と拝殿の間に「石の間(幣殿)」を設け
、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造です。 |
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根津神社
東京都文京区根津1−28−9
日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝えられり古社で、東京十社の一社に数えられています。
文明年間(1469-1486)には太田道灌により社殿が造られました。
現在の社殿は宝永3年(1706)の創建です。 宝永2年(1705)、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の
子、綱豊(第6代将軍家宣)を養嗣子に定めました。 綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされ
ていたことから、現在地を当社に献納して普請を開始しました。 |
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根津神社 楼門 |
楼門は宝永3年(1706)に建立された三間一戸楼門
、入母屋造、桟瓦葺の建物です。 正面右側の随身
は水戸光圀公がモデルと伝えられています。 |
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根津神社 本殿 |
根津神社 幣殿 |
根津神社 拝殿 |
本殿は宝永3年(1706)に建立された桁行三間、梁
間三間、一重、入母屋造、銅瓦葺の建物です。 社
殿は拝殿の奥に幣殿、本殿と一宇に続く、総漆塗り
の華麗な権現造建築で江戸の神社建築としては最
大の規模を誇ります。 |
幣殿は宝永3年(1706)に建立された桁行四間、梁
間一間、一重、両下造、銅瓦葺の建物です。 |
拝殿は宝永3年(1706)に建立された桁行正面七
間、背面九間、梁間三間、一重、入母屋造、正面
千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅瓦葺の建
物です。 |
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根津神社 西門 |
根津神社 唐門 |
根津神社 透塀 |
西門は宝永3年(1706)に建立された棟門、銅瓦葺
の建物です。 |
唐門は宝永3年(1706)に建立された一間一戸平
唐門、銅瓦葺の建物です。 天井には今は剥損し
てしまいましたが、藤原立信の墨江の龍が画かれ
ていました。 |
透塀は、唐門東方折曲り延長三十四間、唐門西門
間折曲り延長二十一間、西門北方折曲り延長五十
三間の総延長200mに渡る銅瓦葺の建物です。 |
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護国寺 本堂(観音堂)
東京都文京区大塚5−40−1 |
護国寺 月光殿(旧日光院客殿)
東京都文京区大塚5−40−1 |
旧加賀屋敷御守殿門(赤門)
東京都文京区本郷7−3東京大学 |
護国寺は真言宗豊山派の寺院です。 天和元年(1681)、五代将軍徳川綱吉は母、桂昌院の発願により幕
府所属の高田薬園の地に護国寺の建立を命じ、翌二年に堂宇は完成しました。 江戸三十三箇所観音霊
場の第13番札所です。 明治16年(1883)、大正15年(1926)の火災で堂宇の多くを失ってしまいました。
大師堂・薬師堂・惣門・鐘楼・仁王門−文京区指定有形文化財 |
江戸時代、三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家
の娘や居住する奥御殿を御守殿といい、御守殿の
門を御守殿門といいます。 門を丹塗りにしたところ
から赤門と呼ばれています。
旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、文政10
年(1827)に13代藩主前田斉泰が11代将軍徳川
家斉の21女、溶姫を迎える際に造られたものです。
三間薬医門、切妻造、本瓦葺、左右繋塀及び離番
所付の建物です。 繋塀は左右各4.1m、本瓦葺
で、番所は左右各桁三間、梁間二間、一重、前後
唐破風造、本瓦葺の建物です。 |
元禄10年(1697)に、母、桂昌院の願いにより、五
代将軍徳川綱吉の命により建立されました。 桁行
七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、瓦棒
銅板葺の建物です。 |
大津三井寺の日光院客殿を移築したもので、桃山
時代の建立です。、桁行七間、梁間六間、一重、入
母屋造、妻入、正面軒唐破風付の建物です。 |
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旧江戸城外桜田門
東京都千代田区皇居外苑 |
旧江戸城外桜田門櫓門
東京都千代田区皇居外苑 |
東京駅丸ノ内本屋
東京都千代田区丸の内1−9−1 |
桜田門は、当初は小田原街道の始点として小田原口と呼ばれていました。 寛永13年(1636)に徳川家康が
入府の際に、それまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築し桜田門と呼ぶようになりました。
桜田門は2つの門からなり、外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっています。 二つの門の間に
は枡形と呼ばれる四角い広場があり、門から打って出る兵の待機場所や、敵に攻められた時敵兵を引き入
れ攻撃する場所となっていました。 江戸城には内桜田門と外桜田門の2つの桜田門があり、前者は桔梗門
とも呼ばれています。 大正12年(1923)の関東大震災で一部が破損したため鋼鉄土蔵造りに改修されまし
た。 |
東京駅丸ノ内本屋は、皇居から東へ一直線に延び
る「行幸通り」の正面に位置しています。 大正3年
(1914)に竣工した、南北折曲り延長約335mに及
ぶ建物で、中央棟の南北に両翼を長く延ばしていま
す。 鉄骨煉瓦造、建築面積7821.39u、二階建
、一部三階建、スレート葺の建物で、煉瓦を主体と
する建造物のうち最大規模のものです。 |
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法務省旧本館
東京都千代田区霞が関1−1−1 |
明治生命保険相互会社本社本館
東京都千代田区丸の内2−1−1 |
日本銀行本店本館
東京都中央区日本橋2−4−1 |
旧司法省庁舎として明治28年(1895)に竣工され
たドイツ・ネオバロック様式の建物です。 煉瓦造、
建築面積3350u、3階建、スレート葺の建物です
。 昭和20年の戦災で壁と床を残して消失しまし
た。 戦後25年までに改修され法務省の本館とし
て使用されてきました。 平成6年に創建当時の
姿に復原されました。 |
昭和5年(1934)に竣工された、鉄骨鉄筋コンクリート
造、地上8階地下2階建て屋上塔屋付、建築面積3
949.4uのオフィスビルです。 この種のビルは大
正から昭和初期に多数造られましたが、この建物は
列柱が建つ外観が特徴です。 洋風意匠の到達点
とも言うべき建築で、昭和期に建てられた建造物と
しては初めて指定されたものです。 |
明治29年(1896)の竣工された石及び煉瓦造、
建築面積2684.6u、三階建、地下一階、鉄板
及び銅板葺、正面・回廊及び中庭附属の建物で
す。 現存する明治洋風建築のうち、最も重要な
ものの一つで、東京の建築遺産50選に指定され
ています。 外壁は石積みの内側にレンガを積み
、内外ともネオ・バロック様式にルネッサンス的意
匠を加味しています。 |
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日本橋
東京都中央区日本橋〜日本橋室町 |
永代橋
東京都中央区新川〜江東区佐賀 |
清洲橋
東京都中央区日本橋中洲〜江東区清澄 |
石造二連アーチ橋、高欄付
橋長49m、幅員28m、アーチ径間21m
明治44年(1911)に竣工された橋です。
明治期を代表する石造二連アーチの道路橋で、道
路用橋梁の技術的達成度を示す遺構として貴重で
す。 また、ルネサンス様式の橋梁本体と和漢洋折
衷の装飾との調和もとれ、意匠的な完成度も高いも
のです。 |
鋼製三径間カンチレバー式タイドアーチ橋
橋長184.7m、幅員25.6m
隅田川に架かる橋で、関東大震災復興事業によっ
て大正15年(1926)に竣工されました。 永代橋が
架橋されたのは、元禄11年(1698)で、江戸幕府
5代将軍徳川綱吉の50歳を祝したものでした。
「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツライン
川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルに
し、現存する最古のタイドアーチ橋で、日本で最初に
径間長100mを超えた橋でもあります。 |
三径間自碇式補剛吊橋
橋長186.2m、幅員25.9m
関東大震災の震災復興事業として昭和3年(1928)
に竣工された橋です。 「帝都東京の門」と呼称され
た永代橋(大正15年架設)と対になるような設計で、
当時世界最美の橋と呼ばれた、ドイツライン川に架
かる大吊り橋をモデルにしています。 男性的なイメ
ージの永代橋 に対して、清洲橋 は女性的で優美な
シルエットの代表的な橋と言われています。 |
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勝鬨橋
東京都中央区築地〜勝どき |
三井本館
東京都中央区日本橋室町2−1−1 |
高島屋東京店
東京都中央区日本橋2−4−1 |
鋼製跳開橋 橋長246.0m、跳開部分幅員26.
6m、固定部分幅員25.8m、石造高欄付、袖高
欄附属、鋼製鈑桁2基(門構4基を含む)、鋼製タ
イドアーチ2基、(門構2基を含む)、鉄筋コンクリー
ト造橋脚2基(橋脚塔4棟を含む)、鉄筋コンクリート
造橋台2基、跳開装置一式
昭和15年(1940)に竣工された橋です。 形式はシ
カゴ型固定軸双葉跳開橋で、センタースパンに跳開
橋、サイドスパンに鋼ソリットリブタイドアーチが用い
られています。 建設当時は跳開橋を70秒で開くこ
とができ、1日に5回、最盛期には1日7回、20分ず
つ開いていましたが、昭和45年(1970)を最後に開
かずの橋となりました。 |
明治35年(1902)に竣工した旧三井本館が関東大
震災で被災したため、昭和4年(1929)に竣工され
ました。 鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積4,55
9.6u、地上五階(現七階)地下二階建、屋上塔
屋付の建物です。
コリント式の花崗岩列柱が外壁を囲み、軒飾りにレ
リーフを戴いています。 |
鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て、地下2階
店舗面積50,499u
日本生命が昭和8年(1933)に建築したものを賃借
しています。 日本橋三越本店本館、新宿伊勢丹本
店本館と共に東京都選定歴史的建造物に選定され
ていましたが、この度百貨店建築として始めて重要
文化財の指定を受けました。 |
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築地本願寺 本堂
東京都中央区築地3−1501 |
三越日本橋本店
東京都中央区日本橋室町1−4−1 |
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昭和9年(1934)に再建された、鉄筋コンクリート造
一部鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3149.4
u、二階建、一部地下一階、塔屋二所付の建物で
す。 築地本願寺は浄土真宗本願寺派の関東にお
ける拠点です。 鉄筋コンクリート造ですが、石造風
の外観はインドの古代仏教建築に学んだ細部や要
素を巧みに組み合わせています。 中央部二階の
大本堂は伝統的な真宗本堂の形式を踏襲し、両翼
部や一階には議場や説教所・事務室や納骨堂など
の諸室を配しています。 |
昭和2年(1927)に建造された鉄骨鉄筋コンクリート
造、建築面積8,490.88u、七階建、地下一階、
塔屋六所付の建物です。
関東大震災で被災した大正期の建物の鉄骨をいか
して完成し、その後の増築で五層吹抜けの中央大
ホールを設置するなど充実が図られました。 外観
はやや簡略化しつつも西洋古典様式に則った意匠
で統一されています。 |
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慶応義塾 図書館
東京都港区三田2−15−45 |
慶応義塾 三田演説館
東京都港区三田2−15−45 |
増上寺 三解脱門
東京都港区芝公園4−7−35 |
この図書館は慶応義塾設立五十周年記念事業と
して明治44年(1911)に建造された、煉瓦造、二
階建、地下一階、一部三階、書庫六階、スレート
及び銅板葺、建築面積684.4uの建物です。
ゴシック様式を取り入れた明治末期の代表的遺構
です。 |
福沢諭吉が三田演説舍の会堂として明治8年(18
75)に建てた、木造二階建、桟瓦葺、建築面積19
1.2uの建物です。 都内に残る明治初頭の洋風
建築として貴重で、史的意義も深い建物です。 |
徳川家康の助成により建造、元和8年(1622)に再
建された建物です。 建築様式は三戸楼門、入母
屋造、朱漆塗、本瓦葺の建物です。 間口19m、奥
行9m、高さ21mの二重建構造で、左右には三間
の山廊を有しています。 三解脱門は別名「三門」と
呼ばれ、3つの煩悩「貪欲・瞋恚・愚痴」の三悪を解
脱する悟りの境地を表しています。 |
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明治学院 インブリー館
東京都港区白金台1−2−37 |
瑞聖寺 大雄宝殿
東京都港区白金台3−2−19 |
雑司ヶ谷鬼子母神堂
東京都豊島区雑司ケ谷3−15−20 |
明治学院がこの白金の地に開校したのは明治20
年(1887)9月15日です。 当時学院で教える宣教
師の住居を準備する必要があったため、構内の西
北隅に3棟、東南隅に2棟の西洋館が相次いで建
てられました。 この建物は、5号館でウィリアム・
インブリー博士が長年住んだことから「インブリー館
」と呼ばれました。 明治22年(1889)頃の建物で
、木造瓦葺2階建て、建坪は1、2階ともで延371
.5u。 建築様式は1870年代アメリカで流行し
た木造住宅様式です。
記念館、礼拝堂−港区指定有形文化財 |
瑞聖寺は寛文10年(1670)に創建された黄檗宗(禅
宗)のお寺です。
大雄宝殿は宝暦7年(1757)の再建です。 桁行三
間、梁間四間、身舎の外側に裳階を廻らせ、身舎の
屋根は入母屋造、本瓦葺の仏殿です。
二重屋根の外観等に黄檗宗らしい特徴をもつ建物
で、江戸市中に残された数少ない本格的な仏堂建
築として貴重な存在です。 |
法明寺は、弘仁元年(810)に威光寺として創建され
正和元年(1312)に法明寺と改称された日蓮宗の寺
院です。 本殿は寛文4年(1664)に建立され桁行6
.04m、梁間5.77m、一重、流造、桧皮葦形銅板
葦の建物です。 幣殿は桁行6.06m、梁間6.04
m、一重、両下造、とち葦形銅板葦の建物、拝殿は
桁行17.86m、梁間11.816m、一重、入母屋造
の建物で拝殿と幣殿は元禄13年(1700)に建立さ
れました。 イチョウ−東京都指定天然記念物 |
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本門寺 五重塔
東京都大田区池上1−1−1 |
池上本門寺 宝塔
東京都大田区池上1−1−1 |
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池上本門寺は、日蓮聖人が弘安5年(1282)61歳で入滅された霊場で、日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつ
とされ、七大本山のひとつにも挙げられているお寺です。 日蓮聖人は、身延山から病気療養のため常陸
の湯に向かう途中、武蔵国池上の郷主池上宗仲の館で亡くなられました。 滞在中、池上氏館の背後の山
上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源です。 日蓮
が没すると池上宗仲は法華経の字数に合わせて69,384坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれまし
た。 総門、経蔵、石段−大田区指定文化財 |
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関東に4基のみ現存する幕末以前の五重塔のうち、
一番古い塔です。 総高約31m、塔高29.37mの
方三間五層塔です。 初層のみを和様とし、二層以
上を唐様とする折衷様式で、初層二層は本瓦葺、三
四五層は銅板瓦葺の建物です。
本塔は徳川2代将軍秀忠の病気平癒祈願の御礼と
武運長久を祈り、慶長13年(1608)に建立されたも
のです。 当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対
の位置に建てられましたが、慶長19年(1614)の大
地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉の命
で現在地へ移築、修復されました。 |
日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所に建っています。
文政11年(1828)に建立されました。 総高17.5m
の上下層とも円形の平面をもつ木造の仏塔で、屋根
は宝形造、銅板葺で、その上に露盤と相輪を載せて
います。 基壇と蓮華座は石造です。
宝塔は、内外とも彫刻や彩色によって荘厳化がはか
られ、意匠的に高い価値が認められます。 内部空
間を持つ木造の宝塔は全国的にも少なく、この宝塔
は最大規模の遺構です。 |
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観音寺(塩船観音寺) 東京都青梅市塩船194−1
塩船観音寺は真言宗醍醐派の別格本山です。 大化年間(645〜650)に若狭の国の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まり、周囲の地形が船
の形に似ているところから、天平年間に僧行基が「塩船」と名づけたと伝えられています。 貞観年間には僧安然が12の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられていま
す。
大スギ−都指定天然記念物 薬師堂−青梅市指定有形文化財 |
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観音寺 仁王門 |
観音寺 阿弥陀堂 |
観音寺 本堂 |
寿永3年(1187)に建立された、木造、三間一戸の八
脚門で屋根は切妻造り、茅葺です。
正面には「大悲山」の額を掲げ、正面両脇には、東
京都指定有形文化財でもある金剛力士像二体が安
置されています。 |
桁行3間、梁行2間の木造、単層、寄棟造り銅板葺。
正面一間、側面二間の身舎にひさしを廻らせた、い
わゆる阿弥陀堂形式ですが、簡素な技法であり、未
完成のまま今日に伝えられたのではないかとも言わ
れています。 |
桁行7間、梁間6間の木造、寄棟造り、茅葺で、密
教堂形式の建物です。 内陣中央の本尊を安置す
る厨子は極めて精巧な作りで、内側右扉には普賢
菩薩、左扉には文殊菩薩が描かれております。 |
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金剛寺(高幡不動尊) 仁王門
東京都日野市高幡733 |
金剛寺(高幡不動尊) 不動堂
東京都日野市高幡733 |
旧宮崎家住宅
東京都青梅市駒木町1-684 釜の淵公園 |
真言宗智山派別格本山、金剛寺は関東三大不動のひとつとされています。 草創は、1100年前、平安時
代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立
したのに始まります。 新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺でもあります。
旧五部権現社殿−都指定有形文化財 、 サンシュユ−市天然記念物 |
旧北小曾木村(現、青梅市成木8丁目)にあった江戸
時代末期(18世紀中頃)に建てられた農家を移築し
たものです。
桁行12.4m、梁間7.0m、入毋屋造、茅葺で、次の
時代に民家として完成される四ツ間型以前の、三間
取広間型の古民家の様式を備えています。
小規模ですが、比較的改変が少なく、当初の状態が
よくわかる建物です。 |
仁王門は桁行3間、梁行2間の重層入母屋造の門
で室町時代末期に造られた建物です。
当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更
され一重八脚門として完成されました。 昭和34年
解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板
葺きに変えられました。 |
不動堂は、桁行5間、梁行5間、向拝1間、入母屋造
建物です。
慈覚大師円仁が東関鎮護の霊場として山中に建立
しましたが、建武2年(1335)の大風により倒壊した
ため康永元年(1342)現在地に移されました。
東京都最古の文化財建造物です。 |
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浅草寺 六角堂
東京都台東区浅草2−3−1 |
氷川神社 社殿
東京都港区赤坂6−10−12 |
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浅草寺六角堂は、元和4年(1618)に建立された浅
草寺内では現存する最古の建造物です。 木造で
単層の六角造瓦葺形式で、建物中央の直径は1.
82mあり、一面の柱間は0.91mです。 建物の基
礎は、六角形状に廻した土台を布石の基礎で支え
、その下部に11段の石積みをした1.5m余りの井
戸状の穴が掘られています。
都内ではあまり見かけない六角堂という特異な形式
の貴重な建物です。 |
天歴5年(951)蓮林僧正が現在の赤坂4丁目のあ
たりに奉斎したと伝えられています。 享保15年(
1730)8代将軍徳川吉宗の命により現在地に遷され
ました。 麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社
などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とさ
れています。 木造、銅板葺きで、本殿は一間社流
造り、拝殿は三間四面。 全部朱塗りで享保15年
(1730)4月に8代将軍吉宗が建立したものです。
イチョウ−港区指定天然記念物 |
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旧マッケーレブ邸
東京都豊島区雑司ケ谷1−25−5 |
滝泉寺 前不動堂
東京都目黒区下目黒3−20−26 |
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明治40年(1907)に、アメリカ人宣教師JMマッケー
レブが自邸として建てたものです。 木造二階建、建
築面積は113.03u、屋根は和小屋組の寄棟屋根
で、南と西に切妻飾りを持ち、カラーベストコロニア
ル葺です。 外壁はペンキ塗りの下見板張りです。 |
滝泉寺は「目黒不動尊」とも呼ばれ、大同3年(808
)に創建された古刹です。 前不動堂は江戸時代
三代家光の代に建立された建物です。 独鈷の滝
と並んで不動明王護摩供修行の道場でした。
勢至堂−区文化財、鈴懸の木−指定外の古木 |
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田無神社 拝殿
東京都西東京市田無町3−7−4 |
大国魂神社 本殿
東京都府中市宮町3−1 |
旧府中町役場庁舎
東京都府中市南町6−32
府中郷土の森博物館 |
田無神社は鎌倉時代の創建と伝えられています。
拝殿は、明治3年(1875)に建築されました。
桁行7.3m、梁間6.4mの入母屋造りで、正面は
千鳥破風を付け、前面の向拝は唐破風仕上げとし
ています。
イチョウ−西東京市指定天然記念物 |
都内屈指の古社で、今から約1890年前の景行天
皇の時代に、武蔵国の鎮守として大国魂大神を祀
ったのが始めとされています。 大化の改新後、こ
の地に国府が開設されると、武蔵国の総社となり、
国内の著名な六所の宮を合祀したので、六所宮と
称されるようになりました。 本殿は四代将軍家綱
の命により寛文7年(1667)に完成したもので、九間
社流造、向拝五間、銅板葺、三間社流造の社殿三
棟を横に連結した相殿造です。
馬場大門のケヤキ並木−国天然記念物
大国魂神社境内樹林の一部−府中市天然記念物 |
大正10年(1921)に完成した洋風の町役場庁舎で
す。 木造2階建て、一部平屋、瓦葺一部銅板葺で
、建築面積173.07u、延床面積278.07uの
建物です。 屋根の飾り天窓や正面玄関の車寄せ
など洋風を多く取り入れながら、裏側に和風建物が
接続する特色のある建物です。 府中市誕生後も市
役所、図書館、教育研究所などに使われてきました
。
旧三岡家長屋門−東京都指定有形文化財
旧河内家住宅−府中市指定有形文化財 |
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旧三岡家長屋門
東京都府中市南町6−32
府中郷土の森博物館 |
金剛寺 旧五部権現社殿
東京都日野市高幡733 (高幡不動尊) |
熊川神社 本殿
東京都福生市熊川660 |
木造、平屋建、茅葺、建築面積79.63u、延床面
積44.11u、江戸時代の文政12年(1829)の建
築と考えられる農家の長屋門です。
旧是政村の名主を勤めていた三岡家の分家の門と
して建てられていたものです。
中央部を門とし、両側の部屋は屋根の下も含めすべ
てが厚い土壁で覆われる置屋根構造の蔵造りとなっ
ている珍しい長屋門です。
旧府中町役場庁舎−東京都指定有形文化財
旧河内家住宅−府中市指定有形文化財 |
寛文10年(1670)の建立です。 暦応3年(1340)
の刻銘のある木製五部権現神儀を祀っていたもの
です。
一間社流造り鉄板葺きで、桁行1.52m、梁間1.
3m。 江戸時代初期の宮造りとして貴重なもので
す。
仁王門、不動堂−国重要文化財
サンシュユ−日野市天然記念物 |
慶長2年(1597)の建立です。
一間社流れ見世棚造り、板葺きで、桁行171.9cm
梁間153.8cmあります。
都内に現存する神社本殿としては2番目に古い建物
です。 |
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安楽寺 本堂
東京都青梅市成木1−583 |
成木熊野神社 本殿
東京都青梅市成木3−207−1 |
旧吉野家住宅
東京都青梅市新町1−21−9 |
安楽寺は真言宗の寺院で、和銅年間(708〜14)の
創建と伝えられています。 源頼朝や足利尊氏の信
仰も厚かった寺院です。
本堂は元禄6年(1693)に建立されました。 建築面
積は372uで、四間並列の八間間取りの書院風建
築です。
大イチョウ−東京都指定天然記念物 |
成木神社は、元亀2年(1571)小田原北条氏に属す
る当地の豪族、木崎美作によって創建されました。
本殿は寛永17年(1640)に建立されました。
一間社春日造り、とち葺きで、桁行140.5cm、梁
行214.4cmあります。 |
慶長16年(1611)、吉野織部之助は新田の開発に着
手し、新町村が誕生しました。
この住宅は、安政2年(1855)に建てられたもので、桁
行10.5間、梁行4.5間の茅葺入母屋造りで、建築
面積は72.5坪です。 建物は整形六ツ間型で、民
家におけるきわめて整った格式の高い間取りとなっ
ています。 |
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春日神社 本殿
東京都青梅市野上町1−38−1 |
金剛寺 表門
東京都青梅市天ケ瀬町1032 |
福島家住宅
東京都青梅市沢井2−720−1 |
慶安元年(1648)の建立です。 寛延2年(1749)に
は屋根修理、文化2年(1805)には本殿の向拝、縁
まわりの修理が行なわれています。
一間社流れ造りで、瓦棒銅板葺で、桁行2.636m
梁行2.115mあります。 |
金剛寺は真言宗豊山派の寺院で、承平年間(931〜
938)の創建と伝えられています。 16世紀中頃に、
三田氏を滅ぼした後北条氏より、ただちに領地を保
証され大きな勢力を持ちました。
山門の製作年代は、寛文期(1661〜73)を下らない
江戸時代初期と推定されます。 構造および形式は
四脚門、切妻造、銅板葺きで唐様。 大柱2.75m、
大柱袖柱1.12m、扉幅1.12m。
青梅−東京都指定天然記念物 |
福島家は、中世に遡る系譜をもつ旧家で、組合惣代
を務めていました。 この建物は18世紀中ごろの2
6代目の時代に建てられたものです。
桁行9間、梁行4.5間の入母屋造り、茅・杉皮葺き
平屋建てで建築面積は200.69uあります。
江戸時代末期の整形六つ間型になる以前の喰違い
六つ間型の姿をよく残しています。 |
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真照寺 薬師堂
東京都あきる野市引田863 |
大悲願寺 本堂
東京都あきる野市横沢134 |
西蓮寺 薬師堂
東京都八王子市大楽寺町566 |
真照寺は、真言宗豊山派の寺院です。
寛平3年(891)義寛上人によって開山されました。
薬師堂は、延文元年(1356)関東管領足利基氏によ
って再建されました。
木造カヤ葺の宝形造りで、桁行3間の建物で、間口
奥行きともに4.42mあります。
山門−あきる野市指定文化財 |
大悲願寺は、真言宗豊山派のお寺で、建久2年(11
91)、源平合戦でその名を馳せた武将、平山季重が
建立したといわれています。
本堂は元禄8年(1695)に建築されました。
書院造り風の方丈系講堂様式本堂で、屋根は入母
屋造り、茅葺型銅板葺です。 内部は六間取形式で
桁行23.84m、梁間13.42m、面積319.93u
あります。
楼門、中門、観音堂−あきる野市指定文化財 |
西連寺は永享元年(1429)に創建された真言宗智山
派の寺院です。
薬師堂は室町時代末期の建造で、天正18年(1590
)についた焦げ跡があります。
桁行三間、梁間三間、単層、屋根寄棟造銅板葺、回
り縁、向拝付き、建面積46.17uの建物です。 |
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廣園寺 東京都八王子市山田町1577
廣園寺は慶応2年(1390)に創建された臨済禅宗京都南禅寺派の寺院です。 天正18年(1590)、豊臣秀吉
の八王子城合戦の兵火で堂塔伽藍はすべて消失してしまいました。 江戸時代初期には七堂伽藍が整備さ
れましたが、元禄10年(1687)、寛政4年(1792)の火災で焼失してしまいました。 現在の堂宇は文化から
天保年間に再建されたものです。
丘陵を背に南面し、総門、山門、仏殿がが一直線上にあり、背後には一段高く本堂、庫裡、開山堂が建って
いる禅宗寺院様式の伽藍配置の寺院です。 |
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廣園寺 総門 |
文政13年(1830)の再建です。 桁行一間、梁間一
間、一重で切妻造、桧皮葺型銅板葺の四脚門です。
両袖塀各一間がついています。 |
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廣園寺 山門 |
廣園寺 仏殿 |
廣園寺 鐘楼 |
三間二重門、入母屋造、上層桧皮葺型銅板葺、下
層板葺型銅板葺の建物です。 文化8年(1811)の
再建と考えられます。 |
文化8年(1811)の再建です。 桁行三間、梁間三間
、単層、寄棟造の建物です。 |
天保13年(1842)の再建です。 桁行一間、梁間一
間、屋根一重、宝形造、桧皮葺型銅板葺の建物で
す。 |
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總持寺 山門
東京都足立区西新井1−15−1 |
養福寺 仁王門
東京都荒川区西日暮里3−3−8 |
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總持寺は真言宗豊山派の寺で、西新井大師の通称
で広く知られています。 空海(弘法大師)が天長3
年(826)に建立したお寺で、「関東三大師」の一つ
に数えられています。 山門は江戸後期の建立で、
素木造、楼上に五智如来を安置し、両脇に金剛力
士像が祀られています。 |
養福寺は、元和6年(1620)に創建された真言宗豊
山派の寺院です。
仁王門は宝永年間(1704〜1711)の建立で、門の
裏側には広目天と多聞天の二天王像が安置され
ています。 |
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旧松澤家住宅
東京都北区赤羽西5−2−34
赤羽自然観察公園 |
旧松澤家住宅 倉屋
東京都北区赤羽西5−2−34
赤羽自然観察公園 |
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浮間地区に所在した江戸時代の民家で、弘化元年
(1844)に建造されました。 当初喰い違い四間取り
形式でしたが、数度の大規模な増改築により現在
の形になりました。 茅葺屋根の上に瓦屋根の箱棟
を乗せています。 |
主屋より古い建築です。 礎石の上に直接柱が立
つ「石場建て」で、茅葺寄棟造りの建物です。 |
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護国寺
東京都文京区大塚5−40−1
護国寺は真言宗豊山派の寺院です。 天和元年(1
681)、五代将軍徳川綱吉は母、桂昌院の発願によ
り幕府所属の高田薬園の地に護国寺の建立を命じ
、翌二年に堂宇は完成しました。
江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所です。
明治16年(1883)、大正15年(1926)の火災で堂宇
の多くを失ってしまいました。
大本堂・月光殿−国指定重要文化財 |
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護国寺 大師堂 |
護国寺 薬師堂 |
大師堂は大正15年(1926)の火災で焼失してしまっ
たため、元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を
大修理して、大師堂として現在地に移築したもので
す。 桁行三間 梁間三間、一重の寄棟造、棧瓦葺
で装飾が少ない素朴で荘重な建物です。 |
薬師堂は、元禄4年(1691)に建立された一切経堂
を現在地に移築したものです。 桁行三間 梁間三
間、一重宝形造、棧瓦葺の建物で、屋根に青銅製
の宝珠をのせ、正面の開き戸の両脇と側面には花
頭窓があります。 |
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護国寺 惣門 |
護国寺 鐘楼 |
護国寺 仁王門 |
惣門は護国寺方丈への軸線上にあり、寺院の門と
共に住宅の門という性格を併せ持っています。 形
式は社寺系のものではなく江戸時代武家屋敷門の
五万石以上の格式を持っています。 元禄年間の
建物です。 |
鐘楼は、格式の高い袴腰付重層入母屋造の形式で
江戸時代中期の建立です。 袴腰は石積みを擬した
人造石洗出仕上げです。 天保7年(1836)刊行の「
江戸名所図会」に描かれ焼失した記録がないことか
ら、天保期に存在していたことがわかります。 |
桁行11.5m、梁間6m、軒高5m、棟高5mの八脚
門で、切妻造、丹塗の建物です。 元禄10年(1697
)造営の観音堂よりやや時代を下ると考えられてい
ます。 正面両脇に金剛力士像、背画両脇間に二
天像(増長天、広目天)を安置しています。 |
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明治屋京橋ビル
東京都中央区京橋2−2−8 |
明治学院 礼拝堂
東京都港区白金台1−2−37 |
明治学院 記念館
東京都港区白金台1−2−37 |
昭和8年(1933)に事務所と店舗を兼ねた本社社屋
として建設された、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8
階、地下2階の建物です。 イタリア・ルネサンス様
式による秀逸な建築デザインとともに、昭和初期の
高度な建築技術を反映させた貴重な近代建築です
。 |
明治36年(1903)建築のミラー記念礼拝堂が破損し
たため、大正5年(1916)3月に落成したものです。
延べ床面積は589u。 建築様式は英国式で、設
計はヴォーリス建築設計事務所でした。 その後、
学生数の増加に伴い1920年代末に両袖を拡張し
て十字架型となり、さらに講壇の一部が改造されま
した。
インブリー館−国重要文化財 |
明治23年(1890)6月24日に献堂式が行われました
設計は、H・M・ランディス教授。 赤煉瓦、瓦葺きの
2階建てで、当時アメリカで流行したネオゴシック様
式です。 延面積は約516u。 明治27年(1894)
6月の大地震で大破し、2階部分を木造に改造され
ました。 尖塔は大正3年(1914)のサンダム舘の
火災時に類焼して改造されたものです。 大正12
年(1923)の関東大震災では煉瓦の大煙突が崩壊
しました。 インブリー館−国重要文化財 |
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覚林寺 清正公堂
東京都港区白金台1−1−47 |
覚林寺 山門
東京都港区白金台1−1−47 |
金刀比羅宮 銅鳥居
東京都港区虎ノ門1−2−7 |
覚林寺は日蓮宗の寺院です。 寛永8年(1631)に日延上人が開いた由緒ある寺で、熊本藩主の加藤清正
が祀られています。
中央に位置する清正公堂は、慶応元年(1865)建造の拝殿、幣殿と明治中期建造の本殿の3つの堂が複合
されてひとつの建物となっている権現造りで、日光東照宮もこの形式を採用しています。 特に総欅造りの拝
殿は豪華で、各所に繊細で豪華な彫刻が施されています。
内部は、内側の柱をすべて省き、広い空間を構成しています。 また巨大な虹梁が用いられ、それに組み込
まれる虹梁組も豪華です。
山門は桁行一間、梁間一間の薬医門で、安政3年(1856)の棟札があります。 |
讃岐丸亀藩主の京極高和が、領地、讃岐の金刀比
羅大神を万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内
社として勧請しました。 延宝7年(1679)京極高豊の
代に現在の虎ノ門に移されました。
銅鳥居は、文政4年(1821)に奉納された明神型鳥
居です。 左右の柱上部には四神の彫刻が施されて
おり大変珍しいものです。 四神とは四方の守護神
であり、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武
が守る霊鳥霊獣です。 |
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旧乃木邸
東京都港区赤坂8−11−32 |
旧乃木邸 馬小屋
東京都港区赤坂8−11−32 |
瀧泉寺 勢至堂
東京都目黒区下目黒3−20−26 |
明治35年(1902)に新築されたもので、乃木希典大
将夫妻が大正元年(1912)9月13日、明治天皇御大
葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住ん
でいました。 将軍がドイツ留学中に見たフランス軍
隊の建物を模範にして建てたもので、軍人の家らしく
飾り気が無く簡素で合理的に建てられています。
建坪は168u、木造平屋建、日本瓦葺で、傾斜地
を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもってい
ます。 |
馬小屋は平屋建、日本瓦葺で、邸宅が新築される
以前の明治22年(1889)に建てられました。 奥行
約4.5mの細長い建物には4つに区画された馬房
や馬糧庫等があります。 住居が木造であるのに対
して馬小屋が煉瓦造で立派であるところに、馬を大
切にしていた乃木大将の人柄が表れています。 |
勢至堂は江戸時代中期に建立された建物です。
前不動堂との関連で、建築意匠上の格は低いです
が、細部の類似性から同時期の建立と思われます
。 当初は前不動堂の前方にありましたが、昭和4
4年に現在の森の中に移転されました。
前不動堂−都文化財、鈴懸の木−指定外の古木 |
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祐天寺 仁王門
東京都目黒区中目黒5−24−53 |
祐天寺 阿弥陀堂
東京都目黒区中目黒5−24−53 |
海福寺 四脚門
東京都目黒区下目黒3−20−9 |
祐天寺は享保3年(1718)に開創された浄土宗の
寺院です。 仁王門は享保20年(1735)に五大将
軍綱吉の息女竹姫の寄進により建立されました。
桁行8.5m、梁間4.3m、棟高9mの三間一戸の
切妻造本瓦葺型銅版葺の八脚門です。
本堂・書院・地蔵堂・地蔵堂門・表門・水屋
−国登録文化財 |
祐天寺は享保3年(1718)に開創された浄土宗の
寺院です。 仁王門は享保9年(1724)に五大将
軍綱吉の息女竹姫の寄進により建立された三間
四面堂です。
本堂・書院・地蔵堂・地蔵堂門・表門・水屋
−国登録文化財 |
海福寺の四脚門は、廃寺になった上落合の泰雲寺
より明治後期に移築したものです。 妻飾りに「笹に
雀」の宇和島伊達家の紋が見られます。 |
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池上本門寺 総門
東京都大田区池上1−1−1 |
池上本門寺 経蔵
東京都大田区池上1−1−1 |
本門寺の石段
東京都大田区池上1−1−1 |
昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建
築の一棟です。 元禄年間(1688-1704)に建立さ
れた高さ6.4m、主柱間5.39mの総欅素木造、
切妻屋根 銅板葺(当初は瓦葺)の建物です。 安
藤広重の「江戸百景」「江戸近郊八景」にも描かれ
ています。 |
天明4年(1784)に建立された高さ11.33m、方三
間宝形造(裳階付のため外見は方五間二重屋根)、
総欅造、瓦棒銅板葺(当初は本瓦葺)の建物です。
堂内に輪蔵を設置しています。 |
加藤清正の寄進によって造営されたと伝えられてい
ます。 同公は、慶長11年(1606)慈母のの追善供
養のため祖師堂を建立寄進しているので、その折の
築造と考えられます。 法華経宝塔品の偈文96字
にちなみ96段に構築され、別称を「此経難持坂」と
言います。 |
本門寺五重塔、池上本門寺宝塔−日本国指定重要文化財 |
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多聞寺 山門
東京都東久留米市本町4−13−16 |
円通寺 長屋門
東京都清瀬市下宿2−521 |
旧森田家 主屋
東京都清瀬市下宿2−524−1 |
多聞寺は、鎌倉時代の元仁年間に草創された、真
言宗智山派のお寺です。 山門は、嘉永5年(1852
)の建立です。 総けやき造りの四脚門で、屋根は
銅板葺きです。 禅宗様を主とした折衷様で造られ
ています。 控え柱上部の獅子鼻や妻の海老虹梁
の彫刻が見事です。
武蔵野三十三観音札所第02番 |
円通寺は、南北朝時代の暦応3年(1340)に開かれ
た真言宗豊山派の清瀬最古の寺院です。
長屋門は天保15年(1844)に建てられた正面14.
1m、奥行4.7mの門です。 元は茅葺でしたが、
戦後瓦葺に直されました。 武蔵野平野部の長屋
門は比較的小さいのですが、この長屋門は規模も
大きく白壁、板腰羽目の姿は端正です。 くぐり戸
の押さえなどに昔の工夫が偲ばれます。 |
この建物は、江戸末期の村役の名主を務めた家で、
清瀬市野塩1−363にあったものを移築復元したも
のです。 間取り形式は四ツ間型と呼ばれる形式で
一般的に江戸時代中期の後半から後期(18世紀後
期〜19世紀前期)まで続いていた形式です。
本百姓の民家の典型としてその姿を留める貴重な
建物です。 |
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円福寺 薬師堂
東京都清瀬市野塩3−51 |
正福寺 山門
東京都東村山市野口町4−6−1 |
旧小平小川郵便局舎
東京都小平市天神町2-57小平ふるさと村 |
円福寺は、寛永年間(1624-1645)に創建されたと
伝えられる曹洞宗のお寺です。 薬師堂は文政7年
(1824)に旧野塩村を所領していた旗本匂坂氏が創
建したものと言われています。 堂内に安置されて
いる十二神将立像、薬師如来座像、日光、月光菩
薩立像は清瀬市の有形文化財に指定されています
。 |
正福寺山門は、元禄14年(1701)の建立です。
四脚門で切妻、昭和48年の改修で茅葺から銅板
葺に改修されました。 桁行、梁行、高さともに3.
03mです。 彩色は全体が朱で塗装されていたも
のとみられています。
地蔵堂−国宝 |
この建物は、明治41年(1908)11月15日に、小川
町1−2095に新築され、昭和58年(1983)まで利
用されてきたものです。 当時の郵便局は、名主等
の住宅の一部を改造したものが多かったのですが、
この局舎は郵便業務を行なうために新築されたもの
です。 建築当初の形ではなく、電話交換業務も行
なうようになった大正末期の頃の形に復元されたも
のです。 木造平屋建、鉄板平茅葺入母屋造り
桁行7.25間、梁間4間半、面積129u |
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旧神山家住宅主屋
東京都小平市天神町2-57小平ふるさと村 |
旧鈴木家住宅穀櫃
東京都小平市天神町2-57小平ふるさと村 |
旧小川家住宅玄関棟
東京都小平市天神町2-57小平ふるさと村 |
この建物は回田町129にあったものです。
間取り型式は、江戸時代中期の後半(18世紀後半)
から後期にかけて見られる、喰違い四ツ間型と呼ば
れるものです。 小金井に建てられた当初は、三間
取り広間型と呼ばれる、江戸中期まで遡る形式であ
ったと考えられます。
木造平屋建、茅葺入母屋造り
桁行9.5間、梁間4間、面積128u |
この建物は北野中(花小金井)に建てられていまし
たが、大正10年(1921)大沼新田に移築され、戸を
つけて物置として利用されていました。
建築年代は明らかではありませんが、幕末から明治
初期の建築と推定されています。
木造平屋建、茅葺入母屋造り
桁行3間、梁間1間半、面積15uで、床から天井ま
での高さが6尺あり、150石入りの穀櫃です。 |
この建物は、文化2年(1805)、小川町1−2370
に建てられた、主屋に付属する玄関棟です。
主屋とは別棟として建てられたもので、主屋と渡り
廊下でつながっていました。 正面と背面に破風の
ある入母屋造りで、正面左手に控えの間を設け、
寄棟造りの屋根が矩折れにつきます。 一般の名
主の形式とは違い立派なことから小川家の格式の
高さを示しています。 木造平屋建、茅葺入母屋造
り、桁行3.8間、梁間2間、面積37u |
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海岸寺 山門
東京都小平市御幸町318 |
国分寺 楼門
東京都国分寺市西元町1-13-16 |
旧柳澤家住宅
東京都国立市谷保1705−1 |
海岸寺は、享保年間に建立された臨済宗妙心寺派
のお寺です。
山門の建立年代は不明ですが、本堂建立と同じ、天
明3年(1783)といわれています。 間口3m、奥行2
.72mの総ケヤキ造りの四脚門で、カヤ葺です。
天井に描かれた竜の絵がかすかに残っています。 |
聖武天皇は天平13年(741)に国状不安を鎮撫する
ため、各国に1つずつ国分寺と国分尼寺の建立を命
じられました。 武蔵国分寺はその命により武蔵の
国に建立された寺院です。
楼門は、間口6.2m、奥行3.7mでの板金葺きで
、東久留米市の米津寺の楼門を明治28年に移転
したものです。 |
この家は、江戸時代から青柳にあった農家を移築し
たものです。 建築年代は、解体調査の結果、江戸
時代後期と推定されます。
入母屋造り、茅葺
桁行9.5間(16.7m)、梁間4.5間(7.9m)
総高7.5m、面積36.5坪(128u) |
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南養寺 東京都国立市谷保6218
南養寺は谷保山と号し、禅宗、臨済宗建長寺派のお寺です。 鎌倉時代、物外可什禅師によって開山され
た600年以上の歴史を持つ古刹です。 |
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南養寺 総門 |
安永9年(1780)、大工佐伯源太の手によるもので
す。 形式は薬医門で、屋根は切妻造り、銅葺です
。 この門の建立は、江戸期における伽藍整備の
一環を示すものです。 |
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南養寺 本堂 |
南養寺 大悲殿 |
南養寺 鐘楼 |
現在の本堂は、文化元年(1804)に建築されました。
昭和56年の修理時、茅葺から銅葺に変えられまし
たが、禅宗の客殿型本堂として重要な建物です。 |
聖寛政5年(1793)に藤井山圓成院の観音堂を移築
したものです。 観音堂は享保3年(1718)に建立し
たものと伝えられています。 |
天明8年(1788)に建立されたものです。 四本柱形
式で、屋根は入母屋造り、銅葺です。 大正2年の
大震災の修復時に茅葺からトタン葺に、昭和56年
の修理の時に銅葺に変えられました。 |
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谷保天満宮 拝殿
東京都国立市谷保5208 |
谷保天満宮 本殿
東京都国立市谷保5208 |
高安寺 観音堂
東京都府中市片町2−4 |
延喜3年(903)に菅原道真の三男・道武が父を祀る廟を建てたことに始まり、養和年間(1181)頃に現在地
に遷座したといわれています。 東日本最古の天満宮で、亀戸天神社、湯島天満宮と合わせて関東三大
天神と呼ばれています。 甲州街道から石段を下って境内に入っていくという天満宮としては珍しい構造と
なっています。 社叢−東京都指定天然記念物 |
高安寺は曹洞宗のお寺です。 暦応年間(1338-13
42)、足利尊氏が古い寺を再興したのが始まりとい
われています。 隆盛期には塔頭10宇、末寺75院
を有する大寺院であったといわれています。
観音堂は享保年間(1716-1736)に再建されたもの
です。 桁行三間、梁間三間の入母屋造の三間堂
です。 |
拝殿は入母屋造22坪で、江戸末期の造営とみられ
ています。 |
本殿は流造、6坪で寛永年間(1624〜1643)の造営
と伝えられています。 流造とは日本の神社本殿の
大部分を占める形式で、桁行3間(5.4m)、梁間2
間(3.6m)、母屋の前に1間(1.8m)通りの庇をつ
けたものです。 |
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旧河内家住宅
東京都府中市南町6−32
府中郷土の森博物館 |
旧多摩聖蹟記念館
東京都多摩市連光寺5−1−1
都立桜ケ丘公園内 |
旧有山家住宅
東京都多摩市南野2−13
市立一本杉公園内 |
江戸時代中頃から昭和期まで使われていた茅葺の
農家です。 移築した母屋はハケ上の農家としては
一般的な造りですが、旧大沢村(三鷹市)から天保1
5年(1844)に移築され、その後も明治末期、昭和4
年(1929)に大きな改造があったようです。 現在は
明治末期の姿に復元されています。
旧府中町役場庁舎、旧三岡家長屋門
−東京都指定有形文化財 |
天皇が行幸された地を「聖蹟」と呼びます。 この地
には明治10年代に明治天皇が兎猟や鮎漁のため
4回訪れています。
記念館は昭和5年(1930)に建立されました。 建
物面積397.19u、高さ11mの 鉄筋コンクリート
造、地上1階建の建物です。 オーストリアのセセッ
ションとドイツのユーゲントシュティルと呼ばれる建
築デザインの影響が見られる貴重な建物です。 |
18世紀初め頃の建立と推定されます。
桁行6.5間(11.83m)、梁間三間(5.46m)、
寄棟造、茅葺(現在銅板葺)、平入りの農家です。
閉鎖的な広間三間取り型、一間ごとに立つ柱、ざし
きの竹すのこ床など古式の特徴が遺されています。
一本杉公園のスダジイ−多摩市指定天然記念物 |
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村山織物協同組合事務所
東京都武蔵村山市本町2−2−1 |
安養寺 本堂
東京都日野市万願寺4−20−8 |
普門寺 観音堂
東京都日野市日野本町7−5−19 |
武蔵村山市周辺は、村山大島紬の産地として広く知
られ、織元、板屋、染屋などが数多く営業してきた地
域です。 これらの織物業者らが同業者組合を組織
し、製品の質の管理、販路の確保に努めてきました
。 この建物は、織物産業全盛期であった昭和3年
(1928)に建てられました。 間口六間(10.8m)、
奥行十一間(20.7m)、床面積は468.6uの建
物です。 |
安養寺は真言宗智山派のお寺です。
現本堂は再建されたもので、その建立は18世紀初
頭を下らないものと見られます。
建物は方丈形式で元は茅葺でしたが、現在は銅板
葺となっています。
桁行九間、梁間五間、寄棟造、向拝一間
隣接の庫裏も同時期の建立と見られます。 |
安養寺は応永5年(1393)に創建された、真言宗智
山派のお寺です。
観音堂は文化4年(1807)に建立された西明寺の堂
宇を、明治10年(1877)に移築したものです。
その後、度重なる改築で建物の形は大きく変貌して
いましたが、 昭和63年(1988)、当初の形と考えら
れる禅宗様の三間堂の姿に復原されました。
桁行三間、梁間三間、向拝正面一間、方形造、銅板
葺 |
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日野宿本陣
東京都日野市日野本町2−15−9 |
八坂神社 本殿
東京都日野市日野本町3−14−12 |
東光寺 薬師堂
東京都日野市栄町5−5−1 成就院 |
日野宿は多摩川の渡し場を管理するなど甲州道中
の重要拠点でした。 甲州道中に現存する本陣建
物は日野宿本陣と小原宿本陣(神奈川県相模湖
町)、下花咲宿本陣(山梨県大月市)の三か所です。
現在の建物は、嘉永2年(1849)の大火で焼失した
後再建されたもので、文久3年(1863)に上棟し、翌
元治元年(1864)に完成したものです。 日野宿本陣
には「佐藤道場」があり、新選組の近藤勇や土方歳
三、沖田総司、井上源三郎が稽古に励みました。 |
安本殿は、寛政12年(1800)に再建されたものです
一間社々殿としてはかなり大きなもので、間口二間
奥行二間半、棟高五間、総欅造り、流造りで、ほとん
ど全ての木部表面に浮彫り、透彫りの文様を彫って
あり、きわめて装飾的な社殿になっています。
一間社流造り、柿葺 |
成就院は天台宗のお寺で、現在は廃絶してしまった
東光寺の一子院です。
薬師堂は嘉永6年(1853)に再建されたものです。
300m西方に建てられていたものを、昭和46年に
移転させました。
桁行三間、梁間三間、寄棟造り、妻入り、銅板葺き
向拝一間 |
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大日堂
東京都昭島市拝島町1−10−14 |
大日堂 仁王門
東京都昭島市拝島町1−10−14 |
吉野岳地蔵堂
東京都西多摩郡瑞穂町石畑1805−1 |
天暦6年(952)の創建と伝えられています。 元は多摩川上流の日原村の尊像が、大洪水のため大神の中
州に流れ着いたのを安置したのが始まりと寺伝にあります。 この仏像を村人が拝んだことから、拝島の地
名がおこったという伝えもあります。
現在の地へは北条氏が滝山城の鬼門除けとして近くの田中町から移して再興しました。
永禄12年(1569)甲斐の武田軍は小田原城攻略に先立ち、二万の精兵をもって滝山城を攻めた際、この拝
島の森に陣取りましたが、鬼門除けが効いたのか武田軍は滝山城を落すことが出来ませんでした。
仁王門は間口9m、奥行6.3mあり、門内には都指定有形文化財の「金剛力士像」が安置されています。 |
江戸時代、文久3年(1863)の建造。
当時石畑村の名主であった吉岡助右衛門が、子女
の病気平癒を祈願して再建しました。
小堂ながら正格な唐様建築で、桁行・梁間とも1.8
2m、屋根は方形造り、銅板葺の総けやき造りにな
っています。 |
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福正寺 観音堂
東京都西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1129 |
一峰院 鐘楼門
東京都羽村市羽加美4−12 |
禅福寺 山門
東京都羽村市羽中4−5−8 |
福正寺は臨済宗建長寺派の寺院で、文保2年(1318
)に開山しました。
観音堂は天保13年(1842)に再建されました。 舞
い降りる鳥の翼のような美しい急勾配の屋根を持っ
ています。 総けやき造りで間口6.75m、奥行8.
45m、三方入母屋カヤ葺の建物です。
たらようの木−瑞穂町指定天然記念物 |
一峰院は臨済宗建長寺派のお寺で、応永31年(14
24)平将定の開基とされるお寺です。
鐘楼門はの建築年代は、文政2年(1819)で、楼門
と鐘楼を兼ね、二階部分が梵鐘を釣るために建ちが
高く壁が設けられていないこと、一間門であるにもか
かわらず3か所に扉が付いているのが特徴です。 |
禅福寺は臨済宗建長寺派の寺院で、応安年間(13
68〜74)の創建と伝えられています。
山門は寛正3年(1462)の建立といわれる四脚門で、
焼失や破損の記録も無いことから室町時代中期の
遺構と推定されています。 |
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海禅寺 総門
東京都青梅市二俣尾4−966−13 |
延命寺 山門
東京都青梅市成木7−887 |
観音寺(塩船観音寺) 薬師堂
東京都青梅市塩船194−1 |
海禅寺は曹洞宗のお寺で、寛正年間(1460〜66)に
創建されました。
総門は、慶長17年(1612)に建立された、切妻造銅
板葺、一間一戸の四脚門です。
本来はすぐ脇の参道に建っていたのですが、踏切が
走り、市道化されたので、現在の場所に移築されま
した。
クスノキ−青梅市指定天然記念物 |
延命寺は真言宗のお寺です。
山門は、切妻造り、銅板葺きの四脚門です。
細部が羽村市の阿蘇神社と酷似していることから、
17世紀後期の建立と考えられます。 |
桁行3間、梁行2間、木造寄棟造、茅葺、一重の小
仏堂です。 建築年代は不明ですが、壁が竪羽目
板壁目板打で、天井がなく屋根下地が直接見える
素朴で簡素な趣きの建物です。
本殿、阿弥陀堂、仁王門−国指定重要文化財
大スギ−都指定天然記念物 |
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報恩寺 地蔵堂
東京都青梅市今寺1−540−1 |
地蔵院 山門
東京都青梅市畑中2−583−1 |
明白院 山門
東京都青梅市日向和田2−395 |
弘仁13年(822)に開創された天台宗のお寺です。
地蔵堂は、木造寄棟造、茅葺、平家建ての桃山時
代の建築様式と推定されます。
昭和47年に茅葺型銅板屋根に変えられました。 |
地蔵院は臨済宗建長寺派の寺院で永正元年(1504
)貴案秀一禅師によって開山されました。
山門は、建築年代は17世紀前期と推定され、桁行
2.6m、梁行2.7mの切妻造鉄板葺の四脚門です
。 宝珠梅−青梅市指定天然記念物 |
明白院は曹洞宗のお寺で、天正年間(1573-1592)
に創立されました。
山門は、日向和田の館(楯)の城にあったものを移
設したもので、木造茅葺一間一戸の四脚門で、安
土桃山時代の様式を伝えています。 |
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光明寺 薬師堂
東京都西多摩郡日の出町大久野3521 |
花蔵院 山門
東京都あきる野市草花1726 |
二宮神社 本殿
東京都あきる野市二宮2252 |
光明寺は、1260年の開山と伝えられている真言宗
豊山派の寺院です。
薬師堂は、新編武蔵風土記稿に一本の大木で建て
られたと記されています。 |
花蔵院は、弘長3年(1263)に創立された真言宗豊
山派の寺院です。
徳川期には5石の御朱印を賜っています。
山門は正徳3年(1713)建築。 |
武蔵六所宮の内の二宮で、俵藤太藤原秀郷が平将
門追討の折、戦勝祈願したと伝えられる神社です。
柵に囲まれた本殿の中には「宮殿(市指定文化財)」
が納められています。
ふじ−あきる野市指定天然記念物 |
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大悲願寺 東京都あきる野市横沢134
大悲願寺は、真言宗豊山派のお寺で、建久2年(1191)、源平合戦でその名を馳せた武将、平山季重が建立したといわれています。
またこのお寺は「白萩」の名所としても有名で、仙台藩主伊達正宗が訪れた後、「白萩を一株譲って欲しいと」手紙を送ったことでも有名です。
本堂−東京都指定文化財 |
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楼門(仁王門) |
中門(朱雀門) |
観音堂 |
慶長18年(1613)に建てられた後、寛文9年(1669)
に再建されました。 現在の建物は、安政6年(1859
)に建てられたものです。
三間一戸の入母屋造で、銅板葺です。 両脇には仁
王像が安置され、見事な天井絵が描かれています。 |
安永9年(1780)に建てられたものです。
一間一戸の切妻造で、本柱の前後に2本ずつ計4本
の控柱をもつ四脚門です。
随所に見事な彫刻が施されています。 |
観音堂は「無畏閣」とも呼ばれています。
寛政6年(1794)に建立され、文政10年(1827)に向
拝が取り付けられました。 堂の内外各所に彫刻が
飾られ、特に正面欄間の地獄と極楽を表した彫刻が
見事です。
中には国指定重要文化財の像が多数安置されてい
ます。 |
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福徳寺 山門
東京都あきる野市油平246 |
開光院 本堂
東京都あきる野市五日市691 |
開光院 庫裏
東京都あきる野市五日市691 |
福徳寺は臨済宗建長寺派のお寺です。
この山門は昭和5年(1930)に牛沼の徳重院から移
築したもので、建築年代は18世紀初頭と思われま
す。 本柱の前後に2本ずつ計4本の控柱をもつ四
脚門で切妻造りです。 |
開光院は文安5年(1448)に開山した臨済宗建長寺派のお寺です。 文明10年(1478)には大田道灌が長期
滞在しています。 |
寛文12年(1672)〜宝永5年(1708)に建築された、
間口15.5m、平入、寄棟造鉄板葺の建物です。 |
安政5年(1858)に再建された、間口9m、妻入、入
母屋造の建物です。 |
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真照寺 山門
東京都あきる野市引田863 |
広徳寺 総門
東京都あきる野市小和田234 |
広徳寺 山門
東京都あきる野市小和田234 |
赤門と呼ばれる山門は、薬師堂に伴う門として、元
禄元年(1688)に建立されました。
構造は、本柱の前後に2本ずつ計4本の控柱を持つ
四脚門で、和様を基本としています。
薬師堂−東京都指定有形文化財 |
広徳寺は、明徳年間(1390〜94)に開山され、天文年間(1532〜55)には北条氏康が寺領を寄進して再興し
た臨済宗建長寺派のお寺です。 カヤ、タラヨウ−東京都指定天然記念物 |
文政2年(1819)に建てられた、切妻造の一間一戸
の四脚門です。 桁行3.64m、梁行3.01m。
中央の柱は円柱、前後の柱は四角柱で、欅材を使
用。 室町期の面影を残しています。 |
享保5年(1720)に建てられた、寄棟造、茅葺の三
間一戸の二重門です。 下層より上層の方が大き
く作られています。 |
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旧市倉家住宅
東京都あきる野市五日市920−1
五日市郷土館 |
桂福寺 鐘楼山門
東京都八王子市戸吹町193 |
奥氷川神社 本殿
東京都西多摩郡奥多摩町氷川178 |
江戸時代末期に金毘羅山麓に建てられた民家です
。 桁行7.5間、梁行三間の入母屋造、四間型、
茅葺の建物です。 江戸時代末期のこの地域の一
般的農家の姿を伝えています。 |
桂福寺は寛永2年(1625)に創建された曹洞宗の寺
院です。 鐘楼山門は、文政6年(1823)に建立され
た、総欅造、茅葺、寄棟二階建の楼門です。 総面
積22.64u、土台から露台まで約3m、宝珠まで約
10mの建物です。 |
奥氷川神社は、大宮市の氷川神社、所沢市の中氷
川と共に武蔵氷川神社の一社といわれています。
本殿は元禄年間(1688-1704)に建てられたもので
す。
氷川の三本スギ−東京都指定天然記念物 |
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台東区立朝倉彫塑館 アトリエ棟
東京都台東区谷中7−8−10 |
台東区立朝倉彫塑館 住居
東京都台東区谷中7−8−10 |
観音寺 築地塀
東京都台東区谷中5−8−28 |
昭和10年(1935)に建てられた鉄筋コンクリート造
3階建、建築面積304uの建物です。 彫刻家朝
倉文夫自身の設計によるアトリエで、曲面を多用し
たアトリエ、数寄屋意匠の玄関ホールなど独特の
個性的デザインが随所に見られます。 |
昭和10年(1935)に建てられた木造2階建、瓦葺
、建築面積303uの建物です。 東側に裏玄関、
北側に2階建の居住部、北東に台所と浴室、南西
端の応接室でアトリエ棟書斎に連絡しています。 |
江戸時代末期(1830-1867)に建てられた瓦葺、延
長37.6mの練塀です。 瓦と粘土を交互に積み重
ねて造り、潜り戸一所を備えています。 |
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すぺーす小倉屋 店舗
東京都台東区谷中7−6−8 |
すぺーす小倉屋 蔵
東京都台東区谷中7−6−8 |
花重 店舗
東京都台東区谷中7−5−27 |
江戸時代末期(1830-1867)に建てられた木造2階
建、スレート葺、建築面積41uの建物です。 感応
寺の門前町で代々質屋を営んだ商家で、店舗は間
口三間の中二階建の町家です。 |
大正5年(1916)に建てられた土蔵造3階建、瓦葺
、建築面積20uの建物です。 梁間二間と狭いに
関わらず三階建とする本格的な土蔵造の建物です。 |
明治10年(1877)に建てられた木造2階建、瓦葺
、建築面積37uの建物です。 谷中墓地開設と同
時期に開業した生花問屋で、1階は店舗、2階は3
室に区切って畳敷の居室としています。 |
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今半別館 玄関棟
東京都台東区浅草2−2−5 |
神谷バー 本館
東京都台東区浅草1−16−33 |
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今半別館は、昭和25年(1950)頃、今半本店の三
田支店が現在地に移り別館として創業しました。
仲見世通りの裏通りに建っています。 木造平屋建
、入母屋造、瓦葺、建築面積66uの建物で、入口
脇に座敷2室を配しています。 |
大正10年(1921)に建造された鉄筋コンクリート造
6階地下1階建、建築面積181uの建物です。正
面上方は長方形の窓、その下には3、4階を通す三
連の半円アーチ窓が特徴的です。 |
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中江店舗
東京都台東区日本堤1−208−3 |
伊勢屋 店舗兼主屋
東京都台東区日本堤1−208 |
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伊大正13年(1924)に建造された木造2階建、瓦
葺、切妻造桟瓦葺、建築面積55uの建物です。
桁行5.9m、梁間10mの木造2階建で伊勢屋の
左側に隣接して建っています。 |
伊勢屋は、昭和2年(1927)に建造された、間口4
.6m、奥行10mの木造2階建、入母屋造妻入桟
瓦葺、建築面積44uの建物です。 1階を店舗、
2階を住居としています。 |
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日本基督教団根津教会
東京都文京区根津1−19−6 |
日本基督教団根津教会門及び塀
東京都文京区根津1−19−6 |
東京大学 本郷正門及び門衛所
東京都文京区本郷7−3−1 |
日本基督教団の教会堂です。 大正8年(1919)
に建立された、木造平屋建、切妻造、下見板張り
瓦一部金属板葺、建築面積185uの建物です。
尖頭アーチの窓を開けた切妻の妻面と玄関部のト
ンガリ屋根を載せた角塔が特徴です。 |
日本基督教団の教会堂です。 大正8年(1919)
に建立された、間口3.6m、塀延長7.8m煉瓦造
の塀です。 礼拝堂玄関用と談話室玄関用の門と
して3基の門柱を建てているのが特徴です。 |
明治45年(1912)に竣工された正門です。 左右
対称型に正門・煉瓦塀・門衛所が建ち並んでいま
す。 鉄筋コンクリート造平屋建、銅板葺、建築面
積46uの建物です。 |
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東京大学 大講堂(安田講堂)
東京都文京区本郷7−3−1 |
東京大学 法文1号館
東京都文京区本郷7−3−1 |
東京大学 法文2号館
東京都文京区本郷7−3−1 |
大正14年(1925)に竣工された東京大学本郷キャ
ンパスにある講堂です。 鉄筋コンクリート造4階建
塔屋付、建築面積1818u、外壁は赤茶色のタイ
ル貼りの建物です。 |
東大キャンパスの正門と大講堂を結ぶ東西軸に沿
って建つ校舎の一つです。 昭和10年(1935)に竣
工された鉄鉄筋コンクリート造3階建一部4階建、
建築面積2695uの建物です。 |
法文1号館と東西軸を挟んで向かい合う位置に建
つ校舎で、西端部は法学部3号館を意識したL字
型の平面構成となっています。 昭和13年(1938
)に竣工された鉄筋コンクリート造4階建、建築面
積3435uの建物です。 |
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東京大学 法学部3号
東京都文京区本郷7−3−1 |
東京大学 工学部列品館
東京都文京区本郷7−3−1 |
東京大学 工学部1号館
東京都文京区本郷7−3−1 |
正門のすぐ右手に建つ校舎で、工学部列品館と東
西軸を挟んで向かい合っています。 昭和2年(19
27)に竣工された鉄筋コンクリート造4階建、建築面
積1727uの建物です。 |
正門の左手奥に建つ建物で工学部の本部が置か
れています。 大正14年(1925)に竣工された鉄
筋コンクリート造3階建、建築面積766uの建物で
す。 |
旧工科大学本館の跡地に建築された建物です。
もので,昭和10年(1935)に竣工された鉄筋コンク
リート造4階建、建築面積3263uの建物です。 |
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歌舞伎座
東京都中央区銀座4−12−15 |
大野屋總本店店舗
東京都中央区新富2−6−13 |
キリスト友会フレンズセンター
東京都港区三田4−8−9 |
鉄骨鉄筋コンクリート造4階建て、一部5階、地下1
階、建築面積3787uの建物です。
正面中央に大きな唐破風を設け、左右上部を突出
させた入母屋造の建物です。 大正13年(1924)
に竣工され、空襲により焼失したため、昭和26年
(1951)に修復されました。 |
大野屋は安永年間に創業し、嘉永2年(1849)に現
在地に移転した、代々足袋を作ってきたお店です。
店舗は大正13年(1924)に建造された建築面積2
7uの建物です。 木造二階建、切妻造桟瓦葺で、
重厚な甍棟を積んでいます。 一階は店舗、二階で
足袋製造を行っています。 上下階とも軒が高く、二
階は出桁造とし、外壁は簓子下見板張で二階窓に
手摺を設けています。 |
大正11年(1922)に「宣教師館」として建設されま
した。 木造2階建一部地下室付き、屋根は寄棟
造スレート葺、外壁はモルタル塗、玄関庇、縦長
の上げ下げ窓、大きな屋根窓、煉瓦煙突等が外
観を特徴付ける建築面積142uの建物です。
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東京タワー
東京都港区芝公園4−2−8 |
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昭和33年(1958)に建造された、鉄骨造、高さ33
3m、脚間80mの建物です。 正式名称は日本電
波塔といいます。 鉄骨造の集約電波塔で、二層
の大展望台と一層の特別展望台を持っています。
自立式鉄塔としてエッフェル塔を凌ぎ、当時世界最
高を実現しました。 |
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祐天寺 東京都目黒区中目黒5−24−53
祐天寺は増上寺36世住持「祐天」の遺命を受けた弟子の祐海によって享保3年(1718)に開創された浄土宗の寺院です。
仁王門・阿弥陀堂−目黒区指定文化財 |
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祐天寺 表門 |
祐天寺 本堂 |
祐天寺 書院 |
明治時代前期(1868〜1882)に建立された木造、
瓦葺、間口3.6m、切妻造桟瓦葺、左右潜戸付の
高麗門です。 |
安政7年(1860)に再建された木造平屋建、瓦葺
及び銅板葺、建築面積379uの建物です。万延
元年に宝形造の内々陣、明治31年に入母屋造
の外陣、45年にそれを繋ぐ内陣を設けています。 |
明治28年(1895)に建立された木造平屋建、瓦葺
、建築面積329uの寄棟造の建物です。 |
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祐天寺 地蔵堂門 |
祐天寺 地蔵堂 |
祐天寺 水屋 |
江戸時代後期(1830〜1868)に建立された木造、
瓦葺、間口2.3mの薬医門です。 |
天明8年(1788)に建立された木造平屋建、銅板葺
、正面寄棟造、背面入母屋造、向拝付、正面三間
側面五間、建築面積74uの建物です。 |
弘化3年(1846)に建立された木造、入母屋造銅板
葺、面積3.0u木の建物です。 |
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石川酒造
東京都福生市熊川1
銘酒「多満自慢」を造り出している酒蔵です。
石川酒造の歴史は、文久3年(1863)に始まります。
明治14年(1881)、福生市熊川の地に酒蔵を建てて
から現在まで銘酒「多満自慢」そして地ビール「多摩
の恵」を造り続けています。
石川家のケヤキ−福生市指定天然記念物 |
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本蔵 |
新蔵 |
明治13年(1880)に建築された、土蔵造2階建、瓦
葺で建築面積734uの建物です。
桁行32m、梁行23mの酒造蔵です。 桟瓦葺の屋
根は南面切妻造、北面入母屋造になっています。
外壁は漆喰塗で、観音扉付の窓を整然と配されてい
ます。 |
明治31年(1898)に建築された、土蔵造2階建、鋼
板葺で建築面積489uの建物です。
桁行35m、梁間13.5mの細長い2階建の土蔵で
す。 屋根は一方は切妻造、他方は入母屋造です。
外壁は漆喰塗で腰を板で覆っています。
酒の熟成に使われている蔵です。 |
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雑蔵 |
長屋門 |
向蔵 |
明治31年(1898)に建築された、土蔵造2階建、瓦
葺で建築面積133uの建物です。
切妻造、桟瓦葺の屋根は置屋根式とし、北面に下屋
庇をつけています。
当初は米蔵として使用されていた蔵です。 |
およそ230年前の江戸末期に建てられた、木造平
屋建、銅板葺、建築面積89uの建物です。
入母屋造で、中央を門口、左右を部屋としています。
上部は漆喰仕上げ、腰は板で覆っています。 |
明治29年(1896)に建築された、土蔵造2階建、瓦
葺で建築面積577uの建物です。
桁行35m、梁間13.5mの切妻造の土蔵造です。
ある。 当初は石炭小屋として使用されていた蔵で
す。 |