群馬県 |
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富岡製糸場 群馬県富岡市富岡1 <世界遺産>
富岡製糸場は明治5年(1872)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した官営模範器械製糸場です。 開国直後の日本にとって、利益が期待された輸出
品は茶と絹しかありませんでした。 繭から生糸をつくる製糸工程は人力や前近代的な小規模な器具によるところが大きく、諸外国よりも製品の質の面で大きく劣る
と評されていました。 これらの国々と同様に大規模な器械を装備した近代的な製糸工場を稼動させ、製品の量、質ともに高めていくことが殖産興業推進のために
は欠かせないと考えました。 そこで明治政府は、フランス人技師ポール・ブリューナの指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、養蚕業の盛んな富岡に
日本初の器械製糸工場を設置しました。 平成26年12月10日、繰糸所・東置繭所・西置繭所の3つの建造物が国重要文化財から群馬県初の国宝に指定されま
した。 首長館・女工館・検査人館−国重要文化財 |
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富岡製糸場 繰糸所 |
群馬県富岡市富岡1 |
明治5年(1872)の建築です。
長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m。
繰糸場は明治5年から操業停止の昭和62年(1987)まで115年間に渡り操業してきました。 木造レンガ
造で、内部に「トラス構造」という日本にはない造り方が用いられています。 まだお葉フランス製で採光の
ため多くの窓が取り付けられています。
操業当初はフランス製の繰糸器300台が設置され世界最大規模の工場でした。 |
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富岡製糸場 東置繭所 |
群馬県富岡市富岡1 |
明治5年(1872)の建築です。
長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m。
「木骨レンガ造」という西洋のレンガ積みの技術と、木で骨組みを組むという日本の建築方法を組み合わせ
た建物です。 1階は事務所などに使用し、2階は乾燥させた繭を保管しました。 倉庫1棟には最大で25
00石の繭を貯蔵することができます。 |
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富岡製糸場 西置繭所 |
群馬県富岡市富岡1 |
明治5年(1872)の建築です。
長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m。
窓の数が少ない、アーチがないなど異なる点はいくつかありますが、東置繭所と同じ構造の建物です。
西置繭所の1階北側半分のレンガは昭和後期に積まれたもので2階のレンガの色と異なります。 当時、
蒸気エンジンを動かすための石炭が置かれていたため、レンガは積まれていませんでした。 2階に繭が
保管されていました。 |
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旧冨沢家住宅
群馬県吾妻郡中之条町大道1274 |
薬師堂
群馬県吾妻郡中之条町四万4371 |
阿久沢家住宅
群馬県前橋市柏倉町604 |
冨澤家は、江戸時代に名主を務めた養蚕農家で、
繭の取引や運送業、金融業などを営み栄えた家で
す。
この建物は、寛政年間(1789〜1801)に建てられた
もので、桁行25.1m、梁間11.7m、二階建て、
茅葺入母屋造の建物です。 内部は右側約5分の
3が土間と厩で、左側が残り床上部となっています
。 2階は養蚕のため設けられたものです。 |
慶長3年(1598)に建てられたものです。
一重の寄居造で屋根は茅葺です。 正面、側面とも
三間で、前方二間は外陣、後方一間は内陣とし、そ
の境に格子戸をはめ込んでいます。 建築様式は、
和様と禅宗様の折衷様式です。
国の重要文化財に指定されている、県内唯一の寺
院建築で、現存の寺院建築として県内最古のもの
です。
お籠堂−中之条町指定文化財 |
阿久沢家は江戸時代は名主や組頭等を歴任した
名家で、屋敷は上級農家の格式を持ちます。
建物は17世紀末に建てられたもので木造平屋建
、寄棟、茅葺、平入、正面南側土庇付、桁行8間(
約15.3m)、梁間4.5間(約8.2m)、外壁は真
壁造り、土壁鏝押えの建物です。 この地方には「
赤城型民家」と呼ばる平側の一部を切り取り養蚕
の為に採光や通気がし易いように工夫されている
民家が多い中、阿久沢家住宅では開口部が少なく
建物の構造などから養蚕が盛んになる以前に建て
られたものと思われます。 |
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世良田東照宮 群馬県太田市世良田町3119−1
長楽寺を開基した世良田義季は徳川家康の先祖に当たります。 寛永21年(1644)に三代将軍家光は
先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠が造営した日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門
・拝殿)を世良田の地に移築し、本殿は新築して東照宮を勧請しました。
明治8年(1875)に神仏分離によって長楽寺から分離し、明治12年(1879)に郷社に列格しました。 |
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鉄燈籠 |
明暦4年(1658)に奉納された高さ4.95mの鉄灯
籠です。 |
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唐門 |
拝殿 |
本殿 |
拝殿移築時に日光東照宮奥社神廟前にあった門
を移築したものです。 門に付随し透塀が本殿を
一周しています。 寛永21年(1644)に建立され
た四脚平唐門、銅瓦葺の建物です。 |
日光東照宮奥社拝殿として元和年間(1615〜162
4) に建立され、寛永17年〜19年に移築されまし
た。 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、前後
軒唐破風付、銅瓦葺の建物です。 |
寛永21年(1644)の創建時に建立された一間社
流造、銅瓦葺の建物です。 伝左甚五郎作、狩野
探幽彩画の彫刻「巣籠りの鷹」が有名です。 |
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榛名神社 群馬県高崎市榛名山町849
榛名神社は、赤城山、妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社です。
綏靖天皇の時代に鎮座し、用明天皇元年(586)に社殿が造営されたと伝えられています。 南北朝時代ごろから上野寛永寺の下に属し、別当が派遣されて管理
がされてきました。 明治の神仏分離により仏教色が廃され、元の榛名神社に復しました。
延長5年(927)に完成した延喜式の記録には、全国の主要な神社名を書きあげた「神名帳」があります。 その中に上野国十二社の群馬郡小社として榛名神社は
位置づけられています。 この記録に登載された神社は「式内社」と呼ばれ、格式の高い神社と考えられています。 この時すでに「式内社」といわれるほどの神社
に榛名神社は成長していたことがわかります。
矢立スギ−国天然記念物 、 鉄燈籠−県重要文化財 、 宝殿(三重塔)−市重要文化財 |
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本社・幣殿・拝殿 |
国祖社・額殿 |
神楽殿 |
文化3年(1806)の再建です。 手前に拝殿、奥が本
社で両社をつないでいるのが幣殿です。
本社は隅木入春日造、正面三間、側面二間。
幣殿は両下造、正面一間、側面三間。
拝殿は入母屋造、正面千鳥破風、両側面と向拝に
軒唐破風をつけています。
権現造の複合建築で、屋根は銅板葺。
本社は御姿岩に接し岩奥に御神体をお祀りしていま
す。 目貫の鷲、左右海老虹梁の2龍ほか彫刻が多
く飾られています。 |
享保年間(1716〜35)の建築です。
入母屋造銅板葺正面三間、側面五間、妻入、正面
向拝一間付。 榛名山西部の御祖霊嶽にあったも
のを本社のそばに摂社として祀るようになったと伝
えられています。 神仏分離以前は本地仏を安置し
、本地堂とも呼ばれていました。
左側の額殿は文化11年(1814)の増築です。
入母屋造銅板葺で国祖社に接続しています。 額殿
は本来は神楽の拝見所ですが、大小の太々御神楽
の扁額を揚げてあることから額殿とも呼ばれていま
す。 |
明和元年(1764)の再建です。
北面が唐破風造、南面が切妻造銅板葺で、北側が
吹き放ちの舞台、南側を楽屋としています。
神に奉納する神楽を演じる場所で、本殿と向かい合
い床の高さを同じにしています。 |
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双龍門 |
神幸殿 |
随神門(旧仁王門) |
安政2年(1855)の建築です。
一間一戸四脚門で総欅造り。 入母屋造、銅版葺、
正面と背面に千鳥破風、四面に軒唐破風をつけて
います。 4枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された
龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれ
るようになりました。 羽目板の両面には「三国志
」にちなんだ絵柄が彫られ、天井の上り龍、下り龍
とともに双龍門の風格を高めています。 |
安政6年(1859)の建築です。
入母屋造銅板葺妻入。
毎年5月8日早暁、本殿より神輿が渡御し、15日早
暁本殿へ還御されます。 |
弘化4年(1847)の建築です。
入母屋造、銅板葺、正面と背面に軒唐破風付、三間
一戸八脚門です。
神仏分離までは二力士像があり、雲慶の作と伝えら
れていました。 |
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碓氷峠鉄道施設 群馬県安中市松井田町坂本
長野新幹線の開業に伴い、平成9年に廃線となった旧信越本線の遺構です。 施設は、太平洋側と日本海側を結ぶ連係ルートとして建設されたもので、高崎−桶
川間は明治18年(1885)10月、軽井沢−直江津間は21年にそれぞれ開業しましたが、碓氷線と呼ばれた横川−軽井沢間は、碓氷峠が急勾配のため、明治24
年(1891)に着工し明治26年(1893)4月開業となり、高崎−直江津間の全線が開業しました。 横川−軽井沢間の11.2km、標高差553mは、1000分の66.
7という最急勾配のため、ドイツ、ハルツ山鉄道で実用化されていたアブト式という特殊な登坂機構が採用されました。 ラックレールと呼ばれる歯車状の線路に動
力を伝える方式の蒸気機関車を用いて開通、後に峠専用の機関車を用いて電化され、昭和38年(1963)まで走り続けました。 碓氷線には26のトンネルと18の
橋梁が作られましたが、その内の一部の駅、変電所、橋梁などの施設がそのまま残され、鉄道文化史の貴重な資料として重文指定となっています。
全26隧道中10隧道(第1〜10)、全18橋梁中5橋梁(第2〜6)が国重要文化財に指定されています。 |
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第三橋梁(めがね橋) |
第四橋梁(西口・軽井沢側) |
第五橋梁 |
アーチ径間 18.29m×4
長さ 91.06m 、 高さ 31.39m |
アーチ径間 7.32m
長さ 9.76m 、 高さ 4.42m |
アーチ径間 10.97m
長さ 15.79m 、 高さ 8.84m |
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第六橋梁 |
第二隧道(西口・軽井沢側) |
第五隧道(西口・軽井沢側) |
アーチ径間 10.97m
長さ 51.87m 、 高さ 17.37m |
長さ 112.76m、煉瓦積・壁柱(ピラスター)・胸
壁(パラペット)・笠石・帯石 |
長さ 243.61m、切石積・壁柱(ピラスター)・胸
壁(パラペット)・笠石・帯石・要石(キーストーン) |
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第六隧道(西口・軽井沢側) |
第六隧道(東口・横川側) |
第七隧道(東口・横川側) |
長さ 546.17m、切石積・ 壁柱(ピラスター)・胸
壁(パラペット)・笠石・帯石 |
長さ 546.17m、切石煉瓦混用・山目地・ 壁柱
(ピラスター)・翼壁(ウイング)・胸壁(パラペット)・
笠石・帯石・要石(キーストーン)・盾状迫石 |
長さ 75.44m、煉瓦積・覆輪目地・壁柱(ピラス
ター)・胸壁(パラペット)・笠石・帯石 |
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第八隧道(東口・横川側) |
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長さ 91.53m、煉瓦積・笠石 |
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妙義神社 群馬県富岡市妙義町妙義3
妙義神社の創建は宣化天皇2年(537)といわれています。 古くは波己曽神社といい、「日本三代実録」に「授上野国正六位上波己曽神従五位下」とあるのが最
も古い記録です。 上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し妙義山信仰の中心となっている神社です。 江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌
亥)天門の鎮めとして歴代の徳川将軍家に深く信仰されました。 大河ドラマのロケ地として使用され、2005年の「義経」の鞍馬寺、2009年の「天地人」の雲洞
庵のシーンなどが撮影されています。
随身門、銅鳥居、波己曽社殿、石垣−県重要文化財、御殿・社務所−市重要文化財、ウラジロガシ−県天然記念物 |
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妙義神社 総門 |
妙義神社 唐門 |
妙義神社 本殿・幣殿・拝殿 |
総門は三間一戸、切妻造の八脚門です。
安永2年(1773)に石塔寺の仁王門として建立され
たもので、神仏分離により総門に改められました。
屋根は檜皮葺から銅板葺に改められました。 |
唐門は宝暦6年(1756)に建立された桁行一間、
梁間一間、銅瓦葺の平唐門です。 随所に彫刻を
付け、全面に漆塗・彩色を施した華麗な建物です。 |
宝暦6年(1756)に建立されました。
本殿は桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造
幣殿は桁行三間、梁間一間、一重、両下造
拝殿は桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、
正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付
総銅瓦葺の建物です。 随所に彫刻を付け、全面
に漆塗、彩色を施した華麗な建物です。 |
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貫前神社 楼門
群馬県富岡市一ノ宮1535 |
貫前神社 拝殿
群馬県富岡市一ノ宮1535 |
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一之宮貫前神社は上野国一宮、「延喜式神名帳」の名神大社、旧社格は国幣中社です。
安閑天皇の元年(531)に創建された神社で、その後、天武天皇2年(673)に最初の奉幣が行われました。
普通、神社の境内は参道や門から石段を上がったところにありますが、この神社は正面参道からいったん
石段を上がり、総門を潜ったところから石段を下ると社殿がある、いわゆる「下り宮」と呼ばれる特異な形態
をしており、「下り参りの宮」とも呼ばれています。
唐銅製燈籠−市重要文化財、スダジイ−市天然記念物 |
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寛永12年(1635)、三代将軍徳川家光の命により
建造され、元禄11年(1698)五代将軍綱吉の命に
より大修理が行われています。
一間一戸の四脚楼門で入母屋、檜皮葺の建物です
。 上階は三間に造られ、全面に漆が塗られていま
す。 |
寛永12年(1635)、三代将軍徳川家光の命により
建造され、元禄11年(1698)五代将軍綱吉の命に
より大修理が行われています。
正面三間、側面三間、入母屋造、檜皮葺の建物で
す。 正面に軒唐破風を付け、内外全面に極彩色
や漆塗が施されています。 |
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富岡製糸場 群馬県富岡市富岡1 <世界遺産>
富岡製糸場は明治5年(1872)、明治政府が日本の近代化のために最初に設置した官営模範器械製糸場です。 開国直後の日本にとって、利益が期待された輸出
品は茶と絹しかありませんでした。 繭から生糸をつくる製糸工程は人力や前近代的な小規模な器具によるところが大きく、諸外国よりも製品の質の面で大きく劣る
と評されていました。 これらの国々と同様に大規模な器械を装備した近代的な製糸工場を稼動させ、製品の量、質ともに高めていくことが殖産興業推進のために
は欠かせないと考えました。 そこで明治政府は、フランス人技師ポール・ブリューナの指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、養蚕業の盛んな富岡に
日本初の器械製糸工場を設置しました。 平成26年12月10日、繰糸所・東置繭所・西置繭所の3つの建造物が国重要文化財から群馬県初の国宝に指定されま
した。 首長館・女工館・検査人館−国重要文化財 |
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首長館(ブリューナ館) |
女工館 |
検査人館 |
明治6年(1873)の建築です。
広さ320坪の木骨レンガ造平屋建ての住宅です。
高床で廻廊風のベランダを持つ建物です。 ブリュ
ーナの任期満了後は、工女の夜学校や片倉富岡
高等学校の校舎として利用されました。 講堂の地
下には食料品貯蔵庫に使用したと思われるレンガ
造りの地下室が3室残されています。 |
明治6年(1873)の建築です。
木骨レンガ造二階建て、廻廊様式のベランダ付き住
宅です。 日本人の工女に、器機による糸取り技術
を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居
として建てられました。 |
明治6年(1873)の建築です。
木骨レンガ造二階建てランダ付き住宅です。 生糸
や機械の検査を担当したフランス人男性の住居とし
て建てられました。 二階には、皇族や明治政府の
役人が訪れた際に使用する「貴賓室」が残されてい
ます。 女工館との連結部は後に付設されたもので
、元々この2棟は独立して建てられていました。 |
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旧茂木家住宅
群馬県富岡市宮崎329 宮崎公園内 |
旧黒澤家住宅
群馬県多野郡上野村楢原甲200 |
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茂木家は中世の城主の後裔で、室町時代末期に
現在地に土着した家柄です。
この建物は、大永7年(1527)に建てられた桁行1
6.2m、梁間8.6m、切妻造、板葺、南面及び西
面庇付、杉皮葺の建物です。 柱、梁の形や組み
方が普通の民家と異なり、板葺屋のなかでは日本
で一、二を争う古い建物です。 |
黒澤家は代々上山郷の大総代を務めた旧家です。
桁行十一間半(21.8m)、梁間八間半(15.9m)、二階
建、切妻造、板葺の建物です。 西側には上段の間
中段の間、中の間、休息の間と呼ばれる4室の座敷
が一列に並んでいます。 31帖半のちゃの間、その
南側には村玄関、化粧部屋、おしらすと式台玄関が
あります。 ちゃの間の周囲には女部屋、主人部屋
客間など家族用の部屋と、使用用のひろしきと呼ば
れる部屋があります。 だいどこはそれほど広くなく、
奥に板の間のおかってが、だいどこ入口の大戸脇に
風呂場と便所があります。 二階は全体に広い板の
間で養蚕のために使用されたものです。 様式や構
造法からみて18世紀中頃の建築と考えられます。 |
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積善館本館
群馬県吾妻郡中之条町四万4236−1 |
旧吾妻第三小学校校舎
群馬県吾妻郡中之条町中之条947−1
中之条町歴史民族資料館 |
水澤寺 六角二重塔
群馬県渋川市伊香保町水沢214 |
元禄時代の創業で300年の歴史を持つ温泉旅館「
積善館」。 本館は寛政12年(1800)以前に建てら
れたものです。
この建物は当初、石置の板葺屋根の二階建てで、
一階を帳場と家庭用、二階を湯治客用としていまし
た。
三階は明治に増築されたものです。
前新−国登録文化財 |
この建物は、明治18年(1885)に完成しました。
学校建築心得に準拠して設計された、凹字型、木造
大壁、寄棟造り、二階建、床面積は632.8u、外
観は洋風の建物です。
その後女子尋常高等小学校の時代を経て、大正7
年からは町役場の庁舎として使用されてきました。 |
水澤寺は千三百有余年昔、推古天皇・持統天皇の
勅願により開山されたお寺です。 六角二重塔は天
明7年(1787)に建立された、下層の一辺は9尺(2.
727m)、上層の一辺は4.5尺(1.364m)の銅板瓦
棒葺の建物です。 内部に回転する六地蔵尊(地獄
道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間界・天人界)を安
置する構造になっています。 地蔵堂・六角堂とも呼
ばれています。 坂東三十三観音札所第16番
仁王門、観音堂−市重要文化財
観音杉−市天然記念物 |
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長楽寺 群馬県太田市世良田町3119−6
長1221年(承久3年(1221)に徳川家の祖とされる世良田義季が創建されたお寺です。 室町時代初期(南北朝時代)には室町幕府から関東十刹のひとつに列せ
られました。 江戸時代、江戸幕府に起用された天台宗の僧天海によって臨済宗から天台宗に改宗されました。 寛永21年(1644)に三代将軍家光は二代将軍
秀忠が造営した日光東照宮奥社を境内に移築し東照宮を勧請しましたが、明治8年(1875)に神仏分離によって長楽寺から分離されました。 |
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長楽寺 勅使門 |
長楽寺 三仏堂 |
長楽寺 太鼓門 |
勅使門は世良田東照宮の正門として建造され、明
治8年(1875)に神仏分離によって長楽寺の所属と
なりました。 建造年代は東照宮が勧請された寛
永21年(1644)と同時代と思われます。 切妻造、
銅瓦葺の1間1戸の四脚門です。 |
三仏堂は慶安4年(1651)に3代将軍徳川家光の
命により再造された建物です。 正面5間、側面4
間、総丹塗の向拝付き、寄棟造りの建物です。
東照宮とともに元文元年(1736)から天保15年(1
844)の間に5回の修理が行われ、明治9年(187
6)に茅葺屋根から桟瓦葺に改められました。 |
太鼓門は鼓楼ともいわれ、17世紀中頃の建立と
考えられています。 かつては楼上に太鼓をかけ
て時報や行事の合図に使用されました。 正面3
間、側面3間、楼門袴腰付の入母屋造りで、屋根
は銅瓦葺の建物です。 |
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旧上毛モスリン事務所
群馬県館林市城町2-3館林市第二資料館 |
上野総社神社 本殿
群馬県前橋市元総社町1−31−45 |
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この建物は上毛モスリン株式会社の事務所として
明治41年(1908)から43年にかけて館林城二の
丸跡に建てられたものです。 明治29年(1896)に
毛布織合資会社として設立され、大正末期に倒産
しました。 木造二階建入母屋造り、1階255u、
2階208uの建物で、シンメトリー式の外観、張り
出しの浅い屋根、上下開閉式の窓、柱・階段の手
すり・天井などに見られる意匠等に洋風建築の要
素がみられます。 |
総社神社は平安時代に上野国の国司が上野国内
の神社549社を祀るために建てた神社です。
本殿は高さ90cmの基壇上に建つ間口三間、奥行
二間の三間社流造で、屋根は柿葺です。 手法から
桃山時代に創建されたと推定されます。
拝殿−市重要文化財
社叢けやき6本−市天然記念物 |
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三夜沢赤城神社 群馬県前橋市三夜沢町114
赤城神社は群馬県の赤城山の神を祀る神社です。 本源は、赤城山を御神体とする山岳信仰に端を発し、延喜式神名帳に名神大社「勢多郡 赤城神社」として記
載され、上野国二宮ともなっています。 現在、三夜沢赤城神社、富士見町赤城神社、二宮赤城神社の3社がその論社となっています。
現在、赤城神社と名の付く神社は、群馬県内には118社、日本全国では334社あります。 この赤城神社はその総本社となります。
たわらスギ−群馬県指定天然記念物 |
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三夜沢赤城神社 惣門 |
三夜沢赤城神社 中門 |
三夜沢赤城神社 本殿 |
惣門は、参道の松並木の終わりになる三夜沢町42
9に建っている高麗門です。 建築年代は宝暦元年
(1751)と推定されます。 鳥居型の扉のない平鉄板
葺の門です。 |
中門は一間一戸の四脚門で切妻平入、屋根は銅板
葺の建物です。 建立年代は本殿と同じ明治2年(1
869)です。 |
幕末に火災で焼失したため、明治2年(1869)に再
建されたものです。 正面三間、側面二間の神明造
、切妻平入、銅板葺の建物です。 柱はすべて礎石
の上に立っており、柱間は正面中央間を板扉とし、
他の三方は横羽目の板壁としています。 |
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榛名神社の鉄燈籠
群馬県高崎市榛名山町849 |
不動寺 仁王門
群馬県安中市松井田町松井田987 |
松井田八幡宮 本殿
群馬県安中市松井田町新堀1497 |
竿の部分の銘文によると元亨3年(1323年)に奉納し
たとあります。 材質が鉄であることや基礎の唐獅子
が浮き彫りにされている格狭間の形状などに鎌倉期
の特徴がよく表れています。 鉄燈籠としては県内
最古のものです。 なお、笠の部分は後世の補作で
す。
本社・幣殿・拝殿、国祖社・額殿、神楽殿、双龍門
神幸殿、随神門−国重要文化財
矢立スギ−国天然記念物、 宝殿−市重要文化財 |
不動寺は寛元元年(1243)に創建された真言宗のお
寺です。 戦国時代は武田家の祈願所として庇護さ
れ、末寺は17カ寺に及び大きな影響力を持つ大寺
だったとされます。
仁王門は江戸時代初期の建立と推定され、間口6.
05m、奥行3.5mの三間二間の、柿葺単層、切妻
造りの八脚門です。 |
創立年代は不明ですが、建久8年(1197)に源頼朝
が立ち寄ったとの記録が残っています。
本殿は、寛永年間(1624-1644)の建立と伝えられま
す。 三間社流造で、正面三間、側面二間の銅板葺
で幣殿、拝殿と連結しています。 |
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妙義神社 群馬県富岡市妙義町妙義3
妙義神社の創建は宣化天皇2年(537)といわれています。 古くは波己曽神社といい、「日本三代実録
」に「授上野国正六位上波己曽神従五位下」とあるのが最も古い記録です。 上毛三山の一つである妙
義山の東麓に鎮座し妙義山信仰の中心となっている神社です。 江戸時代は関東平野の北西に位置し
、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして歴代の徳川将軍家に深く信仰されました。 大河ドラマのロケ地とし
て使用され、2005年の「義経」の鞍馬寺、2009年の「天地人」の雲洞庵のシーンなどが撮影されてい
ます。
本殿・幣殿・拝殿、唐門、総門−国指定重要文化財
御殿・社務所−市重要文化財
ウラジロガシ−県天然記念物 |
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妙義神社 銅鳥居 |
創寛文8年(1668)の建立です。 大鳥居の足元には
それぞれ獅子が3匹ずついます。 |
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妙義神社 石垣 |
妙義神社 波己曽社殿(神楽殿) |
妙義神社 随身門 |
妙義山に産する安山岩を用いて江戸時代中期に
築かれたものです。 |
波己曽社は妙義神社の旧本社といわれ、明暦2年
(1656)の建造と伝えられています。 拝殿は分離
され妙義神社の神楽殿として利用されてきました。
昭和44年(1969)に復原されました。 社殿は妙義
神社社殿より一時代前の様式をもった建物で、入母
屋造で正面屋根に千鳥破風をもった拝殿、それに
幣殿・本殿が接続しています。 |
江戸時代初期に建立された三棟形式の八脚門で
す。 |
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薬師堂のお籠堂
群馬県吾妻郡中之条町四万4371 |
旧大岩学校(牧水会館)
群馬県吾妻郡中之条町上沢渡3404-1 |
吾妻橋(旧坂東橋)
群馬県吾妻郡中之条町小雨 |
慶長9年(1614)に建てられたものです。
間口4.79m、奥行3.66mで、中央に幅1.01m
の通路が設けられています。 お籠堂には、湯治客
が病気を治すために定められた日数、お籠堂に閉じ
こもって、お経を読んだり、断食、水垢離などをして
いました。
薬師堂−国指定重要文化財 |
旧大岩学校は明治12年(1879)に建てられた、間口
4間、奥行6間、面積24坪の木造平屋建て、寄棟、
萱葺の建物です。 当時の都市部で見られた洋風の
学校建築とは異なり、江戸時代の寺子屋的な雰囲
気の建物です。 昭和29年(1954)まで学校として
利用され、その後は地域の集会場、近年は若山牧
水がこの地を訪れた時詠ったとされる歌碑を建立し
た事で「牧水会館」と呼ばれています。 |
明治34年(1901)に前橋市と渋川市の境の利根川
に「坂東橋」として架設されました。 坂東橋は昭和
34年(1959)に架け代えられた時、3村(六合村、赤
城村、子持村)で譲り受け移設再利用されました。
全長69m、幅2.5mのペンシルバニヤ型トラス鉄
橋で、材料は全てアメリカ産輸入鋼材です。 |
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光泉寺 釈迦堂
群馬県吾妻郡草津町甲446 |
水澤寺 仁王門
群馬県渋川市伊香保町水沢214 |
水澤寺 観音堂
群馬県渋川市伊香保町水沢214 |
光泉寺は養老5年(721)行基が草津温泉を発見し
た際に創建されたと伝えられています。
釈迦堂は元禄16年(1703)に建立されました。 藁
屋二間四面の堂です。 |
仁王門は天明7年(1787)に建立された、間口三間
奥行二間、平板銅板葺き重層入り母屋造の楼門で
す。 仁王尊と風神・雷神が祀られ、楼門上には、釈
迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)が安置され
ています。
坂東三十三観音札所第16番
六角二重塔−県重要文化財
観音杉−市天然記念物 |
観音堂は天明7年(1787)に建立された、正面向拝
付きの五間堂です。
坂東三十三観音札所第16番
六角二重塔−県重要文化財
観音杉−市天然記念物 |
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同聚院 武家門
群馬県伊勢崎市曲輪町14−15 |
旧時報鐘楼
群馬県伊勢崎市曲輪町28−23 |
湯中子大山祗神社 本殿
群馬県渋川市伊香保町湯中子941 |
同聚院は平治元年(1159)に創建された曹洞宗の
寺院です。 武家門は瓦葺、切妻造りの四脚門です
が、本柱の位置が屋根の棟の線より前にずれてい
て薬医門の形式をとっています。
大カヤ−市天然記念物 |
大正4年(1915)に建設された県内最古の鉄筋コン
クリート構造の建造物です。 高さは14.56mで、
煉瓦が張壁として用いられ、ルネサンス風の窓やド
ーム屋根は大正ロマンを感じさせます。 |
一間社流造の見せ棚造の小社で、正面に千鳥破風
軒唐破風を附加した形式をとっています。 江戸末
期の建造と思われます。
大杉−市天然記念物 |
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旧館林藩士住宅
群馬県館林市大手町5−10武鷹館 |
総社神社 拝殿
群馬県前橋市元総社町1−31−45 |
榛名神社の宝殿(三重塔)
群馬県高崎市榛名山町849 |
この建物は、旧館林城の侍町の一つである「外伴木
」に現存した館林藩の中級武士の住宅です。
江戸時代後期に建造された、間口8間半、奥行4間
半、建坪は28坪(92.56u)の建物で、部屋を横
一列に配置する武家住宅特有の間取りが特徴です
。 |
総社神社拝殿は天保14年(1843)に建立された桁
行三間、梁間二間、一重入母屋造、千鳥破風付の
建物で屋根は柿葺でしたが現在は銅板葺になって
います。
本殿−群馬県重要文化財
社叢けやき6本−市天然記念物 |
明治2年(1869)の再建です。
銅板瓦葺の高さ16mの塔で、県内唯一の三重塔で
す。
本社・幣殿・拝殿、国祖社・額殿、神楽殿、双龍門
神幸殿、随神門−国重要文化財
矢立スギ−国天然記念物、鉄燈籠−県重要文化財 |
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白岩観音(長谷寺) 群馬県高崎市白岩448 坂東三十三観音札所第15番 |
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白岩観音 本堂 |
白岩観音 仁王門 |
天文元年(1532)上杉憲政が伽藍を整備しますが、
永禄6年(1563)武田信玄の箕輪城攻略の兵火で焼
失してしまいます。 現在の本堂は天正8年(1580)
武田勝頼が再建したものです。 唐破風の向拝が見
事です。 |
室町時代に建築されたものです。 |
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八幡八幡宮 拝殿
群馬県高崎市八幡町655 |
八幡八幡宮 幣殿
群馬県高崎市八幡町655 |
八幡八幡宮 本殿
群馬県高崎市八幡町655 |
八幡宮は、天徳元年(957)京都の石清水八幡宮を勘請して創建されました。 正式名称は上野国一社八幡宮で、一国一社の八幡宮として古くから尊崇されてきま
した。 源頼義、義家が奥州征伐のおり必勝祈願し、戦勝の結果社殿を改築され、さらに源頼朝によって全社殿の改築、参道杉並木の開さく、遠鳥居の建立など
が行われたといわれています。 本殿は天地権現造で宝暦7年(1757)に再建された建物です。 |
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八幡八幡宮 唐銅燈籠
群馬県高崎市八幡町655 |
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燈籠は拝殿前に東西一対が立てられています。 糸
繭商の野澤屋惣兵衛が大願主となって、慶応元年
(1865)より開始さた八幡八幡宮の大修復事業の記
念物として、金三百両で作成し、慶応3年(1867)に
奉納されたものです。 |
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旧碓氷郡役所
群馬県安中市安中3−21−51 |
旧安中藩郡奉行役宅(旧猪狩家)
群馬県安中市安中3−6−9 |
旧安中藩武家長屋
群馬県安中市安中3−6−1 |
明治11年(1878)郡区町村編成法は公布され、群
馬県では17の郡が設置されました。 現在の建物
は、以前の役所が火災で焼失してしまったため、明
治44年に竣工されたものです。 間口17間、奥行
5間、建坪85坪の建物には、安中の杉並木10本
が切られて用材として用いられました。 |
この建物は、安中藩郡奉行、猪狩幾右衛門懐忠が、
幕末から明治初期にかけて住んでいた家です。
母屋と長屋門があり、母屋は県内では珍しい曲がり
屋形式です。 |
この武家長屋は、復元前は三軒長屋として残ってい
ましたが、明治初期の間取図に基づき、建築当初の
四軒長屋として復元されました。 この四軒長屋の
東には五軒長屋が続いていました。 江戸時代末
期に建てられたもので、桁行26間、梁間3間、建坪
78坪あります。 |
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貫前神社 唐銅製燈籠
群馬県富岡市一ノ宮1535 |
妙義神社 御殿・社務所
群馬県富岡市妙義町妙義3 |
妙義神社 青銅製燈籠
群馬県富岡市妙義町妙義3 |
総門の両側に建っています。 高さ395cmの銅製燈
籠で、慶応元年(1865)に製造され、慶応2年に建て
られました。
楼門、拝殿−国指定重要文化財
スダジイ−市天然記念物 |
妙義神社の社務所となっている建物は、昔、宮様御
殿として使われていた建物です。 嘉永5年(1628)
再建です。 |
妙義神社入口の階段の手前に建つ総高4.35m
で一対の青銅製の燈籠です。 元治元年(1864)
諸国の糸繭商人、諸商人、養蚕家の人々合計22
3人の寄進によって建てられました。 |
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菅原神社 本殿
群馬県富岡市妙義町菅原1423 |
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菅原神社は天歴4年(950)の創建と伝えられます。
本殿は寛政8年(1796)に落雷で焼失し、文政5年
(1822)に再建されました。 三間社流造、千鳥破風
、向拝軒唐破風付き、銅板葺の建物です。
大ヒノキ−群馬県指定天然記念物 |
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積善館前新
群馬県吾妻郡中之条町四万4236−1 |
白井屋
群馬県吾妻郡中之条町中之条1798 |
町田家住宅 主屋と住宅門
群馬県吾妻郡中之条町中之条982 |
四万温泉の老舗旅館「積善館」の温泉宿泊施設の
一つです。 川沿いに建つ3階建ての建物で、1階
が鉄筋コンクリート造の浴室、2、3階を木造の客室
としています。 連続する浴室のアーチ窓がハイカラ
な印象を与え、宿泊客に親しまれています。 鉄筋
コンクリート造、木造3階建、,鉄板葺、建築面積14
9u。
本館−県重要文化財 |
三国街道脇往還に通じる新道に建っています。
間口桁行7間、梁行4間の切妻造、木造2階建、鉄
板葺で建築面積149uの建物です。 明治25年
頃から宿屋を開業と伝えられ、明治期旅籠遺構の
ひとつです。 |
大庄屋や区長を務めた家柄の役宅兼住宅です。
間口12間、奥行10間のL型平面をもつ、木造2階
建、鉄板葺、建築面積266u江戸時代後期に建て
られた建物です。 大振りな起り破風の玄関構えを
とっています。 |
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旧世良田村役場庁舎
群馬県太田市世良田町1516−1 |
旧世良田村役場正門
群馬県太田市世良田町1516−1 |
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昭和3年(1928)に建造された鉄筋コンクリート造
22階建、建築面積297uの建物です。 コの字
形の平面で南面に玄関ポーチを設ける昭和初期
の地方庁舎建築の好例です。 |
昭和3年(1928)に建造された鉄筋コンクリート造
間口9.4mの門です。 大谷石張の門柱4本から
なり、主柱は4.5m、左右の脇柱は2.0mの間
隔で立っています。 主柱は高さ2.1mで頂部に
は雪洞灯を設けています。 |
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正田醤油正田記念館
群馬県館林市栄町3−1 |
正田醤油地内稲荷神社
群馬県館林市栄町3−1 |
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正田家が米穀商を営んでいた嘉永6年(1853)に
居宅・店舗として建造されました。 木造2階一部平
屋建、瓦葺、建築面積191uの建物です。 主体
部は桁行8間、梁間3間半、南北棟、切妻造の木
造2階建で南面と東面に半間の下屋を設け、北面
に桁行2間半梁間6間の平屋建を延ばし、西面は
2階屋根を葺下ろして背面部を覆っています。 |
元は目車町の鎮守でしたが、明治43年(1910)に
正田家が譲り受けました。 江戸時代末期(1830-
1867)に建立された、木造平屋建、瓦葺、建築面積
22uの建物です。 |
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一宮家住宅(般若坊)長屋門
群馬県高崎市榛名山町164 |
一宮家住宅(般若坊)主屋
群馬県高崎市榛名山町164 |
門倉家住宅(善徳坊)主屋
群馬県高崎市榛名山町176 |
木造平屋建、鉄板葺、建築面積36uの江戸時代後
期に建てられたものです。 参道に西面する桁行6
間、梁間2間の長屋門で、北半分を門、南半分を門
番室としています。 門番室の東面に桁行3間、梁
間2間の土間を付けています。 |
木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積650uの江
戸時代後期に建てられたものです。 榛名神社の
社家町にあります。 参道東側の敷地中央に東西
棟の宿坊、南へ折れた南北棟に玄関と台所があり
ます。 東側には2階建の居住部分が接続していま
す。 |
木造平屋建、鉄板葺、建築面積145uの江戸時代
中期に建てられたものです。 榛名神社の社家町の
住宅を兼ねる宿坊です。 参道に西面して建つ間口
6間半、奥行4間半の切妻造の建物です。 小規模
ですが、同地区最古の宿坊遺構と伝えられます。 |
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鐸木家住宅(本坊)門
群馬県高崎市榛名山町183 |
鐸木家住宅(本坊)宿坊
群馬県高崎市榛名山町183 |
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木造、銅板葺、間口3.0mの江戸時代中期に建て
られた門です。 榛名神社二之鳥居から東へ石段を
登った高台に建っています。 薬医門の形式で本柱
の柱間10尺、本柱と控え柱の間は7尺あります。
屋根は切妻造で南側に脇門が附属しています。 |
木造平屋建、鉄板葺、建築面積231uの江戸時代
中期に建てられたものです。 榛名神社二之鳥居か
ら東に登った高台に建っています。 桁行12間、梁
行6間半の大規模な入母屋造の宿坊です。 |
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