埼玉県 |
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歓喜院 聖天堂 |
埼玉県熊谷市妻沼1627 |
平成24年7月9日に国宝に指定された、埼玉県唯一の国宝建造物です。
聖天山歓喜院は日本三大聖天のうちの一つに数えられる名刹で、治承3年(1179)に建立されました。
高野山真言宗の寺院で、高野山準別格本山で、関東八十八大師八十八番、関東三十三観音十六番の札
所になっています。
聖天堂は奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の建物で、奥殿は延享元年(1744)、中殿は宝暦10年(1760
)、拝殿は宝暦6年(1756)に建立されました。 奥殿は桁行三間・梁間三間・一重・入母屋造・両側面軒
唐破風・背面千鳥破風及び軒唐破風付・向拝一間、中殿は桁行三間・梁間一間・一重・両下造、拝殿は
桁行五間・梁間三間・一重・入母屋造・正面千鳥破風付・向拝三間・軒唐破風付で総銅板葺の建物です。
特に奥殿は左甚五郎作の「鷲と猿」など多彩な彫刻技法が駆使され、色漆塗や金箔押などによる極彩色
を施してきらびやかに飾られています。
貴惣門−国指定重要文化財、四脚門−熊谷市指定有形文化財 |
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和井田家住宅 主屋
埼玉県八潮市八條1377−1 |
和井田家住宅 長屋門
埼玉県八潮市八條1377−1 |
旧高橋家住宅
埼玉県朝霞市根岸台2−15−10 |
和井田家は延宝期(1673-1680)以降名主職を世襲し、19世紀前期には八條領35ヶ村の名主大惣代を勤
めた家柄です。 構堀を廻らしたた敷地の中央に主屋が建ち、南方に長屋門を構えています。、 |
桁行7.5間、梁間4間、床面積31坪の木造、寄棟
造、茅葺の建物です。 ザシキ、ヘヤ、デイ、オクノ
ヘヤの4室および土間で構成された農家建築です。
17世紀頃の農家建築の特徴を持っていますが、建
築年代は18世紀前頃と推定されます。
江戸時代前期に建築された、関東地方でも数例し
かない最古級の建造物です。 |
主屋は17世紀末ごろに建てられた、桁行17.3m、
梁間8.3m、寄棟造、四面庇付、茅葺の建物です。
内部は東側が土間、西側はが田の字型に部屋を配し
ています。 上手二室は南側をゲンカン、北をオクと
呼び、床の間と違棚を備えています。 |
長屋門は桁行13.9m、梁間4.1m、寄棟造、茅葺
の建物で主屋と同時期に建てられました。 正面を
せがい造、中央部に両開きの板戸と東脇に潜戸を
設け門の両側に部屋を設けています。 |
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歓喜院 貴惣門
埼玉県熊谷市妻沼1627 |
平山家住宅
埼玉県熊谷市樋春1067 |
廣徳寺 大御堂
埼玉県比企郡川島町表76 |
歓喜院は高野山準別格本山で日本三大聖天の一
つに数えられる名刹で、治承3年(1179)に建立され
ました。
貴惣門は安政2年(1855)に建立された、三間一戸
八脚門、二重、切妻造、本瓦形銅板葺の建物です
。 妻側に破風を3つ重ねるという、全国に四例しか
ない特殊な屋根の形をしています。 総欅造で、多
様な技法による彫物で要所を飾られた門です。
聖天堂−国宝、四脚門−熊谷市指定有形文化財 |
平山家は江戸時代に世襲名主を務めた旧家です。
18世紀初頭に建てられた、桁行17.4m、梁間11
.9m、入母屋造、南面及び西面庇付、東面葺きお
ろし下屋附属、茅葺、総面積221.879uの建物
です。 |
廣徳寺は真言宗豊山派の寺院です。
大御堂は平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂
のことです。 鎌倉時代の初め、北条政子が美尾屋
十郎廣徳の冥福を祈って、本堂、坊舎とともに建立
したものと伝えられています。 現在の建物は室町
時代の初期〜中期に再建されたもので、桁行三間
、梁間三間、一重寄棟造、茅葺の建物です。 |
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喜多院(川越大師)
埼玉県川越市小仙波町1−20−1
天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。
永仁4年(1296)尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院の各房が建てられました。
その後北院だけが残り、慶長17年(1612)徳川家康の信任を得る天海僧正が住職となってから仏蔵院北院
を喜多院と改めました。
寛永15年(1638)の川越大火で山門を除き喜多院のほとんどを焼失。 3代将軍家光が江戸城内・紅葉山か
ら客殿、書院などを移築しました。 それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城
唯一の遺構として残されることになりました。
客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。
番所、慈恵堂、多宝塔−埼玉県指定文化財 |
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喜多院 山門 |
山門は4本の柱の上に屋根が乗る四脚門で、屋根
は切妻造りで本瓦葺。 もとは後奈良天皇の「星野
山」の勅額が掲げられていたといいます。 棟札を見
ると天海僧正が寛永9年(1632)に建立したもので、
寛永15年(1639)の川越大火での焼失を免れ、喜
多院では現存する最古の建造物です。 |
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喜多院 庫裡 |
喜多院 慈眼堂 |
喜多院 鐘楼門 |
庫裏は客殿と書院に渡り廊下でつながれており、客
殿、書院と同様、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移
築したものです。
裄行10間、梁間4間の母屋、裄行東4間、西3間、
梁間3間の食堂、そして玄関、広間が付いています
。 母屋の一端は入母屋造り、他の端が寄棟造りに
なっています。 食堂は一端が寄棟造り、他の端は
母屋につながり、すべて栩葺形銅板葺。 母屋の
一部には中2階があります。 |
天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺にお
いて入寂しました。 3年後の正保2年(1645)、徳川
家光の命により御影堂が建てられ、厨子に入った天
海僧正の木像が安置されたのが慈眼堂です。
一名開山堂ともよび、建物は、裄行3間、梁間3間の
比較的小さな御堂で、屋根は中央から四方の隅へ
流れる宝行造り、本瓦葺となっています。 7世紀初
頭の古墳を利用した小高い丘の上に建っています。 |
「星野山御建立記」によると、寛永10年(1633)に東
照宮の門として建立されたと記録があります。 その
頃、東照宮は今の慈眼堂の場所にあり、鐘楼門再
建の記録もないことから寛永15年(1638)の川越大
火で焼失を免れた可能性もあるといわれています。
2階建ての階上に梵鐘を吊るす鐘楼門は、裄行3間
、梁間2間、入母屋造りで本瓦葺となっています。
1階には袴腰と呼ばれる囲いが付き、2階の前面に
は竜、背面には鷹の彫刻があります。 階上の銅鐘
は元禄15年(1702)の銘があります。 |
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仙波東照宮 埼玉県川越市小仙波町1−21−1
徳川家康を祀る東照宮は、家康の没後2代将軍秀忠がその遺骨を久能山から日光に移葬しました元和3年(1617)3月、喜多院に4日間逗留して供養したので、天
海僧正が寛永10年(1633)1月に社殿が造営しました。 寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したため、3代将軍家光の命により、川越藩主堀田加賀守正盛
が造営奉行となって同年6月再建に着手し、寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。 日光・久能山の東照宮とともに三大東照宮といわれています。 |
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仙波東照宮 拝殿 |
仙波東照宮 石鳥居 |
仙波東照宮 随身門 |
拝殿は単層の入母屋造り、正面の向拝は一間、幣
殿は背面が入母屋造りで、前面は拝殿の屋根に接
続し、どちらも銅瓦葺です。 |
寛永15年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉
納したもので、柱に「東照大権現御宝前、寛永十五
年九月十七日堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘
文が刻まれています。 様式は明神鳥居です。 |
境内入口にある随身門は、朱塗八脚門(三間×二
間の門で、門柱4本の前後に1本ずつの控柱をもつ
屋根つき門)、切妻造でとち葺形銅板葺です。 |
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日枝神社 本殿
埼玉県川越市小仙波1−4−1 |
大沢家住宅
埼玉県川越市元町1−15−2 |
旧台徳院霊廟 勅額門
埼玉県所沢市上山口2213 |
日枝神社本殿は、喜多院山門の前方にあり、喜多
院の草創時代から境内に祀られていました。
本殿は、三間社流れ造り、銅版葺、朱漆塗り。 室
町末期から江戸初期の朱塗りの華やかな様式をよ
く残しています。 赤坂日枝神社は、文明10年(14
78)に太田道灌が江戸の地に城を築くに当たって、
ここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまり
ます。 |
大沢家住宅は、明治26年(1893)の川越大火の際
焼失を免れた川越最古の蔵造りの建物で、現存す
る関東地方最古の蔵造りです。 寛政4年(1792)
に建てられた蔵造りの店舗建築で、間口6間、奥行
4間半、切妻造り平入り、桟瓦葺きの町屋形式の建
物です。 総欅造りの建物ですが、前面の人見の柱
のみ松になっています。 現在の屋号から「小松屋」
とも呼ばれています。 |
芝増上寺の徳川家台徳院(二代将軍秀忠)の御廟
に建立されていたものを、昭和48年に移築したも
のです。
寛永9年(1632)孝養報恩の志をのべたいと、三代
将軍家光が着手し建立したものです。
構造−四脚門、銅板葺、切妻造り |
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旧台徳院霊廟 丁子門
埼玉県所沢市上山口2213 |
旧台徳院霊廟 御成門
埼玉県所沢市上山口2213 |
黄林閣
埼玉県所沢市坂ノ下437 |
芝増上寺の徳川家台徳院(二代将軍秀忠)の御廟
の通用門として、寛永9年(1632)に三代将軍家光
が建立したものを、昭和48年に移築したものです。
建築の細部手法、色彩等に江戸初期に見られる特
有な階調を示し、唐様な基調としています。
構造−平唐門、銅板葺 |
芝増上寺の徳川家台徳院(二代将軍秀忠)の御廟
に建立されていたものを、昭和48年に移築したもの
です。
飛天の彫刻や絵画が多く描かれており、朝鮮渡来
の天人門といわれています。 寛永9年(1632)に
三代将軍家光が着手建立したもので、格天井が設
けられ珍しい特徴を伝えています。
構造−単層門、銅瓦葺、切妻造り。 |
黄林閣は、東京都東久留米市において、天保15年
(1844)大庄屋であった村野家の住宅として建てら
れたものを、昭和5年に松永安左ヱ門が譲り受けて
移築し、別荘として使っていたものです。
木造平屋建、入母屋造茅葺で、建築面積は381u
桁行13間、梁間6間半の建物です。
東側に土間を取り、西側に居室を設けて南に面して
います。 座敷には床、棚、書院が、南側居室部の
中央には式台があり、格式の高い建物です。
当時は数奇屋・長屋門・土蔵・観音堂も配置されて
いました。 |
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小野家住宅
埼玉県所沢市林2−426 |
高倉寺 観音堂
埼玉県入間市高倉3−3−4 |
金鑚神社 多宝塔
埼玉県児玉郡神川町二ノ宮750 |
建築年代は、建物の特徴から18世紀初め頃と推定
されます。
桁行14m、梁間5.5m、茅葺屋根のやや小型の入
母屋造りです。 特徴は、軒が低いこと、開口部が少
なく土壁が多いこと、柱や梁に栗や松などの曲がっ
た雑木を使っていることなどがあげられます。 間取
りは右から土間、座敷、おくと呼ばれる8畳間とへや
と呼ばれる4畳間からなる、3間取り広間型で、典
型的な民家の間取りになっています。 |
高倉寺は曹洞宗のお寺で、永禄年間(1558-1570)
に開山されました。
観音堂は室町時代初期に建立されたと推定され、飯
能市の長念寺から延享元年(1744)に移築されまし
た。 平面形態は方三間で周囲に緑を持ちます。
正面の三間と側面の手前一間を桟唐戸とし、側面の
中央一間に花頭窓を配しています。 屋根は長刀反
をもつ入母屋造で建築当時は茅葺でしたが、現在は
茅葺様銅板葺に改められています。 |
金鑚神社は旧官幣中社で、延喜式にも名を残す古
社です。 武蔵国ニの宮とも称されていました。
多宝塔は、天文3年(1534)の建立です。 三間四
面のこけら葺、宝塔に腰屋根がつけられた二重の
塔で高さ13.5mの総朱塗りの建物です。 |
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旧新井家住宅
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1164
長瀞町郷土資料館 |
吉田家住宅
埼玉県比企郡小川町大字勝呂字西浦424 |
出雲伊波比神社 本殿
埼玉県入間郡毛呂山町岩井2915 |
新井家は江戸時代に名主をつとめた旧家と言われ
ています。 住宅が建設された年は、はっきりとは
わかりませんが、延享2年(1745)祈とう札が残され
ています。 建物の構造は、養蚕農家の姿をよく表
しており、屋根が板葺で、下地となる竹の上に長方
形の薄い栗板を重ね、この上に漬物石くらいの大き
さの石を置いて板を押さえているのが特徴です。
桁行20.9m、梁間10.5m、切妻造、一部二階
、板葺、東面庇茅葺の建物です。 |
吉田家住宅は、享保6年(1721)に建築された県内
最古の民家です。 桁行21.8m、梁間10.5m、
入母屋造りで茅葺屋根の建物です。 間取りは「三
間広間型」と呼ばれる、奥に2間の畳敷きの座敷、
手前に広い板間のある江戸時代の典型的なもので
す。南側の大戸脇に風呂場が、北側には流しが作
られています。 土間の東半分はうまやです。 南
側には腰窓があり南側から西側にかけて縁側が巡
り北西部には外便所があります。 座敷の上には2
階が造られています |
出雲伊波比神社は、奈良時代、平安時代の記録に
も名前が確認できます。 鎌倉時代には源頼朝が
畠山重忠に命じて社殿の増改築を行ないました。
本殿は、大永7年(1527)に社殿が焼失し、翌年当
地を治めていた毛呂顕繁によって再建されました。
流造一間社で屋根は桧皮葺の埼玉県下最古の神
社建築です。 |
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高麗家住宅
埼玉県日高市新堀850 |
福徳寺 阿弥陀堂
埼玉県飯能市虎秀字田中71 |
内田家住宅
埼玉県秩父市蒔田891 |
高麗家は代々、高麗神社の神職を勤めてきた旧家
です。 建築年代は慶長年間(1596〜1614)との伝
承があります。
山を背にして東面して建てられ、間口14.292m
(七間半)、奥行9.529m(五間)、総面積136.1
88u(37.5坪)で、入母屋造り茅葺の建物です。
間取りは5つの部屋と狭い土間から成っています。
5室の内、表側下手の室(21畳)は最も広く、当住
宅は表座敷を中心とした間取りになっています。 |
福徳寺は、建暦2年(1212)、鎌倉時代に開山され
たと伝えられる、臨済宗建長寺派のお寺です。
阿弥陀堂は、桁行三間、梁間三間、単層の屋根は
銅板葺き宝形造りの小宇です。 4面板壁造りで、
前面は精巧な蔀戸となっています。
創建年代は明らかではありませんが、様式手法に
より鎌倉時代中期とされ、藤原期の流れを踏襲し
た和様建築です。 一方内陣の須弥壇と来迎壁廻
りは室町時代に属するものとされています。
武蔵野三十三観音札所第30番 |
内田家は鉢形北条氏の家臣で、鉢形落城後蒔田に
落居し、永代名主をつとめた家柄です。
江戸時代後期(19世紀初)に建てられた、大規模な
養蚕農家です。 木造平屋一部2階建、入母屋造、
茅葺、桁行24.9m、梁間11.1mの建物です。
間取りは土間に面して座敷があり、その奥は田の字
型に間仕切られ、土間の横には馬屋が設けられて
います。 |
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五社神社 本殿
埼玉県南埼玉郡宮代町東90 |
花蔵院 四脚門
埼玉県春日部市西金野井324 |
甚左衛門堰
埼玉県草加市神明2−145−1 |
五社神社は以前、熊野三社(熊野坐神社・熊野速玉
神社・熊野那智神社)、白山、山王の五社を等間隔
に祀ったことからその名が起ったと言われています。
本殿は桃山時代の文禄、慶長年間(1592-1614)の
建立といわれています。 五間社流造りで正面に向
拝をつけた建物で、屋根はカヤ葺から銅板葺に変え
られました。 |
花蔵院は真言宗豊山派のお寺です。 江戸時代ま
では西金野井の香取神社の別当として祭祀を執り
行っていました。
四脚門は江戸時代中期に建立された建物です。
当初は茅葺屋根でしたが、現在は桟瓦葺に改変さ
れています。 |
甚左衛門堰は、伝右川と綾瀬川を結ぶ堰として、洪
水時、綾瀬川から伝右川へ逆流防止のため造られ
ました。 建造当初は木造でしたが、明治27年(189
4)にレンガ造りに改築され、昭和58年(1983)までの
90年間使用された二連アーチ型の煉瓦造水門で
す。 煉瓦は横黒煉瓦を使用しています。 |
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成就院 三重塔
埼玉県行田市長野7618 |
桶川宿本陣遺構
埼玉県桶川市寿2−2−4 |
大牧氷川女体神社 本殿
埼玉県さいたま市緑区東浦和6 |
成就院は真言宗智山派の寺院です。
三重塔は享保14年(1729)に建立された総高11.
18m、間口奥行2.24m、相輪高2.92m、一間四
面、初重柱間一間、銅瓦棒葺の建物です。 |
本陣とは、江戸時代参勤交代の際、大名が使用す
るため宿場に設置された宿泊所です。 桶川宿本
陣は加賀前田家や水戸藩主徳川斉昭が利用しま
した。
中山道桶川宿には本陣として本陣1、脇本陣2が設
置されていました。 建坪207坪の内、上段の間、
次の間、湯殿が現在保存されています。 |
大牧氷川女体神社は、宮本の氷川女體神社祭神
の御子姫を祭ったという伝えがあります。
本殿は、寛永13年(1636)の建立で、一間社流見
世棚造目板葺、桁行1.18m、梁間0.95m、向
拝の出0.67mの建物です。
この地域に顕著な分布を見せる見世棚造神社建
築の典型的な例で、建築年代も明らかな貴重な建
物です。 |
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氷川女體神社 社殿
埼玉県さいたま市緑区宮本2−17−1 |
本太氷川神社 旧本殿
埼玉県さいたま市浦和区本太4−3−33 |
西福寺 三重塔
埼玉県川口市西立野420 |
社伝によると、崇神天皇の時代に創建された神社
で、武蔵国一宮です。 大宮氷川神社を男体とし、
当社を女体宮としています。
社殿は、本殿、拝殿、幣殿を直結した複合社殿で、
権現造りの形式をもっています。 本殿は寛文7年
(1667)に再興されたもので、三間社流造、こけら葺
(現亜鉛鉄板覆い)、桁行3.465m、梁3.260m
向拝の出1.364mの建物です。 拝殿は江戸時
代中頃のもので、入母屋造、桁行9.450m、梁間
4.560mの建物です。
氷川女體神社社叢−市指定天然記念物 |
旧本殿は、慶安3年(1650)に建立されたもので、本
殿建て替えにより現在地に移されたものです。 一
間社流れ見世棚造りで、桁行1.23m、梁間1.0
02m、総高2.391mの本殿です。 この旧本殿は
、装飾的な部分が少なく、古い時代に建立された
本殿を参考にして、その形態を守って建立されたも
のと考えられます。 |
西福寺は、真言宗豊山派のお寺で、弘仁年間(810
〜824)に創建された古刹です。
三重塔は、三代将軍家光の長女千代姫は奉建した
もので、元禄6年(1693)に建立されました。 高さは
23mあり、県下で一番高い木造建造物です。 方三
間の建物で、鉄製の釘を1本も使わず、細工によっ
て作られています。
武蔵国三十三ケ所霊場第26番 |
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鶴ケ丸八幡神社 本殿
埼玉県川口市芝6843 |
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本殿は、寛永5年(1628)に建立されたものです。
三間社流造で、屋根は柿葺です。 蟇股や桁、頭貫
などに施された亀甲などの彩色文様や細部意匠に
時代の特徴をよく表しています。 |
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平林寺
埼玉県新座市野火止3−1−1
平林寺は、臨済宗妙心寺派の寺院です。
南北朝時代の永和元年(1375)石室善玖禅師を開山として岩築城の北西、金重村の地に建立されました。
天正18年(1590)の浅野長政による岩築城攻めの際に伽藍を焼失しましたが、同20年に駿河の臨済宗か
ら鉄山宗鈍を招いて再興されました。 その後当寺を菩提寺とする松平伊豆守信綱の遺命により、子の輝
綱が寛文3年(1663)野火止の地に伽藍をすべて移しました。
惣門、三門、仏殿、中門は、本堂まで一直線に配置された禅宗様式をとっています。
平林寺境内林−国指定天然記念物 |
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平林寺 惣門 |
間口二間一尺。 茅葺。 一丈四寸の両扉を付け
た切妻造りで、桁行4.1m、梁間3.4mの禅宗様
の円柱四柱門です。 京都詩仙堂の石川丈山によ
って揮毫された「金鳳山」の額を掲げています。 |
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平林寺 三門 |
平林寺 仏殿 |
平林寺 中門 |
間口三間。 奥行二間。 茅葺。 楼門上の中央に
両扉を付けた重層入母屋造りで、桁行5.7m、梁
間3.6mです。 楼門は肘木で外縁を支えて高欄
を廻らし石川丈山の「凌しょう閣」の額を掲げていま
す。 正面桟戸の両側には華燈窓を施してます。 |
間口六間。 奥行五間半。 茅葺。 唐様の単層入
屋造りで、桁行11.6m、梁間10.7mです。
中央が両扉の桟戸で、華燈窓は正面左右に四窓、
東西両面には二窓づつを配しています。 |
間口八尺。 奥行一間四尺。 茅葺。 中央に両扉
を付けた切妻造りです。 桁行き3m、梁間2.5m
の禅宗様の円柱四脚門です。 |
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龍泉寺 観音堂
埼玉県熊谷市三ケ尻3712 |
上之村神社 本殿
埼玉県熊谷市上之16 |
雷電神社 本殿
埼玉県熊谷市上之16上之村神社 |
龍泉寺は「熊谷観音」とも呼ばれる真言宗豊山派の
お寺です。
観音堂は延享4年(1747)に建立された桁行5.29
m、梁間5.31mの方形造、茅葺屋根からが銅板
葺に葺き替えられた建物です。 |
上之村神社はもとは久伊豆神社といい応永年間(
1394〜1428)に再建された神社です。
本殿は江戸時代初期に建造された一間社流造、
銅版葺(元は茅葺)の建物です。
鳥居−熊谷市指定有形文化財 |
雷電神社は上之村神社の摂社で、上之村神社本
殿の左側に横を向いて建っています。 建築年代
は上之村神社本殿よりやや古く、構造はやや小さ
いながらほとんど同じです。
鳥居−熊谷市指定有形文化財 |
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諏訪神社 本殿
埼玉県熊谷市上新田1032 |
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本殿は延享3年(1746)に建立された一間社流造
、正面千鳥破風付、向拝軒唐破風、桧皮葺の建物
です。 壁面のみならずほとんどの部分に彫刻が
付けられ、さらに柱・長押・頭貫から丸桁にいたるま
で地紋彫が施されています。 |
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安楽寺(吉見観音) 坂東三十三観音札所第11番 埼玉県比企郡吉見町御所374
安楽寺は、今から約1200年前の天平年間(729-749)に行基菩薩が観世音菩薩の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとされている真言宗智山派の寺院です。
平安時代末期には、源頼朝の弟範頼が幼少期に身を隠していたと伝えられています。 天文6年(1537)後北条氏が松山城を攻めた際、その戦乱によって全ての
伽藍が消失し、江戸時代に本堂、三重塔、仁王門が現在の位置に再建されたと伝えられています。 |
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安楽寺 仁王門 |
安楽寺 本堂 |
安楽寺 三重塔 |
仁王門は元禄15年(1702)に再建された建物です。
間口四間一尺、奥行二間四尺、二間繁垂木切妻造
、瓦葺(現在は銅板葺)の八脚門です。
正面両端間には金剛棚を廻めぐらし、内部に密迹
金剛力士二体を安置しています。 |
本堂は、寛文元年(1661)に再建された建物です。
禅宗様に和様を交えた典型的な五間堂の平面を持
つ密教本堂で、内部各部材に施された華麗な色彩
文様と共に江戸時代前期の様式を保持しています
。 屋根は柿葺でしたが大正12年の改修の際に銅
瓦棒葺に改められました。 |
三重塔は寛永年間(1624-1643)に再建された建物
です。 総高約24.3m方三間の三重塔で基壇は設
けられず、心柱は初重天井上の梁で支えられていま
す。 屋根は柿葺でしたが現在は銅板葺に改められ
ています。 埼玉県最古の三重塔です。 |
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箭弓稲荷神社 社殿
埼玉県東松山市箭弓町2−5−14 |
古尾谷八幡神社 社殿
埼玉県川越市古谷本郷1408 |
古尾谷八幡神社 旧本殿
埼玉県川越市古谷本郷1408 |
創建は和銅5年(712)と伝えられ、平忠常討伐に向
かう源頼信が、白狐に乗った神から箭と弓を授かる
夢を見て戦に勝ち、これに感謝して社殿を寄進した
と伝えられています。
三間社流造の本殿と入母屋造の拝殿を幣殿で繋い
だ複合社殿です。 本殿が文化元年(1804)に再建
、幣殿が文化8年(1811)、拝殿は天保6年(1835)
の上棟といわれています。
本殿及び幣殿には精巧な彫刻が施されています。 |
貞観4年(863)に延暦寺第三代座主円仁(慈覚大師)が、古尾谷が石清水の社領であったために男山石清
水八幡から分霊を勧請し創建した神社です。 文治5年(1190)には、源頼朝が奥羽征討の際、戦勝祈願に
訪れています。 |
天享保7年(1722)に建立されたものです。 入母屋
造、銅瓦棒葺の本殿と拝殿を銅板平葺の幣殿で繋
ぐ複合社殿です。 簡素化された権現造の建物です
。 |
天正5年(1577)、小田原城主北条氏政の命により
建立された建物です。 二間社流造、銅板葺で、室
町の様式を遺す珍しい見世棚造りの建物です。 |
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喜多院(川越大師) 埼玉県川越市小仙波町1−20−1
庫裡、慈眼堂、鐘楼門、山門−国指定重要文化財 |
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喜多院 番所 |
喜多院 慈恵堂 |
喜多院 多宝塔 |
山門右側に接続して建っているのが番所で間口十
尺奥行2間半、起屋根、瓦葺の小規模な建物で、
徳川江戸中期から江戸末期の建立です。
天保12年(1841)の喜多院境内図では山門より後
方内部に描かれているので、その後現在の場所に
移されたものと考えられます。 |
慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師
良源をまつる堂宇です。 大師堂として親しまれ、
潮音殿とも呼びます。
裄行9間、梁間6間、入母屋造りで銅版葺現在、喜
多院の本堂として機能しています。 川越大火の翌
年、寛永16年(1639)10月、大火以後いち早く再
建され近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重な
ものです。 |
多宝塔は、寛永16年(1639)、山門と日枝神社の間
にあった古墳の上に建立されました。 その後、老朽
化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏
玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。
移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年
(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元しまし
た。 総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は
方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっ
ています。 |
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三芳野神社 埼玉県川越市郭町2−25−11
平安時代のはじめ、大同年間(806-810)の創建と伝えられる三芳野十八郷の惣社です。 太田道灌が川越城築城の際当社を鎮守としました。
童歌「とおりゃんせ」の唄発祥の神社です。 この神社は、川越城築城によって天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれるようになりました。 城
内にあるため時間を区切って参詣しかできませんでした。 この天神さまにお参りするには川越城南大手門から入り、田郭門、天神門を通ってお参りしなければな
りませんでした。 しかし、一般の参詣客に紛れて密偵が入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられました。 そのことから「行き
はよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになりました。 |
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三芳野神社 社殿 |
三芳野神社 大黒社 |
三芳野神社 末社蛭子社 |
社殿は寛永元年(1624)の建立です。 本殿、幣
殿、拝殿からなる権現造りで、屋根はこけら葺形銅
板葺、外部は朱漆塗の建物です。 本殿は正面三
間、側面二間の入母屋造、幣殿は正面一間、側面
二間の両下造、、拝殿は正面三間、側面二間の入
母屋造の建物です。 |
蛭子社本殿と大黒社本殿は、拝殿の前方、参道に面し向かい合って鎮座しています。 拝殿に向かって左
が大黒社、右が蛭子社で、同寸法、同形式の建物です。 朱塗りの一間社流造、見世棚造で、屋根はこけ
ら葺形の銅板葺。 ほとんど装飾のない簡素な建物で、享保19年(1734)の再建です。 |
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川越城 本丸御殿
埼玉県川越市郭町2−13−1 |
川越城 家老詰所
埼玉県川越市郭町2−13−1 |
氷川神社 本殿
埼玉県川越市宮下町2−11−5 |
川越城は、埼玉県川越市にある平山城で、初雁城、霧隠城とも呼ばれ、「関東七名城」、「日本100名城」に
選ばれています。 長禄元年(1457)、上杉持朝が太田道真・太田道灌父子に築城させました。 承応2年(
1653)の大拡張工事によって本丸、二の丸、三の丸や八幡郭、外郭、田郭、新郭などの曲輪、本丸の富士
見櫓、虎櫓、二の丸の二重の菱櫓という4つの櫓、西大手、南天手、一、二、三、天神、蓮池、中、清水、田
郭、帯郭、新郭、埋の13の門からなり、土塁・水堀を張り巡らした総面積が98,000坪の規模をもつ城とな
りました。 |
氷川神社は、欽明天皇2年(533) 、大宮市の武蔵一
宮から勧請されたと伝えられ、江戸時代には川越城
下の総鎮守となりました。
本殿は、嘉永2年(1849)に建立されました。 間口
4m、奥行2.5mの三間社で、入母屋造、全面に一
間の向拝を付けています。 |
本丸御殿は、二の丸にあった御殿が弘化3年(184
6)に焼失したため、嘉永元年(1848)に再建された
建物です。 入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除
けのついた間口19間、奥行5間の大玄関、車寄せ
をもっています。 大広間は36畳あり、本丸御殿大
広間は川越城のほかには高知城にしか現存してい
ません。 建坪は165坪ありますが、明治の廃城
令による解体前は16棟、1025坪の規模をもって
いました。 |
家老詰所は、明治5年(1872)に民間に払い下げら
れていたものを移築復元したものです。 この建物
は現在地より90m西側に建てられていました。
建坪は54坪、木造平屋、寄棟造、桟瓦葺屋根の
建物です。 室内は、正面に床の間、床脇を備えた
10畳を奥とし8畳、8畳の3室を中心に構成されて
います。 川越城主松平大和守斉典の時代の建物
です。 |
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八坂神社 社殿
埼玉県川越市宮下町2−11−5氷川神社 |
狭山不動尊 多宝塔
埼玉県所沢市上山口2213 |
諸井家住宅
埼玉県本庄市中央1−8−1 |
八坂神社社殿は、寛永14年(1637)に江戸城二の
丸の東照宮として建立されました。 後に空宮となっ
たので、明暦2年(1656)川越城内三芳野神社外宮
として、さらに明治5年(1872)氷川神社境内に移築
されました。
社殿平面は凸型で、屋根は銅板本葺入母屋造、建
6坪8号(22.4u)の建物です。 拝殿は桁行三間、
梁間二間、本殿は桁行二間、梁間三間あります。 |
この多宝塔は慶長12年(1607)に建立された桃山
時代のものです。 昭和36年に大阪府高槻市梶原
の畠山神社から移築されました。
多宝塔とは、円塔形の塔身に方形の屋根をのせ、
塔身のまわりにひさしを設けたものです。 方形の
建物に円形の二階を重ねた形になっています。
一般の塔が釈迦の墓を意味したのに対し、多宝塔
は大日如来を祀っています。
旧台徳院霊廟 勅額門・子丁門・御成門
−国指定重要文化財 |
明治13年(1880)頃に、諸井泉衛が横浜の洋館を
手本に建築したものです。 当初は本庄郵便局とし
て居宅と兼ねていました。 木造二階建て漆屋造り
で、屋根は切妻桟瓦葺き。 正面の洋風モチーフの
ベランダや色ガラスのアーチ窓など随所に洋風様式
を取りいれています。 後の秩父セメントの創始者
諸井恒平が育った家でもあります。 |
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八幡神社 銅製鳥居
埼玉県本庄市児玉町児玉198 |
八幡神社 社殿
埼玉県本庄市児玉町児玉198 |
旧本所警察署
埼玉県本庄市中央1-2-3歴史民族資料館 |
長平安時代末期、源義家が奥州征伐に赴く際当地で戦勝を祈願した。 康平6年(1063)帰陣の際当地に立
ち寄り社殿を建立して八幡宮を迎えたのが始まりといわれています。
随身門、能楽殿−本庄市指定有形文化財 |
明治16年(1883)に建てられた、コリント様式を採
用した本庄初の本格的洋風建築です。 木造二階
建て瓦葺、漆喰塗大壁造りで、吹き抜けのベラン
ダや、石造りを模した木造の列柱、手摺金物、出
入口の半円形窓、左右対称の上下げ窓、壁面の
隅飾りなどに明治初期の洋風建築の特徴が見ら
れます。 田村本陣門−本庄市指定有形文化財 |
鳥居は明神形青銅造で高さ558cm、幅645cmの
鳥居です。 |
社殿は享保7年(1722)に再建されたものです。
拝殿は入母屋造りで、屋根は銅葺千鳥破風造りの
建物です。 拝殿の格天井には狩野直信作の「飛龍
の図」が描かれています。 |
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八宮神社 社殿
埼玉県比企郡小川町小川991 |
龍穏寺 経蔵
埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452 |
常楽院 不動堂
埼玉県飯能市高山346 |
八宮神社は、旧小川村の総鎮守で、元和3年(161
7)再建の棟札があることから、それ以前の創建と
思われます。本殿は、天保4年(1833)に再建され
た、切妻銅葺屋根の建物です。 本殿三面と破風
には、龍、唐獅子などを配した中国風俗の彫刻が
施されています。 |
龍穏寺は、大中寺・総寧寺とともに曹洞宗の関東三
大寺の一つに数えられます。 永享の頃(1429〜14
41)に将軍足利義教が上杉持朝に命じて創立したも
のです。 その後兵火にかかり、文明4年(1472)に
大田道真、道灌父子によって再建されました。 しか
し、大正2年の火災によって山門、経蔵、熊野社を残
して全焼してしまいました。 経蔵は、天保年間(183
0〜1840)に建立されたものです。 唐破風向拝付土
蔵造り、屋根は方形で銅板葺き。 外壁に道元禅師
一代記の彫刻が描かれています。
山門、熊野神社社殿−越生町指定有形文化財
モミ及び着生植物−埼玉県指定天然記念物 |
常楽院は、白雉5年(654)、藤原鎌足の子の長覚
坊らが創建したと伝えられる真言宗智山派の寺院
です。 別名「高山不動」と呼ばれ、成田山新勝寺
、高幡不動と並び、「関東三大不動」といわれてい
ます。 不動堂は、桁行、梁間とも五間で、三間に
二間の内陣の前に、三間に一間の礼堂がつき、そ
の周囲に一間通りの庇を廻した形式です。 内陣と
外陣の境は格子戸で仕切る密教仏堂の特色をそ
なえています。 江戸時代後期の建物で、文政13
年(1830)高山一山が焼失した後、幕末にかけて
再建したものです。
大イチョウ−埼玉県指定天然記念物 |
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長光寺 惣門
埼玉県飯能市下直竹1056 |
長光寺 本堂
埼玉県飯能市下直竹1056 |
名栗川橋
埼玉県飯能市下名栗字丹木278−1 |
長光寺は曹洞宗のお寺です。 正平21年(1366)に創建され、弘治年間(1555〜58)に諸堂が整えられま
した。 江戸時代になると徳川家から寺領15石を拝領し、総門、三門、中雀門、本堂が一直線に並ぶ典型
的な曹洞宗の伽藍配置が再建されました。
三門−飯能市指定有形文化財 |
橋長31.4m、幅3.90mの鉄筋コンクリ―ト造り、
1径間上路ア―チ橋です。 明治43年(1910)8月
の大雨は、関東一帯に大洪水をもたらし、名栗川(
現入間川)に架かる木橋の大喜橋も流失してしまい
ました。 地元では洪水で流出しない永久橋を強く
望み、県の補助と村負担の費用の不足分を寄付金
と工事に参加する労力の無償提供によって大正13
年(1924)に斬新なアーチ型構造のコンクリート橋が
完成し、名栗川橋と命名されました。 |
惣門は寛永年間(1624〜1644)の建立です。
本柱、控柱ともに円柱の四脚門です。 桁行2.56
m、梁間2.21mの門で、室町時代から桃山時代に
かけての特徴が見られます。 |
本堂は桁行十一間、梁間七間半、茅葺寄棟の建物
です。 内部は土間、広縁をとり八室からなる平面構
成です。
江戸時代初期の建物で、現存する曹洞宗の本堂と
しては最も古い時期のものです。 |
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秩父神社 社殿
埼玉県秩父市番場町1−3 |
秩父札所一番観音堂
埼玉県秩父市栃谷418 四萬部寺 |
旧秩父橋
埼玉県秩父市阿保町3795−1 |
元々は武甲山を遥拝する聖地であったと考えられて
います。 「先代旧事本紀」の「国造本紀」によると、
秩父神社の創祀は崇神天皇10年(紀元前87年)に
はじまるとされています。
現在の社殿は天正20年(1592)3月、徳川家康が
社領57石を寄進して建造させたものです。
権現造りの社殿で、拝殿や本殿には、多くの彫刻
が施されています。 特に、本殿東側にある、左甚
五郎作の「つなぎの龍」の彫刻が有名です。 また
後方には「北辰の梟」、西側には「お元気三猿」、拝
殿西側には「瓢箪から駒」、拝殿左側には左甚五
郎作の「子育ての虎」などたくさんの彫刻で飾られ
ています。
柞の森−秩父市天然記念物 |
四萬部寺は、妙音寺とも称する曹洞宗のお寺です。
寛弘4年(1007)性空上人が妙典四万部を読誦し、
供養を行って経塚を築き、秩父第一番の霊場とした
との縁起があります。
観音堂は、元禄10年(1697)の建造で、三間四面、
表一間に軒唐破風の向拝を配した、入母屋造り、銅
瓦葺、禅様式の建物です。
秩父三十四観音札所第1番 |
旧秩父橋(二代目)は、昭和6年(1931)5月に竣工し
た鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋です。
橋長は134.6m。 川床から橋面までの高さは21
mあります。
初代秩父橋は、明治18年(1885)に竣工した橋長1
42.12mの洋式橋(木鉄混合トラス)でした。 この
橋脚は小鹿野町産の岩殿沢石を使った切石積構造
で、底部は縦7.3m、横6.4m高さ9mものが建設
当初のまま残されています。
旧秩父橋の手前にある橋脚が初代のものです。 |
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三峯神社 本殿
埼玉県秩父市三峰298 |
法養寺 薬師堂
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2301−1 |
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三峯神社の由来は、景行天皇が、皇子日本武尊を
東国に遣わされた折、碓氷峠に向かう途中当山に
登りました。 その際、伊弉諾尊(いざなぎのみこと
)、伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国を生んだ
ことを偲び、お宮を造営し二神を祀ったことが創まり
といわれています。
本殿は、寛文元年(1661)に造営された一間社春
日造り、銅板葺きの建物です。 全体に漆が塗ら
れ、斗組、虹梁、柱頭などには極彩色が施されて
います。
三峯神領民家−秩父市指定有形文化財 |
薬師堂は、室町末期に建立され、鉢形城主北条氏
邦が古堂を移築したものと伝えられています。 桁
行き、桁間ともに三間で、一間の向拝がついていま
す。 寄棟造りで、屋根は昭和53年に銅板葺きか
えられました。 目薬師として眼病にご利益がある
とされており、守護尊である薬師如来は秩父十三
仏の一つです。
仁王門−小鹿野町指定有形文化財 |
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龍蔵寺 本堂
埼玉県加須市大門町18−51 |
總願寺 不動堂
埼玉県加須市不動岡2−9−18 |
總願寺 黒門
埼玉県加須市不動岡2−9−18 |
龍蔵寺は文和4年(1355)に開山した浄土宗の寺院
です。 本堂は天保6年(1835)に建立された、桁行
七間、梁間6間、入母屋造瓦葺の建物です。
大イチョウ−市指定天然記念物 |
總願寺は元和2年(1616)に開山された真言宗智山派の寺院です。 不動ヶ岡不動尊と呼ばれ、関東三十
六不動尊霊場の第三十番で、関東三大不動の一つにも数えられています。 |
不動堂は天保15年(1844)に建てられた桁行五間、
梁間五間、銅板葺の木造建築物です。 |
黒門は明治6年(1868)に取り壊された忍城の北谷
門で、現存する忍城の唯一の門です。 天保13年(
1842)に建造された幅3.2m、高さ5.5mの総欅造
で門扉は1枚板となっています。 |
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玉敷神社 神楽殿
埼玉県加須市騎西552 |
小淵山観音院 仁王門
埼玉県春日部市小淵1638 |
聖福寺 勅使門
埼玉県幸手市北1−9−27 |
玉敷神社は大宝3年(703)に創建された神社です。
式内社で、旧社格は県社です。 神楽殿は天保7年
(1836)に建立された建物です。 腰高の三方吹き
抜け式で、正面は入母屋造 、側面は寄棟造、茅葺
屋根建物です。
フジ−県天然記念物、イチョウ2本−市天然記念物
クスノキ−その他の古木 |
小渕山観音院は正嘉2年(1258)の開基と伝えられ
る天台宗のお寺です。
仁王門は2階部分に回廊が巡る三間一戸の楼門で
、元禄年間(1688〜1704)の建立といわれています。 |
聖福寺は応永年間(1394-1428)に開山した浄土
宗のお寺です。 御殿所として使用したのを初めと
し、天皇の例弊使や歴代の将軍が18回にわたり
休憩した由緒あるお寺です。
山門は唐破風四脚門で、将軍と例幣使以外は通
行できなかったとされています。 |
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旧加藤家住宅
埼玉県南埼玉郡宮代町西原289
宮代町郷土資料館 |
旧斎藤家住宅
埼玉県南埼玉郡宮代町西原289
宮代町郷土資料館 |
旧進修館
埼玉県南埼玉郡宮代町西原289
宮代町郷土資料館 |
加藤家は江戸時代初期から明治初頭まで代々蓮
谷村の名主を勤めていた家柄です。 文化10年(
1813)前後に建造された間口12間(22m)、奥行6
間(12m)、面積240u(約72坪)の建物で、広い
土間と四間取りを基本とした田の字型の座敷、主客
の間、ツノと呼ばれる付属屋が設けられています。 |
斎藤家は江戸時代中期から後期にかけて百間西原
組の名主や組頭を代々勤めてきた家柄です。 明治
時代に建造された187u(約57坪)の瓦葺平屋の
建物です。 内部は「田の字」型(四間取り)となって
おり、さらに6畳の奥座敷があります。 |
明治5年(1872)の学制発布に伴い、町内にも4つ
の学校が開設され、その1つに百間小学校の前身
である進修学校がありました。 明治6年に西光院
を校舎として開校し、同7年進修学校と称されまし
た。 明治8年には宝生院、同43年には現在の場
所に移転しました。 旧進修館は明治44年(1911)
に建築された建物です。 |
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定勝寺 仁王門
埼玉県吉川市三輪野江1553 |
迎攝院 観音堂
埼玉県三郷市番匠免1−127−1 |
清勝院 山門
埼玉県八潮市八條1763 |
定勝寺は、真言宗豊山派のお寺です。
仁王門は寛文年間(1661-1672)に建立された切妻
型三棟造の八脚門です。 屋根は昭和53年の改築
の際、銅版葺に改修されました。
武蔵国三十三ヶ所霊場第6番 |
迎攝院は、慶長年間(1596-1615)に開山された真
言宗豊山派のお寺です。
観音堂は元和8年(1622)に再建された三郷市最古
の建造物で、高さ10m、間口6.5m、奥行7.5m
の建物です。
武蔵国三十三ヶ所霊場第13番 |
清勝院は長亨3年(1489)に開山された真言宗豊山
派のお寺です。
山門は瓦葺の四脚門です。 当初は朱を施されてお
り、公用のみに用いられていたため「あかもん」「あ
かずのもん」と呼ばれていました。 |
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太田家住宅 主屋
埼玉県八潮市八條3732 |
太田家住宅 蔵
埼玉県八潮市八條3732 |
旧藤波家住宅
埼玉県八潮市南後谷763−50
八潮市立資料館 |
太田家(太田屋)は、日光街道中の脇往還である、下妻道と成田道と八條の私の交差部に位置し、18世紀
末から河岸問屋を営んでいました。 |
藤波家は江戸時代を通して後谷村の名主を勤めて
きた家です。 かつての屋敷地は9反歩(8910u)
で、周囲には構え掘をめぐらしていました。 間口1
3間、奥行5.5問、瓦葺入母屋造の大現模な民家
です。 問取りは床上9室と土間、およぴ土間妻側
に設けられた男部屋からなっています。 |
主屋は、瓦葺寄棟造二階建ての町屋建築で、安政2
年(1855)の大震災の際に建て替え中だったと伝わ
っています。 建物の南半分を占めるミセは土間、板
敷、畳敷の三間からなり、二階は八畳、十畳、十二
畳の三室を配し、旅篭の形式をとどめています。 |
蔵は二室に分かれ、右側は板敷きの部屋で二階へ
の急勾配の階段が設けられています。 左側の部屋
は二階まで吹き抜けの板張りにナマコ板で補強され
ています。 |
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大聖寺 山門
埼玉県越谷市相模町6−442 |
東漸院 山門
埼玉県草加市柿木町1286 |
草加神社 本殿
埼玉県草加市氷川町2118−4 |
大聖寺は天宝勝宝2年(750)に開山された真言宗
豊山派のお寺で大相模不動尊と呼ばれています。
山門は文化元年(1804)建立で、明治28年(1895)
の火災を免れた唯一の建物です。 かつては瓦葺
でしたが、嘉永元年(1848)には銅板葺に葺き替え
られました。 山門に掲げられている「真大山」の額
は老中松平定信の筆によるものです。
タブノキ−市指定天然記念物 |
東漸院は室町時代(1500年前後)に開山された真言
宗豊山派のお寺で、草加市最古のお寺です。
山門は明和以降(1764〜)に建立された一間一戸の
四脚門です。 表柱間3.16m、妻は3.56mの禅
宗様のにぎやかな装飾を施した門です。 |
草加神社は元来氷川社と呼ばれ、天正年間(1573
〜1592)が始まりです。 本殿は天保年間(1830〜
1843)に造営された、間口2.27m、奥行1.91m、
向拝の出1.73mの一間社流造、銅版葺の建物で
す。 |
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東福寺 山門
埼玉県草加市神明1−3−43 |
東福寺 鐘楼
埼玉県草加市神明1−3−43 |
日枝神社 本殿
埼玉県草加市吉町3−9−24 |
東福寺は、慶長11年(1606)に創建された真言宗智
山派のお寺です。 山門は元治2年(1865)に建立さ
れた柱間3m、妻2.5mの桟瓦葺四脚門です。 |
東福寺は、慶長11年(1606)に創建された真言宗智
山派のお寺です。 鐘楼は文久2年(1862)に建立さ
れました。 石積みの基壇上に建つ柱間2.72mの
方形の建物です。 |
日枝神社の創始は明らかではありません。
本殿は江戸時代末期に造営された、間口1.51m、
奥行1.3m、向拝の出1.15mの一間社流造の建
物で、屋根は柿葺から銅版葺に改修されました。 |
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富士浅間神社 本殿
埼玉県草加市瀬崎町500 |
忠恩寺 山門
埼玉県南埼玉郡白岡町高岩2148 |
篠津久伊豆神社 本社殿
埼玉県南埼玉郡白岡町篠津1798 |
富士浅間神社は創建年次は明らかではありません
が、明暦年間(1655〜1657)に現在地に移転されま
した。 本殿は天保13年(1842)に再建された、間口
2.32m、奥行3.6mの一間社流造の建物です。 |
忠恩寺は天喜2年(1054)に開山した浄土宗のお寺
です。 火災によって山門以外の伽藍は焼失してし
まいました。 山門は入母屋造、瓦葺の八脚門です
。 |
篠津久伊豆神社は、康治元年(1142)の創建と伝
えられます。 本殿・拝殿は安政6年(1859)に建立
された建物で、拝殿の3面に彫刻が施されています
。 |
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黒浜久伊豆神社 本殿
埼玉県蓮田市黒浜1346 |
高虫氷川神社 本殿
埼玉県蓮田市高虫1702 |
前玉神社 石鳥居
埼玉県行田市5450 |
黒浜久伊豆神社は、享禄年間(1528-1531)に創建
された神社です。 本殿は、江戸時代後期に建立さ
れた、幅2m、奥行1.8mの一間社流造、銅版葺の
建物です。 |
高虫氷川神社は享保4年(1719)に創建された神社
です。 本殿は、元文3年(1738)に建立された、幅
2.75m、奥行2.75mの一間社流造の建物です。 |
前玉神社は「延喜式神名帳」に前玉神社二座小と
出てくる古社です。 鳥居は延宝4年(1676)に忍
城主阿部正能家臣と忍領内氏子により建立されま
した。 総高4.5m、最大幅5.8m、白河石で造
られた明神形式の石鳥居です。
槙−市指定天然記念物 |
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長久寺 山門
埼玉県行田市桜町2−20−44 |
氷川神社 本殿
埼玉県鴻巣市糠田1342 |
円通寺 観音堂
埼玉県鴻巣市屈巣2110 |
長久寺は、文明年間(1469-1478)に忍城主成田顕
泰が忍城鬼門鎮護のため建立した寺院です。 山門
は江戸初期に建立された、本注桁行3.38m、側柱
梁間2.59m、本瓦葺、切妻造の四脚門です。 天
正18年(1590)に石田三成の忍城攻めの時に兵火
を受けており、復興の際に建造されたと思われます
。 公孫樹−市指定天然記念物 |
氷川神社は、寛永年間(1624〜1644)に村の鎮守
として造営されました。 本殿は享保3年(1718)に
建立された二間社流造千鳥破風、軒唐破風付き柿
葺きの建物で、尾垂木に龍と鳳凰の彫刻が施され
ています。 |
円通寺(旧観音寺)は臨済宗円覚寺派の寺院です。
観音堂は円通寺から少し離れた県道脇に建ってい
ます。 慶長年間(1596〜1614)に建立された総欅
造りの仏堂です。 |
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宮内氷川神社 旧社殿
埼玉県北本市宮内4−136 |
諏訪神社 本殿
埼玉県桶川市川田谷6710−1 |
少林寺 山門
埼玉県上尾市西門前399 |
江戸時代初期に建立された、桁行1.365m、梁間
1.235m、向拝の出0.932mの一間社、流れ見
世棚造り、厚板葺の建物です。 |
19世紀中頃の建築と思われます。 壁面は、唐獅
子、牡丹、牛若丸などさまざまな彫刻で埋められて
います。 かつては彩色が施されていましたが 現
在ではほとんど残っていない状態です |
少林寺は正応元年(1288)に創建された臨済宗の古
刹です。 文化3年(1806)の火災で山門と地蔵堂本
尊を残し焼失してしまいました。
山門は宝暦3年(1753)に建立された四脚門で、切
妻造り、棟高は4.7mあります。 |
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愛宕神社 本殿
埼玉県上尾市壱丁目344 |
神山家 煉瓦蔵・煉瓦塀
埼玉県上尾市平方 |
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愛宕神社は壱丁目の村社です。
本殿は、江戸時代中期に建てられた、一間社流見
世棚造の建物です。 |
平方棟煉瓦製造所で製造された煉瓦を使って、大正
10年(1921)に建設されました。
蔵は、イギリス積みと呼ばれる煉瓦組積造り二階建
てで、桁行5.71m、梁間3.88m、桟瓦葺の建物
です。 道路沿いには同時期に建てられた塀があり
ます。 |
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岩槻城 城門
埼玉県さいたま市岩槻区太田3−4
岩槻城城址公園 |
岩槻城 裏門
埼玉県さいたま市岩槻区太田3−4
岩槻城城址公園 |
龍門寺 山門
埼玉県さいたま市岩槻区日の出町9−67 |
「黒門」の名で親しまれる岩槻城の城門です。 城内
での本来の位置は不明ですが、三の丸藩主居宅の
長屋門の可能性が高いと思われます。
門扉の両側に小部屋を付属させた長屋門形式の門
で、桁行13m、梁間3.7mあります。 屋根は寄棟
造瓦葺です。 |
城内での所在位置は不明で、「裏門」とのみ伝えら
れている薬医門形式の岩槻城城門です。 明和7
年(1770)に当時の岩槻城主大岡氏が建立しました
。 間口3m、奥行2mで、向かって左側袖塀に潜戸
を付属しています。 屋根は切妻造瓦葺です。 |
龍門寺は天文19年(1550)に開基された曹洞宗の
お寺です。
山門は寛政10年(1798)の建立された一間一戸の
薬医門です。 |
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洞雲寺 山門
埼玉県さいたま市岩槻区加倉4−21−1 |
旧坂東家住宅
埼玉県さいたま市見沼区片柳1266−2 |
中山神社 旧社殿
埼玉県さいたま市見沼区中川1120 |
洞雲寺は天文5年(1536)、岩槻城主太田資頼が創
建した曹洞宗のお寺です。
山門は戦国時代の建立と伝えられる四脚門形式の
山門です。 宝永年間(1704-11)の大火により当時
の本堂は焼失しましたが、この山門だけは類焼を免
れました。 |
加田屋新田を開発した坂東家の旧宅をほぼ同じ位
置に復原したものです。 木造平屋、寄棟造、茅葺
、床面積87坪(286u)で、安政4年(1857)に建
てられました。 六間取りという大きな間取り、式台
付きの玄関などを持つ格式の高い住宅です。 |
中山神社は人皇十代崇神天皇の御代2年の創建と
伝えられる古社です。 高鼻(男体)と三室(女体)の
両氷川神社の中間に位置したことから中氷川神社と
呼ばれていました。
旧社殿は、桃山時代の建立で、二間社流見世棚造
、板葺、桁行2.42m、梁間1.55m、向拝の出1.
43mの建物です。 |
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永田家 長屋門
埼玉県さいたま市西区土屋 |
永田家 築地塀
埼玉県さいたま市西区土屋 |
中野田不動堂
埼玉県さいたま市緑区中野田1627−2 |
永田家は江戸時代初期、徳川家康の家臣であった伊奈氏が荒川改修を行うため当地に居住し、館の周囲
に塀をめぐらし陣屋(土屋陣屋)としたもので、家臣であった永田氏が拝領しました。
長屋門の建築規模は桁行21.16m、梁間4.75m、棟高6.18m、面積100.51uで市内最大規模の
ものです。 門の両端に接続しているのが、忍び返しの付いた築地塀です。 門扉と潜り戸は堅牢な開き
扉で右側に出格子が二つあります。
正確な建築年代は分かっていませんが、およそ江戸時代後期と考えられます。 |
天明6年(1786)の建築です。
桁行、梁間ともに三間(6.63m)の仏堂で、2.5m
の向拝が付いています。 方形造、茅葺(現亜鉛鉄
板覆い)の建物です。 天明3年(1783)の浅間山噴
火を逃れて来た工匠が建てたと伝えられています。 |
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大門宿脇本陣 表門
埼玉県さいたま市緑区大門1711 |
国昌寺 門
埼玉県さいたま市緑区大崎2378 |
旧高野家 離座敷
埼玉県さいたま市緑区大間木84 |
大門宿は、日光御成道の宿駅で、本陣、脇本陣、旅
籠6軒がありました。 表門は、寄棟造、茅葺、立隠
れ、くぐり戸のある、桁行16m、梁間4.6mの長屋
門です。 安永5年(1776)、10代将軍、徳川家治の
日光社参に際し建立されました。 |
国昌寺は曹洞宗の古刹です。 山門は、桁行3.03
m、梁間1.98m、切妻造、茅葺形銅板葺の薬医門
です。 江戸時代中期に建立され、欄間に竜の彫刻
は左甚五郎作と伝えられ、開かずの門として有名で
す。 |
江戸時代末期に建てられたものです。 茅葺寄棟造
で、桁行二間半(9.1m)、梁間一間半(5.46m)の建
物です。 間取りは四畳半と三畳の二室で、主室の
四畳半には茶事に用いる炉が切ってあります。 |
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旧蓮見家住宅
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
旧武笠家表門
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
旧野口家住宅
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
江戸時代中期18世紀前半の建立と推定されます。
建物は桁行16.75m、梁間5.4mの直屋、平入り
、寄棟造り、茅葺屋根の農家です。 内部は間口の
半分以上の土間を取り、ヘヤ、オク、ナンドという三
室広間型の間取りです。 現在さいたま市域に残
されている民家では最も古いものと考えられます。 |
天明3年(1783)の建立です。 正面13.76m、側
面4.55mの寄棟、茅葺きの長屋門です。 中央の
間を戸口とし、右端の一間を仕切り床張りとしている
以外は、作業場となる広い土間となっています。 通
例の長屋門に見られる立隠れはなく、門扉が両開き
の引き分け戸で右側の戸に潜り戸がついています。 |
安政5年(1858)の建立です。 安楽寺の庫裏として
使用されていたものです。 桁行13.64m、梁間8
.19mの寄棟造、茅葺の建物です。 内部は間口
の1/3の土間と、10畳の畳の間、10畳の板の間
、8畳のデイ、8畳のオクの4部屋があります。 こ
の家の特徴は屋根が大きく、背が高いことで、軒は
梁の先端部分を造りだし化粧材として見せる「せが
い造り」になっています。 |
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旧綿貫家住宅
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
旧高野家住宅
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
大熊家 表門
埼玉県さいたま市緑区大間木202 |
江戸時代から明治時代にかけての建立です。 旧
中山道沿いに建ち、屋号と「菱屋」呼び肥料荒物商
を営んでいました。 通りに面した塗屋造りの店蔵と
、奥につながる裏座敷からなっています。 平入り
の厨子2階切妻造りで、規模は桁行4間、梁間3間
で、正面3尺5寸の桟瓦葺下屋がつきます。 虫籠
窓と呼ばれている格子窓も特徴的です。 |
安政年間(1854-60)の建立です。 中山道沿いで
煎餅を製造販売していた商家です。 屋根は寄棟、
茅葺で、正面に軒の張り出しを大きくする出桁作り
と瓦葺の下屋庇がついています。 内部は左側に
土間、右側は8畳のミセと6畳の板の間に分かれて
います。 土間とミセの上は屋根裏で、物置として
使われていました。 現存する浦和宿中山道商家と
しては最も古い建物です。 |
この門は、中山道浦和宿本陣の表門だったものです
。 桁行2.75m、梁間1.79mの総ケヤキ造りの切
妻造、桟瓦葺の薬医門で、江戸時代終り頃建てられ
たものです。 唯一の本陣遺構です。 |
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吉祥寺 山門
埼玉県さいたま市緑区中尾1410 |
駒形権現神社須賀神社 本殿
埼玉県さいたま市緑区中尾1430−3 |
道祖土神明社 本殿
埼玉県さいたま市緑区道祖土3−9 |
吉祥寺は天台宗の古刹です。 山門は桃山文化の
流れを汲む江戸時代前期の建物です。 間口5.9
m、奥行1.68m、切妻造、茅葺。総ケヤキ造の門
です。 型式は薬医門に属しますが、柱が円柱、表
側左右に控柱が立っていることから趣を異にしてい
ます。 |
一間社流見世棚造の建物ですが、桃山時代から江
戸時代にかけての構造とは大きく異なります。 身
舎の奥行が短く、庇を合わせるとほぼ正方形に収ま
る建物になっており、室町時代の建物と考えられま
す。 鉄板葺。 桁行93cm、梁行50cm、庇の出4
6cm。 |
一間社流造、銅板葺の建物で、桁行1.06m、梁間
0.935mで、0.86mの向拝がついています。 元
禄期(1688〜1704)前後の建立と思われ、見世棚造
が主流であった時期の珍しい流造の本殿です。 |
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大間木氷川神社 本殿
埼玉県さいたま市緑区東浦和5−20−1 |
附島氷川女体社 本殿
埼玉県さいたま市緑区大間木1522 |
調神社 旧本殿
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25 |
寛文7年(1667)、武蔵国一宮氷川神社が本殿を建
て替えた際、その旧本殿を買い受けて建立されたと
伝えられています。 一間社流造、こけら葺形銅板
葺の建物で、桁行2.563m、梁間2.448mで、1
.964mの向拝がついています。 |
江戸時代初期の建立と思われます。
一間社流見世棚造、こけら葺の建物です。 桁行0.
69m、梁間0.61mで、0.51mの向拝がついてい
ます。 |
調(つき)神社は、開化天皇3年(紀元前156)に創建
され、兎を神使とみなす月待信仰の神社です。
旧本殿は、江戸中期の享保18年(1733)に建立され
たもので、現社殿が建立された安政年間まで調神社
本殿として使われていました。 一間社流造、こけら
葺形銅板葺、桁行1.8m、梁間1.495m、向拝の
出1.3mの建物です。 向拝蟇股、脇障子に兎の彫
刻が彫られています。 |
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玉蔵院 山門
埼玉県さいたま市浦和区仲町2-13-22 |
玉蔵院 地蔵堂
埼玉県さいたま市浦和区仲町2-13-22 |
一乗院 仁王門
埼玉県さいたま市南区内谷3−7−13 |
玉蔵院は、平安時代に弘法大師が創建したと伝えられる真言宗豊山派の寺院です。
元禄12年12月一宇も残さず焼失してしまい、現在の堂宇は江戸期に再建されたものです。 |
一乗院は真言宗智山派のお寺です。
仁王門は明和5年(1768)に建立された音三間一戸
の八脚門です。 妻側から見てM型に二つの小さな
棟が並び、その上に大屋根の棟がのっている三棟
造りになっています。 |
山門は江戸時代中頃、享和3年(1803)から文化6年
(1809)に建立されたものです。
桁行4m、梁間3.69m、の四脚門で、切妻造、本瓦
葺です。 |
地蔵堂は江戸時代中頃、安永9年(1780)に建立さ
れたものです。
桁行、梁間とも8.34m、三間四方、入母屋造、一
間向拝つき桟瓦葺の建物です。 |
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観音寺 四脚門
埼玉県さいたま市桜区宿147 |
観音寺 観音堂
埼玉県さいたま市桜区宿147 |
西堀氷川神社 本殿
埼玉県さいたま市桜区西堀8−26−1 |
四脚門も江戸時代後期の建立と考えられます。
角柱の四脚門で、間口2.73m、奥行2.58mの小
規模な門です。 屋根は元は茅葺でしたが、現在は
桟瓦葺になっています。 |
観音寺は浄土宗のお寺です。
観音堂は江戸時代後期の建立と思われます。
方三間の仏堂で、正面に向拝が付きます。 間口、
奥行きとも6.54mです。 屋根は方形茅葺で、頂に
瓦葺の箱棟がのっています。4 |
建立は江戸時代中〜後期と考えられます。
二間社流れ造りで、屋根はこけら葺です。 間口2.
42m、奥行1.7mで奥行1.5mの向拝がついてい
ます。 |
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大久保神社 埼玉県さいたま市桜区宿69
旧大久保村大字宿の鎮守八幡宮と大字白鍬の鎮守氷川神社、大字在家の鎮守天神社等、村内の鎮守が明治40年に合祀され、旧大久保村神社となったもので、
境内社の諸本殿は大正期に移築されたものです。 所在地は旧八幡宮の境内を引き継いでおり、荒川の自然堤防上にあります。 |
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大久保神社(旧宿八幡宮) 本殿 |
境内社豊栄社(旧白鍬氷川神社)本殿 |
境内社豊栄社(旧在家天神社) 本殿 |
天明4年(1784)の建立です。
一間社流造りで、身舎の間口1.82m奥行き1.64
m向拝の出が1.55mあります。
屋根はこけら葺型の銅板葺になっています。 |
嘉永2年(1849)の建立です。
一間社流造りで、身舎の間口1.05m奥行き1.30
m向拝の出が0.97mあります。
屋根はこけら葺型の銅板葺になっています。 |
建立年代を示す資料はありませんが、江戸時代後
期の建立と考えられます。 一間社流造りで、身舎
の間口1.25m奥行き1.52m向拝の出が1.12
mあります。 屋根は瓦葺になっています。 |
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金剛寺 山門
埼玉県川口市安行吉岡1361 |
宝厳院 仁王門
埼玉県川口市安行慈林954 |
羽盡神社 本殿
埼玉県川口市芝5379−1 |
金剛寺は、曹洞宗のお寺で、明応5年(1496)の創
建です。 山門は、江戸時代初期の建立で、桁行3
.030m、梁3.333m、棟高6.666m、面積10
.09uの、一間一戸の四脚門です。 屋根は切妻
造の茅葺です。 元は組もの部が朱色、他は黒色
の彩色が施されていたことから、「金剛寺の黒門」
と呼ばれていました。 |
宝厳院は、真言宗智山派のお寺で、天平13年(741
)の創建です。
仁王門は文政9年(1826)の再建で、三間一戸の八
脚門です。 桁行7.802m、梁間4.636m、棟高
8.939mの切妻造、銅板葺の建物です。 正面に
は金剛力士像、背面には風神、雷神像が安置され
ています。 |
本殿は、見瀬棚造りの流れを汲んだ一間社流造りで
、桁行2.58m、梁間2.26mの建物です。 これに
奥行き2.12mの向拝が付きます。 江戸時代初期
に武蔵国一ノ宮である氷川神社より旧社殿として使
われていた部材を譲り受けて移築したといわれてい
ます。 |
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和楽備神社 末社天神社本殿
埼玉県蕨市中央4−20−9 |
和楽備神社 末社稲荷社本殿
埼玉県蕨市中央4−20−9 |
旧村山快哉堂
埼玉県志木市中宗岡5−7040−2 |
和楽備神社は、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築いた際、その守り神とし
て八幡大神を奉斎したのがはじまりと言われています。 |
明治10年(1877)に建築された木造二階建て土蔵
造りの店蔵で、各種家傅薬を製造販売する薬店でし
た。 座売り形式の商形態を残し、一階中央部分の
吹き抜け、 鉢巻の二段構成、ムシコ窓とその枠回り
など川越の店蔵とは異なる特有の意匠構成が見ら
れます。 |
宮田の天神社を移築したものです。 桁行1.15m
、梁間1.03m、向拝0.87mの一間社流造、こけ
ら葺形銅板葺の建物です。 元は彩色されていまし
た。 江戸時代初期(17世紀初め)の建立と考えら
れています。 |
和楽備神社の前身である宮田の八幡社本殿を移築
したものです。 桁行1.23m、梁間1.12mの一間
社流造、こけら葺形銅板葺の建物です。 17世紀末
から18世紀初めの建立と考えられています。 |
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産財氷川神社 本殿
埼玉県志木市中宗岡2−29−12 |
旧富岡家住宅
埼玉県和光市下新倉2−33 |
普光明寺 山門
埼玉県新座市大和田4-13-30 |
明治2年(1869)に着工し、明治14年(1881)に竣工
したものと推定されます。 一間社流造りで、欅が使
用されています。る。 鯉の滝のぼりや登り龍、下り
龍等の彫刻が随所に施されています。 |
桁行16.66m、梁間9.12m、棟高8m、床面積4
6坪の木造、寄棟造、茅葺の建物です。 間取りは
4間で特にザシキが広く古四つ間取りと呼ばれてい
ます。 江戸中期(17世紀後期)の建築と推定され
ます。 |
普光明寺は真言宗智山派の寺院で、寺伝によると
大同年間(806)に開山したと伝えられています。
山門は享保年間(1716)の建立といわれ棟門と高麗
門の形式を取り入れつつ全体として薬医門とする設
計意図がうかがえます。 正面欄間の透彫り、冠木
形両端上部の彫物など華麗な山門は、彫刻技術の
高さを示しています。 |
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歓喜院 四脚門
埼玉県熊谷市妻沼1627 |
上之村神社 鳥居
埼玉県熊谷市上之16 |
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歓喜院は高野山準別格本山で日本三大聖天の一
つに数えられる名刹で、治承3年(1179)に建立され
ました。
室町期の特徴をよく残している門で、寛文の大火で
唯一残った、聖天山建築群で最古の建物です。
聖天堂−国宝、貴惣門−埼玉県指定有形文化財 |
鳥居は寛文4年(1664)に建立された木造の両部
鳥居です。 笠木や控柱の上に板屋根を設けるな
ど耐久性にも十分考慮された、市内最古の木造鳥
居です。
上之村神社本殿、雷電神社本殿−県指定文化財 |
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文殊寺 仁王門
埼玉県熊谷市野原622 |
根岸家 長屋門
埼玉県熊谷市冑山152 |
冑山神社 本殿
埼玉県熊谷市冑山1 |
文殊寺は日本三体文殊寺の一つに数えられる曹洞
宗のお寺です。
仁王門は江戸時代中期に建立された朱塗門です。 |
根岸家は江戸中期以降甲山村、箕輪村の名主を
務めた豪農です。 長屋門は桁行24.15m、梁間
5.78m、棟高7.3m、面積140uの入母屋造、
瓦葺、壁材は土壁の門で、天保11年(1840)以前
に建造された建物です。 |
冑山神社は「甲山古墳」の上に建つ神社です。
本殿は宝暦2年(1752)の創建で、屋根が同類型
の社と比べて大きく、精緻な破風を形作っていま
す。 |
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岩室観音堂
埼玉県比企郡吉見町北吉見312 |
永府門樋
埼玉県比企郡吉見町北吉見3547−1 |
八雲神社 社殿
埼玉県東松山市本町1−5−8 |
岩をうがって観音像を祀ったことから岩室観音とい
います。 龍性院の境外仏堂です。
木造、入母屋造、瓦葺き、桁行三間、梁間二間の
建物で、木造、桁行三間、梁間三間、貫一段、懸
崖型の懸造りの上に建っています。 当時のお堂
は、天正18年(1590)松山城の攻防戦の際焼失し
てしまい、現在のお堂は寛文年間(1661-1673)に
再建されたものです。 |
永府門樋は近隣の水田への水源として明治34年に
造られました。 煉瓦造りの樋門は、川の水を利用し
て灌漑や用水を行ない、内水排除や逆流防止の役
割をする制水施設です。 この樋門は開口部がアー
チ型から桁型に移り変わる時期のものです。 多く
の樋門が取り壊される中、わずかに残った桁型二
連構造の樋門です。 |
間口2.6m、奥行3.6m、単層切妻で、正面軒は
唐破風、その下に千鳥破風がおいてあります。
切妻の面もすべて彫刻で飾られています。
正面は花鳥及竜と唐獅子、左側は神功皇后新羅征
伐凱旋の場、右側は須佐之男命大蛇退治の場、背
面は天照大神の天岩戸の場が刻まれています。 |
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浄空院
埼玉県東松山市上唐子679
浄空院は曹洞宗のお寺です。
応和2年(962)、天台宗の慈恵大師が法養寺を開きました。 元亀、天正の頃禅宗に改宗し、さらに文禄2
年(1593)に浄空院と改め、現在の諸堂の建立がなされました。 |
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浄空院 本堂 |
宝暦3年(1753)の建立です。 間口八間、奥行七間
の建物で、欅の逸材を選び、禅建築特有の簡素美と
豪壮さが見て取れます。 |
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浄空院 禅堂 |
浄空院 庫裡 |
浄空院 裏門 |
萱葺屋根、黒の木材、壁の白で構成された落ち着い
た建物です。 この堂は以前ひとつの御堂でしたが
昭和43年に改装されて現在のものとなりました。 |
間口十間、奥行十五間で広さは150坪あります。
宝暦3年(1753)に全面的に改修され、安永年間(
1770代)に再興され現在に至っています。 |
萱葺の四つ足門で、禅寺特有のわび、さびがにじみ
出ています。 創建当時の建立と思われます。 |
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正法寺 鐘楼
埼玉県東松山市岩殿1229 |
鴨田八幡神社 本殿
埼玉県川越市鴨田1072 |
薬師神社 社殿
埼玉県川越市伊佐沼577 |
正法寺は、養老2年(718)に開山された真言宗智山
派の寺院です。 鐘楼は、元禄15年(1702)に再建
されたものです。 屋根は箱棟の草葺、大棟に鳥ぶ
すまをのせ、置千木を3か所においてあります。
大銀杏−市天然記念物
坂東三十三観音札所第10番 |
長禄2年(1458)、太田道灌が河越城の鬼門鎮護の
ため勧請した神社です。 本殿は18世紀後期の造
営で、大型の一間社流造、こけら葺、千鳥破風、軒
唐破風を付けています。 いたるところに彫刻を施さ
れた立派な本殿です。 桁行2.81m、梁間2.953
m。 |
薬師神社は古くから伊佐沼の西岸に祀られていまし
た。 社殿は、元和9年(1623)、川越城主酒井備後
守忠利の奉納により建立されたものです。 葭葺、
向拝付、建坪10坪の建物です。 |
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広済寺 金比羅堂
埼玉県川越市喜多町5−1 |
元町二丁目六塚稲荷神社 本殿
埼玉県川越市元町2−8−12 |
長島家住宅
埼玉県川越市元町1−15−5 |
広済寺は、天文17年(1548)に建立された曹洞宗の
お寺です。
金比羅堂は天保10年(1839)に建立されました。 |
本殿は文政2年(1819)の建立です。
高い石積基壇上に建つ中規模の一間社流造で、屋
根は銅板の瓦棒葺です。 桁行1.532m、梁間1.
462m。 |
2棟を合体させ全体の壁を土蔵で仕上げるという珍
しい造りの建物です。 左側の建物は、明治30年
代(1897〜1906)の建築で、店舗兼住居として使わ
れていました。 右側の建物は大正時代に建てられ
た物で、1階は大正の趣を残す洋風建築となってい
ます。 |
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小林家住宅
埼玉県川越市幸町2−16 |
服部家住宅
埼玉県川越市幸町6−8 |
原家住宅
埼玉県川越市幸町7−1 |
国登録文化財の埼玉りそな銀行の隣に建っていま
す。 明治26年(1893)の大火直後に呉服太物商
、二代目・小林佐平によって建てられました。 現在
は和菓子の「くらづくり本舗」が店を構えています。
外観は、黒漆喰の壁に、出桁を用いた二重軒蛇腹
、重厚な観音開扉とその下の目塗り台、大きな鬼瓦
とかげ盛。 中でも火炎のようにウェーブを描くかげ
盛から生えている金具装飾がユニークです。 |
明治26年の川越大火直後に上棟された切妻造り平
入りの建物です。 服部家は七代続いた商家で、照
降業(傘・履物)や薬種業を営んでいました。 現在
は「服部民俗資料館」になっています。 建物は土蔵
造に似せた塗家造、2階正面は蔵造り特有の観音
開扉などの窓は一切なく、2階部分が低くなっており
、住居ではなく倉庫などに使われる逗子2階になっ
ています。 |
川越大火直後の明治26年(1893)に、呉服商を営
む山本平兵衛が建てた入母屋造、平入りの蔵造り
です。 NHK連続テレビ小説「つばさ」では、ヒロイン
の実家である「甘玉堂」として撮影されました。 現
在は「陶舗やまわ」が店を構えています。 屋根は、
大きな鬼瓦にカゲ盛り、背の高い箱棟、2階の観音
開扉、観音開扉の下の目塗台など、川越の代表的
な蔵造り構造をよく見てとれます。 |
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宮岡家住宅
埼玉県川越市幸町7−3 |
小谷野家住宅
埼玉県川越市幸町7−4 |
平岩・水飼家住宅
埼玉県川越市幸町7−5 |
江戸時代から続く刃物の専門店、通称 「まちかん」
。 建物は明治30年(1897)に建築されました。
宮岡家は商家特有の「店蔵」で、店舗や居住空間す
べてを土蔵で造られています。 重厚な屋根は、雨
対策として勾配がかなり急になっています。 屋根
の上部の箱棟と、巨大な鬼板(高さ1.6m、幅2.
0m)が特有のシルエットを作り出しています。 蔵
壁はもともと「江戸黒」と呼ばれる黒塗りだったので
すが、年月を経て地色が見えています。 |
深善美術表具店は元文3年(1738)創業の老舗です
。 建物は明治28年(1895)に建築されました。 特
徴的なのが2階部分で、重厚な観音開扉の代わりに
開放的な窓が設置されています。 火災対策として、
窓の両端には袖壁が設置されています。 |
明治26年(1893)に建築された建物で、元々糸繭製
茶煙草問屋を営んでいましたが、現在は床屋「銀パ
リ」と本屋「太陽堂」が店を構えています。 平岩・水
飼家住宅の特徴は、「蔵造りの意匠を施した町家建
築」で、一見すると木造の町家建築ですが、屋根部
分に蔵造り特有の大きな「鬼瓦」と「カゲ盛」、「箱棟
」が見えます。 |
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旧小山家住宅(店蔵・袖蔵)
埼玉県川越市幸町7−8 |
滝島家住宅
埼玉県川越市幸町8−1 |
明治26年(1893)に建築された建物で、川越大火後、最も早く再建された一軒で、煙草卸商4代目小山文
造によって建てられました。 現在は、「蔵造り資料館」として利用されています。
建物は間口4.5間、奥行2.5間の「店蔵」と、間口2間の「袖蔵」を併立させた袖蔵形式の蔵造りです。
この袖蔵は他の蔵造りの袖蔵と異なり、貸し店舗として使用された「添屋」的な建物です。 店蔵の背後に
は2階建ての住居、一番蔵(文庫蔵)、さらに奥に二番蔵(煙草蔵)、三番蔵(文庫蔵)と連なっています。 |
明治28年(1895)に建築された建物で、1階の店蔵
は酒屋になっています。 間口3間、奥行3間の2階
建ての切妻造り。 下屋庇付の土蔵造りで、外壁に
は漆喰のはく離を防ぐため銅板をまいています。 2
階正面の観音開扉は、重厚な物ではなく、銅板など
で造られています。 |
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時の鐘
埼玉県川越市幸町15−2 |
山崎家住宅<亀屋山崎茶店>(店蔵・袖蔵)
埼玉県川越市仲町2−6 |
寛永年間(1624〜44)に川越城主酒井忠勝が、城下
多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれ
ています。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起
きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造
の塔で、高さ約16m。 1日に4回(6時・正午・15時
・18時)鐘の音を響かせています。
日本の音風景百選 |
亀屋山崎茶店は、明治10年(1877)に和菓子の老舗「亀屋」より分家し、山崎茶店として商いを始めました。
建物は袖蔵を併立し店舗と住居を一棟にまとめ、間口六間、奥行八間と規模の大きい蔵造りです。 一般の
蔵造りは防火のため窓を小さくし格子をはめ込んでいますが、この店は逆に横長の開放型大きくし千本格子
をはめ明るくした設計になっています。 袖蔵は火災から保護するために北側や西側に建てられますが、こ
この袖蔵は店の東側に建てられています。 この店舗部分は明治38年(1905)に建築されました。 煉瓦
のアーチ門の先には、嘉永3年(1850)建築の大蔵を利用した茶陶苑があります。 |
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山崎家住宅<亀屋>(店蔵・袖蔵)
埼玉県川越市仲町4−3 |
松崎家住宅
埼玉県川越市仲町6−2 |
亀屋は天明3年(1783)創業の和菓子店です。 建物は明治27年(1893)に建築された建物です。 間口4
間、奥行2.55間の店蔵と、間口2間、奥行2.5間の袖蔵を併立させた袖蔵形式の蔵造りの建物です。 約
1年の歳月と総工費1万111円54銭9厘(現在の紙幣価値で約2億円)という当時としては多額の建築費を
かけて造られました。 深い軒を持つ重厚な屋根と豪華な意匠の観音開きがとても印象的です。 観音開き
の両扉は枠回りは4重の段になっており、火災時火の廻り込みを防ぐとともに、扉を開いた時には隣の扉と
噛み合いフラットになるよう設計されています。 また、敷地内の土蔵は「山崎美術館」として利用されていま
す。 |
松崎家住宅は、蔵造りの町並みが始まる仲町交差
点角にあるスポーツ用品店です。 重厚感と装飾の
豪華さを持ち、角店の蔵造りという極めて貴重な建
物です。 建造は明治30年(1896)に3万円(現在
の貨幣価値で約3億円)を費やして建築されました。
間口4間、奥行2.5間、入母屋造りの瓦葺で、大き
な鬼瓦を置いた屋根がひときわ目立つ建物です。 |
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田中家住宅
埼玉県川越市仲町6−4 |
塩野家住宅
埼玉県川越市仲町9−9 |
松本家住宅
埼玉県川越市仲町10−15 |
田中屋住宅は大正4年(1915)に建築された建物で
す。 当時は「桜井銃砲店」でした。 外観はレトロな
洋館、内部は蔵造りという和洋折衷の不思議な造り
をしています。 |
明治27年(1894)に建築された建物です。 切妻造
妻入りの二階建てで、二階正面には観音開扉が配
され、右側には袖壁が立ち上がっています。 一階
の北側と東側には下屋が付いています。 現在は、
「あとひき煎餅塩野」が営業されています。 |
松本家住宅は、川越の豪商横田家分家の土地と家
屋を、初代松本新次郎が明治22年(1889)に購入し
たもので、同時に醤油製造業も引き継ぎました。
外観は、川越では珍しい白漆喰仕上げ。 窓も観音
開扉ではなく、内側から開け閉めする扉で、屋根瓦
などの装飾性もありません。 川越でよく見かける蔵
造りではなく、旧い型の店蔵です。 |
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山下家住宅(店蔵・内蔵)
埼玉県川越市仲町10−9 |
福田家住宅
埼玉県川越市大手町14−4 |
山下家住宅は、切妻造り・平入りという簡素な建物で、白漆喰で仕上げられています。 二階の窓も観音扉
ではなく、枠取りを半弓状に浮かし黒漆喰で補強しており、大火以後の建物とは意匠を異にしています。
大火以前の川越町屋の建築様式を残している貴重な建物です。 |
時の鐘入口から鐘つき通りを入って行くと右側に建
っている小さな店蔵です。 寄棟造り妻入り形式で、
二階には観音開扉の小さな窓がひとつだけついて
います。 |
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原田家住宅
埼玉県川越市松江町2−8−6 |
加藤家住宅
埼玉県川越市連雀町11−8 |
木野目春日稲荷神社 本殿
埼玉県川越市木野目1162 |
明治27年(1894)に建築された建物です。 この通
りは米問屋が軒を連ね、特に繁盛していたのが原田
家の「足立要」です。 見ごたえのある屋根には巨大
な鬼瓦、更に大きいカゲ盛、両端の鬼瓦を結ぶ背の
高い箱棟が見事です。 二階の観音開扉は火災時
に密閉性を高めるため、枠周りが6段になっていま
す。 |
大正浪漫夢通りに建つ店蔵です。 明治30年頃(1
897)に建築された建物です。 川越の代表的な蔵造
り構造である、鬼瓦、カゲ盛り、箱棟はありませんが
、二階の3つの観音開扉、そして右側には袖壁が立
ち上がっています。 |
嘉永5年(1852)に建立された本殿です。 小型の一
間社流造で、屋根は板葺です。 江戸末期に川越に
流行する江戸彫を多用する本殿の一指標となる建
物です。 桁行1.338m、梁間1.406m。 |
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蓮光寺 総門
埼玉県川越市渋井248 |
新宿氷川神社 本殿
埼玉県川越市新宿1−22 |
砂新田春日神社 本殿
埼玉県川越市砂新田140 |
蓮光寺は、長禄2年(1458)に開山された曹洞宗の
お寺です。 総門は、蓮光寺において現存する最も
古い建築物です。 江戸後期に建立された八脚楼門
です。 |
本殿は19世紀中期の建立と考えられます。 江戸
彫りを多用した小型の一間社流造で、屋根は軒唐
破風を付けた板葺の瓦棒葺です。 桁行1.47m、
梁間1.394m。 |
江戸彫刻で飾られた小型の一間社流造で、屋根は
こけら葺を模した板葺です。 本殿の屋根は雨を受
けるようには作られておらず、全体的に工芸的なつ
くりになっています。 19世紀中期の建立と考えら
れます。 桁行0.851m、梁間0.794m。 |
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砂久保稲荷神社 本殿
埼玉県川越市砂久保66 |
的場八幡神社 本殿
埼玉県川越市的場529 |
大袋白鬚神社 本殿
埼玉県川越市大袋258 |
天保14年(1843)に建立された本殿です。 やや小
型の一間社流造で、屋根は板葺です。 江戸彫を多
用した本殿のひとつですが、ところどころに個性的な
細部意匠が用いられています。 桁行1.531m、梁
間1.633m。 |
嘉永5年(1852)に建立された本殿です。 小型の一
間社流造で、覆屋内の石造基壇上にたち、屋根は
木瓦葺の建物で、千鳥破風、軒唐破風を付けます。
精巧で複雑な架構と彫刻が見事です。 桁行1.1
99m、梁間1.162m。 |
慶応4年(1868)に建立されたと考えられる本殿です
。 覆屋内の切石積基壇上にたつ一間社の入母屋
造で、屋根は木瓦葺の建物で、千鳥破風、軒唐破風
を付けます。 江戸末期に流行する江戸彫を多用す
る本殿のひとつです。 桁行1.91m、梁間2.016
m。 |
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南大塚菅原神社 拝殿
埼玉県川越市南大塚19 |
苗間明神神社 燈明台
埼玉県ふじみ野市苗間371 |
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菅原神社は、南北朝期に創建された神社です。
拝殿は万延元年(1860)に建立された入母屋造桟瓦
葺の建物です。 本殿(市文化財)と反橋で結ばれる
社殿構成になっています。
本殿は見ることができませんでした。 |
高さ6m。 屋根以外のすべてをレンガで積み上げ
た燈明台です。 基台の上に板張りの塔を建て、部
屋の四方に窓をあけ、中に燈明を設置する江戸時
代以来の燈明を踏襲したものです。
明治20年代中ごろの様式を持つ埼玉県内で最も古
いタイプのレンガ建造物です。
けやき−市指定天然記念物 |
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回漕問屋福田屋
埼玉県ふじみ野市福岡3−4−2 旧河岸記念館
新河岸川の舟運は、寛永15年(1638)川越の大火で焼失した仙波東照宮の再建資材を、江戸から新河岸
川で運んだのがはじまりと言われています。 正保4年(1647)ころ舟運が本格化し、その後江戸とを結ぶ物
資輸送の中継地点として多くの河岸場が設置されました。 享保18年(1733)ころ福島村で回漕業が始まり
、安永2年(1774)には福田屋・吉野屋・江戸屋の3軒の船問屋が幕府から公認され、仲買商を兼ねながら
船問屋を営業していました。
福田屋は天保2年(1831)から明治の終わり(1911)まで、福岡河岸で回漕業と仲買い商として大いに繁栄
した問屋です。 明治27年(1894)の屋敷図によると13棟もの家屋および蔵が築かれており、さらに明治4
2年(1909)の屋敷図では新たに5棟が建てられています。 現在では土蔵や付属建物の大部分は取り壊さ
れ、主要な建物である母屋・台所、離れ、文庫蔵が残っています。 |
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回漕問屋福田屋 主屋 |
明治初期に建てられた木造2階建、瓦葺き、建築面
積185.19u、延床面積280.88uの建物です。
主屋には帳場が置かれており台所と隣接しています |
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回漕問屋福田屋 離れ |
回漕問屋福田屋 文庫蔵 |
回漕問屋福田屋 台所棟 |
明治33年(1900)に建てられた木造3階建、瓦葺き
、建築面積33.95u、延床面積91.91uの建物
です。 四隅と室内2本の三階まで達する通し柱で
構成され、11.4mの高さがあります。 |
明治30年(1897)代に建てられた木造2階建、切妻
造、瓦葺き、建築面積50.98u、延床面積84.10
uの建物です。 黒漆喰で塗り固められています。 |
明治初期に建てられた木造2階建、瓦葺きの建物で
主屋と隣接しています。 |
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旧大澤家住宅 主屋
埼玉県富士見市下南畑568−1
難波田城公園内 |
旧金子家住宅 主屋
埼玉県富士見市下南畑568−1
難波田城公園内 |
旧鈴木家 表門(長屋門)
埼玉県富士見市下南畑568−1
難波田城公園内 |
前記大澤家の主屋です。
明治4年(1871)に建築されたものです。
「式台」とよばれる玄関や違い棚、付書院を備えた
オクザシキなどに名主宅としての風格を備えていま
す。 建築面積278u。 |
市内水子に所在した民家です。 明治4年に建築さ
れました。 金子家は江戸時代には、農業のかたわ
ら油商を営んでいました。 そのため広い土間や出
入口の揚戸など、商家のつくりもあわせもっていま
す。 建築面積176u。 |
市内針ケ谷に所在した長屋門です。
針ケ谷の名主をつとめていた鈴木家の表門として建
築されました。 建築年代は不明ですが、明治時代
中期以降に建てられたと推定されます。
建築面積117u。 |
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大澤家住宅 表門(長屋門)
埼玉県富士見市東大久保173 |
大澤家住宅 穀蔵
埼玉県富士見市東大久保173 |
旧池上家住宅
埼玉県入間郡三芳町竹間沢877 |
大澤家は天正8年(1590)に土着し、代々大久保村の名主を務めた家柄です。
表門は桁行10.5間、梁間2間で、壁の上部は白漆喰、下部は板張になっています。 かつては草葺でした
が昭和10年の改築で瓦葺となりました。 門の内部は板床の「上長屋」と、土間の「下長屋」に分かれていま
す。 柱には慶応2年(1866)の武州一揆の際につけられた刃物傷が残っています。
大澤家の屋敷構えは、主屋(難波田城公園移築−市指定文化財)を中心に、正面に表門、東に穀蔵は配さ
れ、かつては土蔵、味噌蔵、文庫蔵、養蚕小屋、灰小屋、離れ座敷も建てられていました。 |
この建物は、江戸時代の終わりから明治時代の初
めに建てられました。 茅葺、寄棟造の大屋根と、
9間取りの部屋を持っており、近隣では珍しい大型
民家です。 幕府による農民支配が緩んでいた頃に
豊かな経済力を持って建てられた住宅です。
建坪66坪、桁11間、梁間6間 |
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木ノ宮地蔵堂
埼玉県入間郡三芳町上富1501 |
多福寺の穀倉
埼玉県入間郡三芳町上富1542 |
旧島田家住宅
埼玉県入間郡三芳町上富1279-3 |
延暦24年(805)、坂上田村麻呂が北国遠征の際、
道に迷ったところを地蔵菩薩に助けられ、その加護
に感謝して建立したと伝えられています。
現在の建物は、安永6年(1777)に再建されたもの
です。 間口6間、奥行7間の方丈造りで、主要材
のほとんどにケヤキを用い、須弥壇もケヤキ造りで
見事な浮彫りが施されています。 |
多福寺は臨済宗妙心寺派の寺で、元禄9年(1696)
川越藩主柳沢吉保によって建立されました。
この穀倉は、江戸時代後期の天保3年(1839)の建
築と推定されます。 間口3間半、奥行1間半で、内
部は穀物を貯蔵する部分と、家財等の物資を収納
する部分に分けられています。 |
この建物は、文化、文政期(1804〜1829)に建てられ
ました。 茅葺、寄棟造、食違い4間取りの間取りで
す。 畑作新田として知られる三富の開拓が、さつま
いもの導入により豊になったことを証明する、三富で
現存する最古の茅葺大型民家です。 近郷農家の
子弟を集めて寺子屋を開設していた時期もあり、三
芳の教育を知る上で欠かすことのできない歴史的な
建造物です。 建坪52坪、桁11間半、梁間4間半 |
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多聞院 毘沙門堂
埼玉県所沢市中富1501 |
勝光寺 山門
埼玉県所沢市山口1410 |
勝光寺 本堂
埼玉県所沢市山口1410 |
多聞院は、三芳町の多福寺同様、元禄9年(1696)
川越藩主柳沢吉保によって建立されたお寺です。
毘沙門堂は明和3年(1766)に再建されたもので、
江戸時代中期の御堂建築として貴重なものです。
構造は3間三面の寄棟造向拝つきで、周囲に浜縁
をめぐらせています。 和様に唐様を交え、軸部の
木割が太いわりに、組ものは繊細に仕上げられて
います。 |
勝光寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。 弘安元年(1278)北条時宗の創建と伝えられています。 元弘の乱
で堂宇を焼失するなど何度か衰微再興をくり返しました。 天正19年(1591)、徳川家康より境内地一万坪と
寺領20石を下附され、諸堂が整えられ今日に至っています。 |
山門は元禄7〜9年(1694〜1696)に建立されまし
た。 粽を有する太い円柱、花頭窓、組子入りの桟
唐戸など、堂々とした美しい楼門です。 |
延宝5年(1677)に京都龍安寺塔頭の方丈を移築し
たものです。 前面吹き放しの広縁空間や天井下に
設けられた蟻壁長押など、江戸時代前期の京都臨
済宗系方丈の建築形式を伝える建物です。 |
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八坂神社 社殿
埼玉県所沢市久米2428 鳩峯八幡神社 |
長源寺 四脚門
埼玉県所沢市下安松487 |
広福寺 山門
埼玉県狭山市下奥富844 |
八坂神社は、延喜21年(921)に開山した「鳩峰八
幡神社」の摂社のひとつです。
元は境内になく長久寺の近くに鎮座していましたが
、江戸時代以前に境内に遷座しました。
社殿は天保14年(1843)の建造で、繊細な彫刻が
施されています。 |
長源寺は、天亀、天正(1570〜1592)のころ、八王子
城主北条氏照の養父大石定久によって中興開基さ
れた曹洞宗のお寺です。
山門は旧中門で、江戸中期、天明年間の作で、破風
切妻造りの四脚門で、特に優美な彫刻は江戸中期
の傑作とされ、総欅造りの堂々たる山門です。 |
広福寺は永禄年間(1558〜70)の創立といわれて
いる天台宗の寺院です。 徳川三代将軍家光公御
鷹狩の休息所に指定されていました。 山門は文
化2年(1805)に完成したと思われます。 袴腰が
漆喰白壁ぬり、袴腰の上層は勾欄手すりをめぐらし
円柱に斗きょうを施した入母屋造りの瓦葺屋根を持
っている「扇乗木・二重垂木・総欅」という、関東に
は珍しい竜宮造りの建築様式です。 上層が鐘楼
になっています。 |
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天岑寺 惣門
埼玉県狭山市沢5−34 |
八幡神社 本殿
埼玉県狭山市入間川3−6−14 |
堀兼神社 随身門
埼玉県狭山市堀兼2220 |
天岑寺は文禄3年(1594)に天海盛呑により開山さ
れたといわれる曹洞宗の寺院です。 かつては、朱
塗りの華麗な七堂伽藍がありましたが明治3年の火
災で惣門を残して焼失してしまいました。
惣門は寛永年間(1624〜44)の建立と推定されます
沖縄風の様式のうのこの門は、表間口3.6m、奥行
3mの総ケヤキ造りの四脚門で、屋根は瓦葺切妻、
中央は一段高くなっており、そこに「通霄関」の扁額
が掲げられています。 |
八幡神社の創建年月は不明ですが元弘3年(1333
)に新田義貞が戦勝祈願に参拝したとあります。
本殿は享和2年(1802)に建立されました。 入母
屋の流造の特性をもち、一間社造りの唐破風向拝
があり、正面は千鳥破風の珍しい建築様式です。
周囲の彫刻は社殿総彫で建築装飾の粋をつくした
透彫です。 |
この随身門は江戸時代後期の創建と推定されます
。 桁行6.8m、梁行4.12mで、単層入母屋造り
の八脚門でです。 屋根は当初草葺でしたが、大正
14年に銅板葺に改装されました。
二神像は豊磐門戸命と奇磐門戸命で、俗に矢大神
、左大神と呼ばれています。 |
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蓮華院 観音堂
埼玉県入間市春日町2−9−1 |
円照寺 不動堂
埼玉県入間市野田158 |
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蓮華院は真言宗智山派のお寺です。 建仁の頃(1
201-04)寂蓮法師が開いたと伝えられています。
観音堂は天保6年(1835)に再建されたもので、桁
行3間、梁間4間、総けやき、寄棟造り桟瓦葺の建
物です。 虹梁や欄間に見られる彫刻はとても精巧
なものです。
武蔵野三十三観音札所第18番 |
円照寺は、真言宗智山派の寺院です。
加治豊後守家茂が元久2年(1205)、畠山重忠と北
条方との二俣川の戦いで戦死した父家季の菩提を
弔うために円照上人を開山として建立された寺院で
す。 不動堂は安永8年(1779)に再建されたもの
です。 一重、寄棟造り、銅板葺、向拝付きで、桁
行6.617m、梁間6.938m、棟高9.1m、面積
49.3uの堂字です。 柱は欅、縁は松を用い、基
壇、礎石は自然石で作られています。
武蔵野三十三観音札所第22番 |
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瑠璃光寺 埼玉県深谷市稲荷町北9−25
瑠璃光寺は大同2年(807)に創建された天台宗のお寺です。 全盛期の鎌倉時代には、七堂の伽藍を完備し、仁王門の正面に本堂が、その東に庫裡があったと
思われ、本堂の裏には昔時の庭園と思われる跡が残っています。 武蔵国十三仏霊場、関東九十一薬師霊場に指定されています。 |
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瑠璃光寺 仁王門 |
瑠璃光寺 定門 |
瑠璃光寺 薬師堂 |
享保年間(1716〜1736) に建立された木造瓦葺の門
です。 |
天正17年(1589)に建立された木造瓦葺の門です。 |
室町時代建造と思われる木造、瓦葺、平屋の建物
です。 別称「寅薬師」とも呼ばれ、深谷城の鬼門
除け崇敬されていました。 |
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国済寺 黒門
埼玉県深谷市国済寺521 |
国済寺 三門
埼玉県深谷市国済寺521 |
円心寺 山門
埼玉県本庄市本庄3−3−2 |
国済寺は臨済宗南禅寺派のお寺です。 康応2年(1390)の開祖で、総門、三門、本堂が直線的配置された
禅宗伽藍の寺院です。 |
円心寺は天正年間(1573-1592)に開山された浄土
宗のお寺です。
山門は天明年間(1781-1789)の建立といわれ、三
間一戸重層の八脚楼門です。 |
国済寺の総門にあたり、建立は江戸中期頃と見られ
ています。 四脚門、桟瓦葺切妻屋根、化粧屋根裏
、丸柱。 礎石は自然石で礎盤は木製です。 |
建立は江戸初期の建立と言われる楼門形式の門で
す。 桁行三間、梁間二間の寄棟茅葺で、礎石は自
然、階上は羽目板張に火灯窓を配し、階下は吹き抜
けになっています。 |
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安養院 埼玉県本庄市中央3−3−6
安養院は、文明7年(1475)に創立された曹洞宗のお寺です。 武蔵七党の一党である児玉党の一族本庄信明の弟藤太郎雪茂が仏門に帰依して開基したと伝え
られています。 |
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安養院 総門 |
安養院 山門 |
安養院 本堂 |
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八幡神社 随身門
埼玉県本庄市児玉町児玉198 |
八幡神社 能楽殿
埼玉県本庄市児玉町児玉198 |
田村本陣門
埼玉県本庄市中央1-2-3歴史民族資料館 |
長平安時代末期、源義家が奥州征伐に赴く際当地で戦勝を祈願した。 康平6年(1063)帰陣の際当地に立
ち寄り社殿を建立して八幡宮を迎えたのが始まりといわれています。
社殿、銅製鳥居−埼玉県指定有形文化財 |
本庄宿は、中山道六十九次の内、江戸から数えて
10番目の宿場です。
この門は本庄宿の北本陣といわれた田村本陣の正
門です。 田村本陣があったのは、現在の中央1丁
目6の区域で、寛永19年(1642)から宿泊記録が
残されています。
旧本庄警察署−埼玉県指定有形文化財 |
随身門は宝暦6年(1756)に建立されました。 八柱
三間一戸入母屋瓦葺、間口7.3m、奥行4mの建
物です。 |
建立年月日は不明です。 正面は北向きで、間口5
.5m、奥行7.3mで西及び南面は壁になっていま
す。 北及び東面は板戸で囲われ、廊下は奥行2.
7m、間口7.3mあります。 |
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浄蓮寺 祖師堂
埼玉県秩父郡東秩父村御堂362 |
慈光寺 観音堂
埼玉県比企郡ときがわ町西平386 |
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浄蓮寺は鎌倉時代末の正応元年(1288)開山の日
蓮宗の名刹の一つです。 上田家の菩提寺で、松山
城主上田朝直のお墓もあります。
祖師堂は日蓮聖人を祀るお堂で、江戸時代初期の
建立です。
境内林−村指定天然記念物 |
慈光寺は、天武天皇の白鳳2年(673)に始まった天
台宗の寺院です。 鎌倉時代には源頼朝の手厚い
加護を受け山中には75坊の僧坊があった関東屈
指の大寺院でした。 康正2年(1456)に太田道灌
に討ち入られ、その後、松山城主上田朝直によって
焼き打ちにあいました。 現在の観音堂は享和3年
(1803)に再建された入母屋造りの建物です。 左甚
五郎作の「夜荒らしの名馬」も飾られています。
多羅葉樹−県指定天然記念物
坂東三十三観音札所第9番 |
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梅園神社 本殿
埼玉県入間郡越生町小杉1-1 |
上野大宮神社 本殿
埼玉県入間郡越生町上野1732 |
津久根八幡神社 本殿
埼玉県入間郡越生町津久根23 |
神社の起源は数百年前に筑紫の太宰府天満宮より
分祀した事に遡り、堂山の近戸神社、上谷の三島
神社を合祀して梅園神社と改称されました。 本殿
は享保元年(1716)の建立で、間口9尺、奥行5尺
の流れ造り、柿葺の建物です。
梅園神社のスダジイ林−埼玉県指定天然記念物 |
大宮神社は、もとは聖天社又は聖天宮と称されてい
た、文武天皇元年(697)に創建された神社です。
本殿は、文久3年(1863)に再建されたもので、流造
柿葺きの建物です。 |
八幡神社は、鎌倉時代に八幡社(応神天皇)を勧請
して創建されました。 宝物の金剛盤に正嘉2年(12
58)の銘があります。
本殿は天保4年(1833)に建立され、間口7尺、奥行
9尺流れ造りの柿葺きの建物です。 |
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龍ヶ谷熊野神社 社殿
埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷453 |
龍穏寺 山門
埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452 |
三嶋神社 本殿
埼玉県日高市下大谷沢144 |
熊野神社は、龍穏寺の境内社として、明応元年(1
942)に紀州熊野本宮より勧請したものです。 社殿
は天保15年(1844)に再建されました。 入母屋造
、銅瓦葺で、本殿と拝殿の間が石の間でつながれ、
一続きの建物となっている権現造の建物です。
日本神話の彫刻が壁面を飾っています。
経蔵−埼玉県指定重要文化財
山門−越生町指定有形文化財
モミ及び着生植物−埼玉県指定天然記念物 |
天保12年(1842)に再建された建物です。
二階建ての入母屋作りで、「無相門」とも呼ばれてい
ます。 大正2年の火災の中、経蔵とともに延焼を免
れた建造物です。
経蔵−埼玉県指定重要文化財
熊野神社社殿−越生町指定有形文化財
モミ及び着生植物−埼玉県指定天然記念物 |
三嶋神社は事代主命の一柱を祀っている神社です
。 本殿は江戸時代末の作と考えられています。
身舎の前方に庇を付けた形式の一間社流造です。
屋根はこけら葺きで、向拝柱に登り龍、下り龍が彫
られています。 |
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駒形神社 本殿
埼玉県日高市高萩750 |
聖天院 山門
埼玉県日高市新堀990−1 |
聖天院 阿弥陀堂
埼玉県日高市新堀990−1 |
駒形神社には誉田別命、息長足姫命、高良玉垂命
の三柱を祀っている神社です。
本殿は江戸時代末の作と考えられています。 身舎
の前方に庇を付けた形式の一間社流造です。 屋
根はこけら葺きで、向拝柱に登り龍、下り龍が彫ら
れています。 |
聖天院は、奈良時代に高句麗より渡来した、高句麗王若光の菩提寺として、天平勝宝3年(751)に創建され
ました。 貞和年間(1345)に真言宗に改宗され、江戸時代には高麗郡の本寺として門末54箇寺を擁するほ
どの隆盛を誇っていました。 武蔵野三十三観音札所第26番 |
天保3年(1832)の建立です。 入母屋造り瓦葺、総
欅の木造二層の楼門で、間口8.8m、奥行5.5m
面積48.4uです。 |
宝永年間(1704〜1710)の建立です。 昭和59年に
修復されました。 堂内は中世の禅宗様式を持ちな
がら土間ではなく床が設けられている事が特色です |
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長光寺 三門
埼玉県飯能市下直竹1056 |
米山薬師堂
埼玉県秩父市上吉田4366 |
平石馬頭尊堂
埼玉県秩父市吉田久長607−2 |
江戸時代初期に建立された建物です。
桁行三間、梁間三間の楼門造りです。 東西は渡り
廊下があった名残で吹き抜けになっています。 以
前は茅葺の入母屋造りでしたが、後に瓦葺になり、
現在は鉄板葺きに葺き替えられています。
惣門、本堂−埼玉県指定重要文化財 |
米山薬師堂は正福寺を別当地として延享3年(174
6)に建立されました。 堂は三間四面で表1間半を
吹き放した方形造で、屋根は茅葺型板金葺です。
内陣は簡素ですが、外陣の格天井は51枚の極彩
色花鳥図で飾られています。 参道脇約3000uに
はツツジが植えられ「花まつり」が行なわれます。 |
当時の久長村村民の発願により建立が計画され、
弘化4年(1847)に竣工した建物です。 三間四面
の堂の周囲や正面唐破風の向拝を飾る彫刻は、当
時熊谷在の彫刻師の作といわれ、高度の技術によ
る細工が施されています。 昭和54年に銅板葺に
葺き替えられました。 |
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椋神社 本殿
埼玉県秩父市下吉田7377 |
八幡神社 旧本殿
埼玉県秩父市下吉田7377 椋神社 |
聖神社社殿
埼玉県秩父市黒谷2191 |
椋神社は、延喜式神名帳の秩父郡の項に秩父神社
と共に記されている古社です。 本殿は、元亀年間
(1570〜1573)の武田軍の侵攻で焼失し、天正3年
(1575)北条氏邦によって再建されました。 その後
寛永4年(1627)に幕府代官によって大修復造営さ
れました。 |
延宝年間(1673〜1680)に造営された拝殿・本殿は
大正初年まで現在の吉田小学校校庭にありました
が大正7年に椋神社に合祀し椋神社境内に移築さ
れました。 拝殿は椋神社拝殿として使われていま
す。 本殿は欅造り、銅瓦葺の美しい社殿で、彫刻
で飾りたてられています。 |
聖神社は和銅元年(708)に発行された和同開珎が
ここで発見された和銅が使用されたことから、その祝
典のため養老6年(722)に建立された神社です。
社殿は、昭和39年秩父市中町にある今宮神社の本
殿を移築したもので、流れ造の本殿と入母屋造の拝
殿からなり、宝永6〜7年(1709〜10)に建立された
建物です。 |
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内田家住宅
埼玉県秩父市黒谷299 |
こまり門
埼玉県秩父市大野原897 |
大林山廣見寺 惣門
埼玉県秩父市下宮地町25−29 |
内田家の先祖は、室町期より現在地に居住してい
た江戸時代初期より明治初年まで名主役を勤めて
いた家柄です。 建物の規模は、間口14.4m、奥
行10.8mで、建築年代は17世紀初期と推定され
ます。 |
高橋家は代々名主をつとめる家柄で、こまり門は後
方の住宅の門です。 寛文3年(1663)頃の造営と
思われます。 開門すると近所に異変があるので、
大野原の「こまり門」として有名です。 表柱間1.9
2mの向い唐破風造の門で、左右の切石積の基壇
上に塀を構えています。 |
廣見寺は明徳2年(1391)に開山された、曹洞宗の
お寺です。
惣門は、桁行2.54m、梁間2.12m、切妻造、茅
葺型銅板葺の禅宗様四脚門で、17世紀の造営と
考えられます。 |
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大寶山圓福禅寺 山門
埼玉県秩父市田村967 |
千手観音堂
埼玉県秩父市荒川上田野 |
寺沢の寝入り(如意輪)観音堂
埼玉県秩父市荒川日野 |
圓福寺は、応安6年(1373)創建の臨済宗のお寺で
す。 山門は、元禄8年(1695)の火災の後、享保1
6年(1731)に再建されました。 桁行7.9m、梁間
5m、高さ11.9mの高欄つきの回縁を持つ入母屋
造りの楼門です。 |
大同年間(806頃)坂上田村麻呂により創建されたと
伝えられています。 現在の建物は明治8年再建の
ものです。 堂の前には土俵があり、毎年8月16日
に「信願相撲」が行なわれています。 |
現在の建物は明治年間に再建されたものです。
本尊の如意輪観音は安産、子育ての仏様として信
仰を集めています。 頬づえをついている姿がうた
た寝しているように見えることから名付けられました
。 |
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猪狩神社 社殿
埼玉県秩父市荒川贄川1267 |
三峯神領民家
埼玉県秩父市三峰298 |
聖天宮(秩父大神社本殿)
埼玉県秩父郡小鹿野町般若2690 |
本殿は間口一間一尺、奥行一間二尺の一間社春日
造、切妻造、向拝付きの建物です。 正面に飛竜の
彫刻、右側に韓信股くぐりの彫刻が奉納されていま
す。 幣殿は間口一間一尺、奥行三間、拝殿は、間
口二間三尺奥行二間の方形造の建物です。 寛政
5年(1793)の建立です。 |
三峯神社南側に集落があり、三峯神社の神領とさ
れていました。 この建物は実際に使われていたも
のを移築したもので、文政年間(1818-1829)に建
築された、入母屋造り萱葺屋根の建物です。
三峯神社本殿−埼玉県指定有形文化財 |
寛政8年(1796)に再建されたものです。
桁行1.6m、梁間1.3m、奥行1.3mの向拝が付
きます。 総欅造りで、入母屋造、柿葺き、唐破風、
千鳥破風等が付く装飾的な社殿です。 |
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諏訪神社 本殿
埼玉県秩父郡小鹿野町般若2592 |
妙見宮 本殿
埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野124 |
小鹿神社 旧本殿
埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野88 |
諏訪神社は、柿の久保耕地の鎮守です。 本殿は
宝永3年(1706)に再建されました。
桁行0.6m、梁間0.6mの小型の社殿ですが、聖
天宮を建造した際の余材で作られたという伝承があ
ります。 |
妙見宮は永禄元年(1558)の創立です。 本殿は安
永3年(1774)の建立された、桁行182cm、梁間15
8cm、高さ580cm、柿葺きで正面に唐破風と千鳥
破風が付く春日造の建物です。 |
小鹿神社は、明治43年の洪水により腰之根地内へ
移転しましたが、本殿はそのまま残されました。
安永4年(1775)の建立で、桁行1.42m、梁間1.
53m、流造り、唐破風と千鳥破風の向拝が付き、
精巧な彫刻を施した社殿です。 |
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加藤家住宅
埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野322 |
法性寺 観音堂
埼玉県秩父郡小鹿野町般若2661 |
諏訪神社 本殿
埼玉県秩父郡小鹿野町伊豆沢1959 |
桁行12.6m、梁間13.5mの土蔵造り町家で、瓦
葺き、切妻造りの3階建の建造物です。 明治13年
(1880)に建てられ、1階を店舗、2・3階を養蚕飼育
に使用していました。 県内でも貴重な3階建木造
商家建造物です。 |
法性寺は曹洞宗の寺院です。 観音堂は宝永4年
(1707)に建立された、木造、宝形造り、桁行三間、
梁間三間の建物で、木造、桁行六間、梁間六間、貫
二段、懸崖型の懸造りの上に建っています。
秩父三十四観音札所第32番 |
諏訪神社は、伊豆沢上郷、中郷の鎮守です。 本殿
は江戸時代初期の建造と推定され、桁行0.98m、
梁間0.81m、一間社流れ造り板葺きの社殿です。
細部に中世末の唐様の手法を残しています。 |
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薬師堂 仁王門
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2301−1 |
塩沢宇賀神社 社殿
埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄5600 |
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薬師堂仁王門は、江戸時代中期の建造物で、間口
6.93m。奥行き4.19m、高さ7.92mの総欅造り
の瓦葺きの建物です。 入口を守る木造の金剛力士
立像は、開口の阿形像と閉口の吽形像の2躯で、一
般には仁王像といわれています。
薬師堂−埼玉県指定有形文化財 |
塩沢宇賀神社は、天文3年(1534)に塩沢城入口の
現在の場所に建立されました。 現在の社殿は、文
政2年(1819)に再建されたものです。 本殿は、表
柱間3間(15尺6寸)、側面3間(19尺2寸)で全て
丸柱で、内部は1室ですが内陣柱が建っています。 |
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岸本家住宅 主屋
埼玉県幸手市中2−6294−1 |
島村家住宅 土蔵
埼玉県桶川市寿2−1−4 |
旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179‐1
浦和くらしの博物館民家園 |
岸本家住宅は、日光街道の宿場町として栄えた幸
手宿の醤油醸造所兼住宅として江戸時代末期に
建造された建物です。 当時は多くの建物を構えて
いましたが、現在は主屋1棟だけになってしまいまし
た。 正面の庇部分を店舗、後方の主体部を居室と
しています。 1階床面積は130.17u、2階床面
積は29.91uあります。 |
島村家は、中山道桶川宿の本陣近くに店を構えた
穀物問屋木嶋家の総本家です。
土蔵は、天保7年(1836)に建立された、桁行六間、
梁間三間の木造三階建て瓦葺、建築面積71uの
建物です。 現在は黒漆喰壁がトタンで覆われてい
ます。 天保の大飢饉に苦しむ人々に仕事を与える
ために建立されたため「お助け蔵」ともいわれていま
す。 |
大正8年(1919)に栃木県小山市内で干瓢問屋の
倉庫として建築されたもので、昭和31年(1956)に
浦和市農業組合三室支所に移築され政府指定米
穀倉庫として使用されてきました。 大谷石土蔵造
りで、間口27.27m、奥行7.27m、高さ9.0m
、トラス小屋組の寄棟で屋根は瓦葺きの建物です。
内部は中央で二部屋に仕切られ、それぞれに均整
の取れたアーチ形の入り口が設けられています。 |
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坂田医院旧診療所
埼玉県熊谷市妻沼1420 |
埼玉りそな銀行川越支店
埼玉県川越市幸町4−2 |
川越商工会議所
埼玉県川越市仲町1−12 |
昭和6年(1931)に建造された産科医院です。 建
築面積216.72u、鉄筋コンクリート造、平屋建て
の建物です。 直線を基調したモダンスタイルでま
とめられ、玄関ポーチを付け、正側面をスクラッチタ
イル貼りとする洋風近代建築物です。 |
大正7年(1918)、「第八十五銀行本店」として建造さ
れました。 設計は保岡勝也で、西洋の建築様式を
基調にした大正特有の雰囲気があります。 鉄骨鉄
筋コンクリート造り、三階建て、搭屋・金庫室付き。
高さ25m、面積291uの建物です。 |
昭和3年(1928)に武州銀行川越支店として建築さ
れました。 設計者は東京銀座の資生堂本社や高
島屋日本橋店を設計した前田健二郎です。 鉄筋コ
ンクリート造り二階建て、地下室があり、建築面積
は556u。 昭和45年(1970)から川越商工会議
所として利用されています。 洋風建築で巨大な円
柱を配し、ギリシャ神殿のような建物です。 |
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旧大井村役場庁舎
埼玉県ふじみ野市苗間34−6 |
回漕問屋吉野屋 土蔵
埼玉県ふじみ野市福岡3−4−2 |
旧柿原商店店舗及び主屋
埼玉県秩父市本町1404−4 |
昭和12年(1937)に建造された、木造二階建、寄棟
造、トタンストレート屋根の建物で、建築面積は238
.49uあります。 昭和15年(1940)頃には、村人
に時刻を知らせるためのサイレン塔も取り付けられ
ました。 数少ない官公庁の木造建造物です。 |
吉野家は安永2年(1773)に江戸幕府から公認され
た福岡河岸の3軒の舟問屋の1軒で、大正末期ま
で回漕業を営んでいました。 この土蔵は、最盛期
には12棟あった土蔵の内唯一残っている文庫蔵で
す。 木造二階建、梁行二間、梁行二間半で、建坪
は一、二階とも五坪あります。 |
柿原商店は大正時代よりこの地で繁栄をきわめた
銘仙問屋でした。 店舗及び主屋は昭和5年(193
0)に建造された木造2階建(背面一部平屋建)、寄
棟造、桟瓦葺、建築面積601uの建物です。 軒
は出桁造で、開口部には格子戸を入れています。 |
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武甲酒造柳田総本店店舗
埼玉県秩父市宮側町4389 |
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柿江戸時代(1751-1829)に建てられた木造2階建
、切妻造、鉄板葺、平入で正面に桟瓦葺の下屋庇
を設けられた建築面積329uの建物です。 秩父
往還に東面して建っています。 1階正面は開放的
な構えで、2階は横長の開口部に繊細な格子戸を
建て込んでいます。 |
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